Category: コラム

【コラム】頑張れ専門誌!

ここ最近、専門誌にパワーがなくなって来たようで、気がかりだ。専門誌のコンテンツ内容を見ても、「これ見たい!」と強く思えるものが減っているように思える。そこで、ここで自分なりに勝手に提案してみたいと思う。

ハウツーというカテゴリーであるが、そこには原稿制作者に上達方法のメソッドがなければならない。「こうすればいいよ」という簡単なコツではなく、研究された(注:きちんとコーチング現場で効果を出している)正しい上達メソッドだ。
「これでカービングがあなたのものに!」とか、タイトルがコテコテなものほど、しっかりと作れていなければ、読者はその専門誌のハウツーを信用をなくす。だから、タイトルキャッチが派手なのはいいけど、きちんとその上達方法を記さないといけない。そして、そのためにはページ数もいるので、そのハウツーをしっかりと伝えられるページを確保して紹介した方がいい。

トリック・ティップと言って、トップ・ライダーたちのシークエンス写真を載せるものがあるが、あれは1つのアートになっていたら、ハウツーとはまた違った世界に入るだろう。そこでは単純にトップ・ライダーの凄いライディング・シーンに、ちょっとしたライダーのコメント(トリック・ティップ)があれば充分だと思う。
しかし、この手のコンテンツでショボイものを掲載したら、おしまいだ。
スノーボードのシーンというのは一年現場にいなければ、浦島太郎になってしまう。だから、主に東京で仕事する編集者はかなり信頼をおける最前線のライダーの意見をもらえるようにしておき、このシークエンスが本当に凄いのか、絶えずチェックした方がいい。

インタビューに関しては、そのライダーを出す強い意味がなければならない。よくありがちな怖いパターンは、あるメーカーの広告がほしいために、そこのライダーが出るというパターン。なぜこのライダーがインタビューに登場するほどのライダーであるのか、ということが見えないことがある。その広告絡みのケースでもきちんと切り口を決めていれば、おもしろいものができるので、インタビュー事前の仕込み(情報収集)をしっかりと行い、「なんでこのインタビューが世に出たのか」という明確なコンセプトを打ち出さばいい。

自分の経験から言って、毎月出すというようなことは限界があるように思える。なぜなら、良いコンテンツをリリースする仕込みする時間がないからだ。雑誌はどうしても売れた売れないで判断されがち。だけど、おもしろいかつまらないか、ということをしっかりと冷静に分析することが大切だと思う。
それほどおもしろくないと思っていても売れてしまった時には、自粛して号数を増やさない。
また、実際におもしろいコンテンツを作る力がなくなったと思ったら、クオリティを維持するためにも号数を減らすことも大切だ。例えば毎月出していた雑誌は、季刊誌になることで大幅に号数は減り、クオリティを上げることができる。そして、良質なコンテンツが集まる力を蓄えたら、次レベルで夏号を出してみたり、という展開に持っていけばいいだろう。そうして徐々に力を蓄えることで、長い専門誌ビジネスができることになる。

DVDのおまけは人気があるようだけど、DVDに力を注いだ結果、雑誌本体のクオリティが下がってはいけない。
そして、そのDVDのクオリティが低ければ、今後、DVDの付録というものは、逆に販促を低下させるものになりかねない。

どこの専門誌もカタログ号を出す傾向にあるが、どうだろうか。
逆に「ウチの雑誌はそんな方向で行かないで、コンテンツ勝負で行くよ!」
というところがあれば、個人的にはかなり応援したくなる。だけど、やはり広告代を稼げるカタログ号は外せないか。

全体的に読ませるコンテンツが減っているような傾向がある。読ませるコンテンツは、お金が掛かる傾向がある。なぜなら、そのように深いストーリーを作ることは取材にも時間が掛かるし、手間も掛かるからだ。専門誌は、フリーのライターやカメラマンに執筆&撮影したページ数などで支払いをする傾向にあるが、一層のこと固定給という最低賃金を決めて、あとは読者の人気度で原稿代やら写真代やらを決めるというのは、どうだろうか。そうなれば、カメラマン、ライターなどの競争心も生まれ、またそこでプロフェッショナル度も磨かれていくと思う。

読者が感じる気持ち良いコンテンツの割合というのがあると思う。だからそのバランスを研究する必要があるし、何よりその割合を決める必要があるだろう。
例えば、ハウツーばかりでは飽きると思う。スノーボードのハートを揺さぶるインタビューがあったり、自分の部屋にずっと飾っておきたい写真ページがあったり、ギアに関する情報ページもあり、読者の声を伝えるコミュニティページがあったり、そしてハウツーもいろいろな種類があったり、と。
そして、これらのコンテンツ割合を決める人は、編集長の独断と偏見の感覚で決めたら、いいと思う。
しかし、今の雑誌は各編集者が良い企画!と思ったことを自由にやって(注:一応、企画会議とかしているのだと思うけど・・・)、最終的にそれらのまとめられたのが1つの雑誌という流れになっているようだ。そこには、心を揺さぶるコンテンツがこの割合必要だとか、ためになる情報系がこれくらいの割合で、という戦略がない。すると、出来上がったものが、企画内容がダブるものがあったり、同じような種類のコンテンツが並んでいるケースも少なくない、ということに。

編集長というのは、監督のようなものだろう。ジーコ監督は、結果を出せずに退陣した。編集長も独断と偏見的な自分の感覚でコンテンツを決める権限がある代わりに、負けた時(売れない時)には残念だけど、引き下がるということも必要だろう。

以上、かなり勝手にいろいろ言ったのは、本当の意味で自分がその現場にいないからということもあるのだけど、もしかしたら今の専門誌に参考になるかもことがあるかも!ということで提案させてもらった。頑張れ専門誌!

【コラム】忠インタビューで自分が変わった

この夏に新感覚ビデオ『Peak』の撮影で布施忠のインタビューを行った。
忠くんの魅力をできる限り伝えたいと思った僕は、自分の家の裏に流れる川原でピクニック用のイスを並べ、ビールを持って行った。
普段、忠くんのフィルムを回しているケイジくん、その他、撮影関係者とかが、「布施忠のインタビューは難しい」というようなことを言っていたので、自分も多少ナーバスになったし、いろいろ気を回してしまった。だけど、始めてみたらそんな心配はまったくなかった。忠くんは自然体で、たくさん話してくれた。時間が経つのも忘れるほどの勢いだった。自分の過去のインタビューでも本当に素晴らしいものになった。というのも、自分自身このインタビューの後、新たな考え方とか出たし、それが実際に行動力となったからだ。きっとこの自分が得た意識、感動も含めて、多くの人に伝わるに違いない、と思った。

このインタビューは、本当に素晴らしいコメントが幾度となく出るのだけど、1つだけ例をあげてみよう。
それは確か、これからの忠くんのスノーボーディングについて聞いた時だと思う。忠くんは常にどういうライディングを考えているのか、また新しいアイデアを撮影で活かすのかとか、そんなことを聞いたのだ。忠くんもそういうことは常に考えている、というようなことを言うのだけど、実際に現場に行けば思っていることができないケースが多い、とコメント。そして、あーだこーだ考えてもわからないので、ともかくやるのだそうだ。

その時、僕は「ああ、なるほど、トップと言われている人でも、ともかくやってみるんだな。何か泥臭いような印象もあるけど、そうやってともかく試すんだ」と感じた。
そして、その時はそれほどその言葉を重く受け止めてたわけではないけど、その後の自分の意識で「ともかくやってみるんだ」ということを思うようになったのだ。そしてその言葉が徐々に自分の中で重く受け止められるようになった。かつて高校生の時、「ともかくやってみる!」と思いながら行動していた自分の若さを叩き起こすことができたのだ。

例えば、自分のハウツーの撮影で事前に決めた内容がある。だけど、その現場でその撮影がうまくいかなかったり、またカメラマンからのアイデアで「こうしたらいいんじゃない?」という提案がある。そんな時、今までだったら先に考える癖があり「そんなこと無駄だよ」とか、勝手なネガティブな想像をしてしまう自分がいたものだ。だけど、今では「ともかくやってみる。やってみないとわからない。やることが一番どうだったのかわかること」という思いで、実際にやってみるのである。

このことはスノーボードのことに限らず、仕事のこと、普段の生活でも活かされるようになった。自分の範疇になかったことだけでも、ともかく「やってみよう」と思い行動する。子供が何か提案したら、何かと「ダメ」と言っていたけど、ともかくやらしてみる。仕事仲間から提案あったら、ともかく頭の中で考えてもわからないことも多いので、やらせてみる。

忠くんの一言が、自分を良い方向に変えてくれた。とても感謝している。

後日、忠くんをずっと撮影して来たマルくんに、
「あのトランズ誌の表紙、撮った時どんな状況だったの?」
と聞いてみた。
そうしたらマルくん、
「あれは僕がずっとフォーラム撮影していて、確か4日とか5日目の晴れ。もうパウダーもない、ということで撮影がなくなった日だった。そう、もうライダーの誰もがこれ以上の画は撮れない、と思った時に、ちょうど忠から電話があり、まあ、ダメ元でピクニック気分で撮影に行こうか、ということになった。忠は、まだ撮影できるポイントがある、と言ってその現場に行った。そこでワンフットで撮影することになって、あの写真が撮れた」

マルくんの中では、「もしかしたら撮影できるかな」という気持ちで行った。
忠くんの方は、マルくんを誘うくらいだから、「あそこで何か写真が撮れるのでは」と期待を抱いて行ったのだろう。そして、実際、その現場でワンフットという発想を出して、あの表紙につながったのである。

本当に忠くんって凄いね。そして、マルくんもその忠くんをしっかりと受け止める凄いカメラマンなんだよなあ。(※マルくんDice-K Maruのインタビューは後日アップするので、お楽しみに!)

ところで、忠くんからはもっと強烈なアドバイスをもらったんだけど、それはぜひ『Peak』を見てのお楽しみ。ここで大事なことをお話して、感動を薄れさせてしまうのは悪いからね。

【コラム】アルペン父さんが落ちぶれたワケ

文:飯田房貴

雪山の自然の地形を使ってオーリーでジャンプ!それから180させてみたり、時にはパイプでバッコーンでぶっ飛んでみる。そういう遊びが疲れて来たら、パウダーをおもいっきり食べてみたり。
こうした現在のスノーボードのメインとなる遊び方を考えてみると、スノーボードの父はスケートボードで母はサーフィンであるようだ。
父から受け継いだスケート魂を雪山で表現する毎日。だけど、結局は偉大なるマザーネイチャーに抱かれるようにサーフィン・スピリットでパウダーの世界に戻る。

でも、スノーボードの長い歴史を紐解けば、かつての父はスケートでなくスキーであったように思う。

例えば、あれは確か自分がミナミのライダーをやる前のことだから、1987年前後だろう。神田のムラサキにコフラックのハードブーツを探しに行った時のことだ。
「コフラックのハードブーツ?」
今のスノーボーダーには聞きなれない言葉だろう。当時、コフラックという山用品から来たハードブーツ屋さんは、スノーボードのブーツを作っていた。スキーのブーツよりも、もっとフレキシブルなプラスチック・シェルのブーツである。あの時(ちょっと後だったかな?89年とか)、スーパースターであったダミアン・サンダースもこのコフラックのブーツでパイプをぶっ飛んでいたライダーだった。高さだけだったら、当時最高峰のクレイグ・ケリーに勝る凄いライダーだ。

ともかくそのムラサキで、松島勝美さんがいた。松島さんは竹内(正則)さんよりもさらに前の世代のプロで、第一回全日本大会の優勝者でもある。当時のムラサキの看板ライダーだ。その自分にとっては憧れのような立場の松島さんが、やや緊張していた自分に温かく接客してくれたのだ。そして、こう言ったことを今でも覚えている。
「これからはハードブーツの時代だね。アルペンの時代だよ」

今、このコラムを読んでいる方は、「まさか!」と思うかもしれない。だけど、あの時の業界にはそんな認識があった。
なぜなら、あの当時に使われていたソレルのブーツ(雪道歩くためのブーツ)でソフトブーツ感覚で行うスノーボードは、足首が弱くエッジホールドが弱い。しかし、プラスチックのシェルでできたハードブーツは、エッジホールドが強いからスピード出しながらカービング・ターンができる。スピードを出せるってことがぶっ飛ぶことも可能ってわけである。さらに大事なポイントとしては、当時の競技の主体がダウンヒルでありスラロームであったこと。そう、まさにあの時、スノーボードのお父さんはスキー、そしてお母さんにサーフィンを持つことで、新しい雪上スポーツとして成長を始めたのである。

堅気なスキーというお父さんを持ったスノーボードは、母にサーフィンを持ってしまったため当時は不良的な存在だった。
「なんだこれ?危ないな。ウチでは滑走禁止だよ」
「滑走禁止かよ。結構なこった。オレたちは別にゲレンデだけで楽しむもんでねえ!こうして裏山でパウダー滑っている方が楽しんだから!!オレたちの母ちゃんバカにすんじゃねえぞ」
ってな時代で、自分もよく天神平のゴンドラ下とか、丸沼の滑走してはいけない区域、リフト下などをよく滑ったものだ。まだ誰もやっていないパイオニンア戦士ってこともあって、楽しかったなあ。

しかし、そんなサーフィン母は堅気の父に飽き飽きとする。だから、スケートおやじと再婚するのは、自然の流れだった。付き合い出したのは90年前だったけど、正式にいっしょになったのは90年後だろう。特に91年だったかロードキルが出たあたりには、完全にスケート父さんの影響力が強い時代になった。ニュースクールという言葉が出た時代だ。だけど、当時もアルペン父さん健在時代で、アルペン界とフリースタイル界に分かれていた。

「スノーボード始めるんだ? フリースタイル(ソフトブーツ)、アルペン(ハードブーツ)にするの?最初はソフトの方がやりやすいんじゃないかな。だけど、最終的にアルペンやるんだったら、最初からハードという手もあるよ」

そんな会話をしていたのが懐かしい。今でこそそんな会話は死語になったようだが、確か90年中頃まではそんな会話を店頭でするのは普通のことだったと思う。だけど、90年後半には圧倒的にスケート父さんが強くなってしまう。その大きな理由は、スケート父さんはハードブーツの良いところを取り込み(学んだとも言える)、しっかりとしたソフトブーツを作るようになったからだ。と同時に板性能もアルペン父さんのことを学んで、滑走性能が良く、エッジホールド性もよくなったのである。もちろん今でもアルペン父さんのエッジホールド性には負けるが、でもアルペン父さんとかなり近いこともできるのだ。バックカントリーでも固いバーンでも滑れるようになったスケート父さんである。さらに持ち前のフリースタイル性能も成長させているから、もはや遊び方の幅で完全にアルペン父さんの上に行ってしまったのだ。かつてフリースタイルとアルペンのシャアは5対5ぐらいだったかもしれないけど、それが6対5、7対3・・・、そして遂には9対1、さらには99対1という状況に近づいている(いや、すでにそうなっている!?)。

自分はかつてアルペンレースを一生懸命やって来た者でもあり、今、五輪で採用されているデュアル・ジャイアントスラロームの楽しさもわかる。だけど、その父であるアルペン・スキーのダウンヒルの世界などは、もっと過激で激しいように思える。また、そもそもそのお父さんから純粋に生まれたスキーは、今ではフリースタイルの世界を開花させ、スキーヤーでもパイプやレールに入るのがあたり前の時代になった。間違いなくスノーボードに影響された者たち。今年のサマーキャンプで、フリースタイル・スキーヤーのパンツの多くがBurtonであることも驚いた。スタイルだけでなく、ファッションなどにも影響を及ぼしているのだ。こうして考えると、スキーヤーでフリースタイルをやっている者の方が、スノーボーダーにはより親密に感じる。逆に言うと、アルペン父さんの息子さんは、同じスノーボーダーでありながら異母兄弟でかなり遠い存在のように感じてしまうのだ。

それではアルペン父を持つ、アルペン・スノーボーダーがかつてのようにメイン・ステージに上る方法はあるのだろうか?

オレはあると思う。今度はアルペン・スノーボーダーが、フリースタイルを学んで、そのテクニックを融合させればいいのだ。
例えば、浪人1(dmk最初のビデオ作品)のサムライ・ボーダーを見てほしい。サムライ姿でアルペンで颯爽と滑り、途中のヒッツなどでジャンプし剣を振り回す姿、カッコいいでしょ? あれはオレだよ。あの映像にちょっとだけとアルペンのカービングとフリースタイルを融合した姿があった。もちろんオレのようなスノーボーダーでもあれくらいのパフォーマンスができるのだから、現在のアルペン戦士が本気でフリースタイルと融合させることをやったら、とんでもないことになる。ブラッコムの有名な急斜面であるスダーンコース斜度50度あるところを滑らせる。アルペンだから、多少の雪の固さもなんのその。激しき雪玉落としながら滑るのだ。その後、ピステ(雪上車がならしたところ)がかかったソーラーコースター下のところで得意のカービング・ターン。上のリフトから眺めている人が「やっべー、アルペンのカーブやべえ!」ってくらいに。それから左手にトラバースして世界に誇るブラッコムのトレインパークに突入だ。ダブル・ダイヤモンのキッカーでまずはベーシックにストレートでメソッド・エアー、次のジャンプではフロントサイド360、さらには最後のジャンプではシャフルも見せよう。そのまま迂回コースに行ってちんたら滑っているフリースタイル小僧を追い抜かして、大きめのヒッツだけ狙ってバッコーン飛んで行く。そうすると、後ろから小僧がこう叫ぶかもしれない。
「あの兄貴、ずいぶん飛ばしてオレの目の前ぶっ飛びやがって。でもアルペンかよ、スタイルねえなあ」

そんな悪態が聞こえたら、今度のヒッツではウォーキングモード(ブーツの前傾角度を開放値にすること)にして、高く飛ぶオーリーを披露してみよう。スケートスタイルに染まったキッズは、どれだけアルペン父さんがカッコいいことを見せても豚に念仏かもしれない。だけど、それはアルペン・レースばかり没頭している人が、まったくスケートスタイル・キッズを理解できないのと同じで、まさにバカの壁だね。

かつてアルペンでもそんな凄いことやっていたライダーがいた。名前は忘れたけどフランス人でとんでもないライダーがいたな。ともかくスピードをぶっ飛ばしてジャンプ台でぶっ飛んで、クレイジーなバックフフリップやパウダー・ランをしているライダー。冒頭に登場したダミアン・サンダースだってかつてはハードブーツだったし(注:途中からソフトブーツになった)、アルペンボードではずっと頑張っているメーカーのF2で、かつて看板ライダーだったケビン・デラニーもアルペン・ボードでフリースタイル的なパフォーマンスを見せていた。
たぶんアルペンボードでもキッカーとかは、よくいるフリースタイルのスキーヤー並のぶっ飛びはできるし、ある程度パイプもこなせると思う。だから、将来、スロープスタイルまでこなせるアルペン・ボーダーが出たらおもしろいだろうね。

ともかく、アルペン父さんはフリースタイル的なことを謙虚に学び、またそれ共に新しいフリースタイル的アルペン・ボードというのもリリースして、そして持ち前であるカービング性能を映像などを通してアピールし続ければ、かつてのアルペン・シェアくらい(7対3程度の時代)は復活できるかもしれない。何しろアルペン&ハードブーツってまさに楽しい世界だから!このままアルペン父さんが落ちぶれて行くのも寂しいし、誰かそういうアクションをしてくれたらいいな。

【コラム】アマチュアの出世方法論

文:飯田房貴

今年は、例年よりフリーの撮影が多い年である。
フリーの撮影というのは、特に雑誌社から頼まれた撮影でなく、自分とライダーがスケジュールを調整して撮影し、良い写真があったらそれを雑誌社に売り込んだり、メーカーに売り込んだり、というようなこと。決められた撮影仕事でなく、自分たちの工夫で画作りができて楽しい撮影だ。

この中には、すでにプロとして飯が喰えているライダーもいたし、まだバイトとかしているアマチュアがいた。

正直言えば、単に滑るということにおいては、アマとプロにあまり差はない。むしろある部分では、完全にアマの方がプロよりもうまかったり、むしろ間違いなくプロよりもうまい、というレベルの者もいる。

じゃあ、どこが違うのか、というと、細かいところでは撮影に対する心構え、撮影に対する慣れ、画を残す貪欲な感覚など。
そして決定的に違うところは、プロは撮影だけに集中できて、アマは撮影後のバイトの時間を気にしたり、さらには来月の家賃を気にしている者などいるところ。

プロが画を残せないという純粋にライダーとしてのジレンマに悩まされるのとは違い、アマの悩みはスノーボード以外の環境だったり、かなり複雑だ。

そう、間違いなくアマの方が環境は悪いし、出世もし難いのである。出世したくても出世できない、まさにアマチュアのジレンマだろう。

しかし、そんなアマでもいつかスノーボードだけで飯を喰うようなプロになることは可能である。
その方法とは?

これはオレの適当なスノーボード・ビジネス感覚から発していることだが、参考になればと思う。

まず自分の1年間の仕事とスノーボードの時間割を半分ずつ区切ってみよう。

最初の半分の時間は、バイトの時間だ。ここでシーズン中のお金を貯める努力をすること。シーズン中は、スノーボード環境に注ぐため、バイトしないことを考えよう。できれば早い時期から春までしっかりと滑れる環境を確保したい。具体的に言うと5月から11月がバイトの時期だ。まだ出世もしない内にニュージーランドを行くことを考えないでいい。オレは夏も冬も滑って、だけど常にちょこちょことバイトして、完全にスノーボードに打ち込めない、集中仕切れないライダーを幾人も見てきた。かく言うオレがそうだし(笑)。

話戻すぞ。
あとの半分の時間はスノーボードの時間だ。すでにアマライダーとして確立しているのなら、ライディング・レベルはプロ並であろう。だから、自分の上達の時間、シーズン初めの滑りこみの時間などは全体の2割程度でいいだろう。あとの3割は、自分の活躍の舞台となる撮影などに時間を費やすべきだ。そのためには人脈を築かないといけないのだが、とりあえずウィスラーならオレがいるのでコンタクトしてみよう。fusaki@dmksnowboard.com

日本の山でも常にどこかの山で活動している人がいるだろうから、オフシーズン中に写真のカメラマン、ビデオのカメラマンとコンタクトしていくのは大事。スポンサーしてくれているメーカー、雑誌社、友達などなど聞き込むこと。
またアマチュアのカメラマンもどんどん増えて来ているので、そういう人と共に成長していけばいいだろう。

そして、それ以外にさらに自分が将来、他の日本のライダーを圧倒的に凌ぐ活動する時間を作りたい。例えば、それは海外クルーとの撮影であったり、また他のライダーが行ったことのないようなロケ場所で撮影したり。そうすることで、自分のライダーとしてアイデンティティを確立できるという大切な領域だ。
そんなことに時間を捧げるのは、また大変だろうけど、10%から15%ほどの時間を捧げたい。

まとめよう。
これはそれぞれの立場で選べることである。
例えば、すでにメーカーからいくらかのお金をもらっている人は、どんどんとレベルの高い方に投資できるぞ。

A バイト
(50%ほどの時間。将来はこの時間を0%に持って行くようにする)

B 練習滑り
(20%ほど。この数字は将来も保ちたい。自分がどれほどの練習を毎年するべきか考えること。ここをしっかりとやっておけば向上が少なく、撮影ばかりのプロを将来は実力で圧倒できる。ちなみにカナダでもあまり練習せずに撮影ばかりやっているプロは少なくない。だけどシモンのように常に滑りこんでいるのは真のプロとなる。やっぱり真面目に練習するライダーは強い!)

C 撮影
(20%ほど。他のプロに負けない、写真、映像を残す努力をすること)

D 未来の夢へ
(10%ほど。他のプロとは違った自分のスタイルの活動に投資しよう!)

最近、いろいろなライダーの悩みを聞いている内に、彼らの考えというのはひじょうに極端になりがちである、と思った。例えば、あるライダーはD(未来の夢へ)の活動をしたい。だから、スポンサー費用も多額のものを要求したい。それはあたかもその付き合っているメーカーにいきなり「僕の未来に数百万円ください」とも言わん勢いもあった。
おいおいそんなので、お金もらえたら苦労しないし、それは世間知らずだよ、ということを話したのだが。

ともかく、考え方が極端なことに気づいた。
だから、今回、自分なりにA、B、C、Dという考え方の時間設定を提唱し、そこからなんとかAよりもDへの時間を増やすように努力しよう、という提案である。

もし、本気でやれば、どんなライダーでもDの方向に歩めるだろう。だけど、年齢が上の人はそのDに行く時間まで待てないで、結局はライダー業を考え直す時期が来る可能性が高い。しかし、まだ若いライダーは夢をメイクするチャンスがある。

オレは、今の日本のスノーボード界が純粋にカッコいい奴を出世させていると思わない。だけど、こうしてアマチュアの人がジレンマを抱えながらも出世していくことで、いつか本当にカッコいいライダーばかりが上に行く業界ができると思う。そうすれば、北米のようにもっと業界の基盤がしっかりとした、スノーボード文化を形成できると思うのだ。だから、これからも夢見る若者を応援したい! 

アマチュアの出世方法論

今年は、例年よりフリーの撮影が多い年である。
フリーの撮影というのは、特に雑誌社から頼まれた撮影でなく、自分とライダーがスケジュールを調整して撮影し、良い写真があったらそれを雑誌社に売り込んだり、メーカーに売り込んだり、というようなこと。決められた撮影仕事でなく、自分たちの工夫で画作りができて楽しい撮影だ。

この中には、すでにプロとして飯が喰えているライダーもいたし、まだバイトとかしているアマチュアがいた。

正直言えば、単に滑るということにおいては、アマとプロにあまり差はない。むしろある部分では、完全にアマの方がプロよりもうまかったり、むしろ間違いなくプロよりもうまい、というレベルの者もいる。

じゃあ、どこが違うのか、というと、細かいところでは撮影に対する心構え、撮影に対する慣れ、画を残す貪欲な感覚など。
そして決定的に違うところは、プロは撮影だけに集中できて、アマは撮影後のバイトの時間を気にしたり、さらには来月の家賃を気にしている者などいるところ。

プロが画を残せないという純粋にライダーとしてのジレンマに悩まされるのとは違い、アマの悩みはスノーボード以外の環境だったり、かなり複雑だ。

そう、間違いなくアマの方が環境は悪いし、出世もし難いのである。出世したくても出世できない、まさにアマチュアのジレンマだろう。

しかし、そんなアマでもいつかスノーボードだけで飯を喰うようなプロになることは可能である。
その方法とは?

これはオレの適当なスノーボード・ビジネス感覚から発していることだが、参考になればと思う。

まず自分の1年間の仕事とスノーボードの時間割を半分ずつ区切ってみよう。

最初の半分の時間は、バイトの時間だ。ここでシーズン中のお金を貯める努力をすること。シーズン中は、スノーボード環境に注ぐため、バイトしないことを考えよう。できれば早い時期から春までしっかりと滑れる環境を確保したい。具体的に言うと5月から11月がバイトの時期だ。まだ出世もしない内にニュージーランドを行くことを考えないでいい。オレは夏も冬も滑って、だけど常にちょこちょことバイトして、完全にスノーボードに打ち込めない、集中仕切れないライダーを幾人も見てきた。かく言うオレがそうだし(笑)。

話戻すぞ。
あとの半分の時間はスノーボードの時間だ。すでにアマライダーとして確立しているのなら、ライディング・レベルはプロ並であろう。だから、自分の上達の時間、シーズン初めの滑りこみの時間などは全体の2割程度でいいだろう。あとの3割は、自分の活躍の舞台となる撮影などに時間を費やすべきだ。そのためには人脈を築かないといけないのだが、とりあえずウィスラーならオレがいるのでコンタクトしてみよう。fusaki@dmksnowboard.com

日本の山でも常にどこかの山で活動している人がいるだろうから、オフシーズン中に写真のカメラマン、ビデオのカメラマンとコンタクトしていくのは大事。スポンサーしてくれているメーカー、雑誌社、友達などなど聞き込むこと。
またアマチュアのカメラマンもどんどん増えて来ているので、そういう人と共に成長していけばいいだろう。

そして、それ以外にさらに自分が将来、他の日本のライダーを圧倒的に凌ぐ活動する時間を作りたい。例えば、それは海外クルーとの撮影であったり、また他のライダーが行ったことのないようなロケ場所で撮影したり。そうすることで、自分のライダーとしてアイデンティティを確立できるという大切な領域だ。
そんなことに時間を捧げるのは、また大変だろうけど、10%から15%ほどの時間を捧げたい。

まとめよう。
これはそれぞれの立場で選べることである。
例えば、すでにメーカーからいくらかのお金をもらっている人は、どんどんとレベルの高い方に投資できるぞ。

A バイト
(50%ほどの時間。将来はこの時間を0%に持って行くようにする)

B 練習滑り
(20%ほど。この数字は将来も保ちたい。自分がどれほどの練習を毎年するべきか考えること。ここをしっかりとやっておけば向上が少なく、撮影ばかりのプロを将来は実力で圧倒できる。ちなみにカナダでもあまり練習せずに撮影ばかりやっているプロは少なくない。だけどシモンのように常に滑りこんでいるのは真のプロとなる。やっぱり真面目に練習するライダーは強い!)

C 撮影
(20%ほど。他のプロに負けない、写真、映像を残す努力をすること)

D 未来の夢へ
(10%ほど。他のプロとは違った自分のスタイルの活動に投資しよう!)

最近、いろいろなライダーの悩みを聞いている内に、彼らの考えというのはひじょうに極端になりがちである、と思った。例えば、あるライダーはD(未来の夢へ)の活動をしたい。だから、スポンサー費用も多額のものを要求したい。それはあたかもその付き合っているメーカーにいきなり「僕の未来に数百万円ください」とも言わん勢いもあった。
おいおいそんなので、お金もらえたら苦労しないし、それは世間知らずだよ、ということを話したのだが。

ともかく、考え方が極端なことに気づいた。
だから、今回、自分なりにA、B、C、Dという考え方の時間設定を提唱し、そこからなんとかAよりもDへの時間を増やすように努力しよう、という提案である。

もし、本気でやれば、どんなライダーでもDの方向に歩めるだろう。だけど、年齢が上の人はそのDに行く時間まで待てないで、結局はライダー業を考え直す時期が来る可能性が高い。しかし、まだ若いライダーは夢をメイクするチャンスがある。

オレは、今の日本のスノーボード界が純粋にカッコいい奴を出世させていると思わない。だけど、こうしてアマチュアの人がジレンマを抱えながらも出世していくことで、いつか本当にカッコいいライダーばかりが上に行く業界ができると思う。そうすれば、北米のようにもっと業界の基盤がしっかりとした、スノーボード文化を形成できると思うのだ。だから、これからも夢見る若者を応援したい!

 

アルペン父さんが落ちぶれたワケ

雪山の自然の地形を使ってオーリーでジャンプ!それから180させてみたり、時にはパイプでバッコーンでぶっ飛んでみる。そういう遊びが疲れて来たら、パウダーをおもいっきり食べてみたり。
こうした現在のスノーボードのメインとなる遊び方を考えてみると、スノーボードの父はスケートボードで母はサーフィンであるようだ。
父から受け継いだスケート魂を雪山で表現する毎日。だけど、結局は偉大なるマザーネイチャーに抱かれるようにサーフィン・スピリットでパウダーの世界に戻る。

でも、スノーボードの長い歴史を紐解けば、かつての父はスケートでなくスキーであったように思う。

例えば、あれは確か自分がミナミのライダーをやる前のことだから、1987年前後だろう。神田のムラサキにコフラックのハードブーツを探しに行った時のことだ。
「コフラックのハードブーツ?」
今のスノーボーダーには聞きなれない言葉だろう。当時、コフラックという山用品から来たハードブーツ屋さんは、スノーボードのブーツを作っていた。スキーのブーツよりも、もっとフレキシブルなプラスチック・シェルのブーツである。あの時(ちょっと後だったかな?89年とか)、スーパースターであったダミアン・サンダースもこのコフラックのブーツでパイプをぶっ飛んでいたライダーだった。高さだけだったら、当時最高峰のクレイグ・ケリーに勝る凄いライダーだ。

ともかくそのムラサキで、松島勝美さんがいた。松島さんは竹内(正則)さんよりもさらに前の世代のプロで、第一回全日本大会の優勝者でもある。当時のムラサキの看板ライダーだ。その自分にとっては憧れのような立場の松島さんが、やや緊張していた自分に温かく接客してくれたのだ。そして、こう言ったことを今でも覚えている。
「これからはハードブーツの時代だね。アルペンの時代だよ」