【コラム】「プライベートブランド不振」どこかで聞いたような話

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文:飯田房貴

ライブ経済情報番組、The UPDATE「ZOZOはどこへ向かうのか?」は、なかなか興味深い内容だった。

IT大手のヤフーが、国内最大級のファッション通販サイトを運営する「ZOZO」買収を発表。創業者の前澤友作氏は、社長を辞任しZOZOの経営から身を引いた。
その原因は、様々なことが挙げられているが、一つにはPB不振があるということだ。

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PBというのは、その会社で行っているプライベートブランドのことだ。
(注:以下からPBをこれまでスノーボード業界で通例として読んでいたオリジナルブランド言い方で伝えて行く。)

ZOZOは、元々様々なセレクト・ブランドを売っていた百貨店なのだ。
百貨店をやっていると、どんなものが売れているか、というトレンドをつかむことができる。その情報を元に、オリジナルで商品を作ったのだが。それがうまくいかなったということである。
オリジナルブランドのアパレル販売と言えば、ユニクロが有名だが、ZOZOの場合、元々値段が高い「ファッション」を売っていたが、それが値段の安い「衣料品」のようなものを売ってしまったことがよくなかったようだ。

これって、なんかどこかで聞いたような話だ。
というのも、スノーボードのマーケットでも、同じようなことは起こるからだ。

自分はかつてミナミ・スポーツのライダーを10年間やっていたことがある。
その仕事の内容は、これまでになかったようなライダーワークだったと思う。
今でこそ、消滅してしまったが、当時のミナミ・スポーツは、全国で80店舗ほどの規模だった記憶がある。
そんな中で、自分はオリジナル・ブランドの開発のためレポートを提出したり、 プロモーションのために、そのボードやウェアを着て雑誌やビデオに出たり。 それ以外にも、全国のミナミスポーツを周って、ショップスクールでコーチングしたり、さらには、当時大物ライダーであったライオ田原や上田ユキエに声を掛けて、ミナミ・スポーツのライダーに引き入れたこともあった。
全店舗のスノーボーダー担当者が集まり、講習会も行ったことがあった。
様々な業務でチャンスをいただいたお陰で、オリジナル商品に関する情報も得ることができたのである。

ミナミ・スポーツのスノーボード直売は、最初、チェッカーピグから始まった。
ティム・ウインデルという当時シムスの看板ライダーが始めたブランドで、ケビン・ヤングも使用していた板。僕はウィスラーで最初のシーズンでケビンとルームメイトだったこともあり、運命を感じたものだ。

その後のミナミは、ヨーロッパのコクーンという板を輸入販売。
これは、スノーボード・ブームに乗っかって、かなり売ったと思う。
足のサイズが大きいヨーロッパ人使用で、本当ならあまり日本人にオススメできない品物だったが・・。かなり固い板でバインもイケていなかったけど、結構な数を売ってしまった記憶がある。

ウェアの方では、ハワイのサーフ系ブランドのローカルモーション、これも南の買収したブランドだったが、その名で作った。
最初の頃は、かなりカッコ悪かったけど、これも折からのスノーボード・ブームのお陰でかなり売れたようだ。

次のボード展開は、自社メーカーの立ち上げ。レイテッドRというボードを作った。
最初は、アフリカの方の工場で作ってもらったのだが、これは良くなかった。固いだけで、ほど良いトーションがまったくなく乗り難いもの。あの頃スノーボード・マーケットの勢いはすさまじくそれ勢いだけで、売ってしまったような品物。

しかし、その失敗からこの後にはある有名なスノーボード・メーカーに頼んで作ってもらった。
そのメーカーは、アメリカに工場があったが、他に中国にもパイプがあった。 今でも似たような流れはあるが、ようは高いモデルはアメリカかヨーロッパ、安いモデルは中国で製作していた。
その中国からのパイプで、作ってもらった板だ。

この板は、そのメーカーの持つテクノロジーのお陰でかなり調子良かった。
高級な板ではなかったが、一般のスノーボーダーが充分に楽しめる良い板だった。

オリジナルのブランドがあると、板、ウェア、ビンディング、ブーツ以外にも、 スノーボード・ケース、アクセサリー類など、様々な商品展開になって来る。

当然、店員はオリジナル・ブランドを売る傾向も強くなる。利幅は大きいし、在庫はそのまま負債になるからだ。だから、売れなければ大きな足かせにもなって来る。

ミナミ・スポーツが、潰れそうな頃、身売りされそうな頃にも、自分はまだライダーだったため、様々なメーカーからのアプローチを受けた。
高額サポートするというような夢のような話ではなく、「飯を喰いましょう。」という類。
ようは、大きな取引先であるミナミの内情が知りたくて、とりあえず、フサキ青年から情報を引き出そうという魂胆である。スパイ活動のようなものだ。
いきなり倒産なんてことになって、お金を回収できなかったら、とんでもないことなるので、フサキ青年に多少ごちそうしても困らないのである。

元々僕はスノーボードの方は、3流だったので、その分、業界の仕事に広く関わって来た。
当時の専門誌、スノーイング、スノーボーダー誌などの執筆や撮影、アクセサリーメーカーのアドバイザー、ハウツー本やビデオの制作など。
こうした仕事の流れから、業界の中では比較的に広く泳いで来たのだ。他のメーカーさんとの親交もあったのである。
そもそも立場に関係なく、誰にでもフラットに付き合うのは自分の性格。エラい人に媚を売らない江戸っ子気質なところもあり、ミナミ即売会などでも謙虚な気持ちでメーカーさんと話し合って来たので、仲が良いメーカーさんも少なくなかった。

ミナミスポーツがなくなってしまった原因が、どこにあるのか正直定かではない。でも、おそらく最後の方は、スノーボード・マーケットが縮小する中、オリジナル・ブランドが、重荷になってしまったのだろう。

スノーボード・ショップが、オリジナルのブランドを行うと良い面もあるが、悪い面もある。

良い面
・何が売れるか情報を持っているので、ユーザーに売りやすい商品を作れる
(※カラー、サイズなどトレンド情報データを持つため売れる商品を作りやすいということ。)

結果悪い面
・商品を急激に増やしてしまって、マーケットを壊しやすい
・売りやすい商品に頼るために、本来売っていたメーカー品をないがしろにしがいがち
・メーカーサイドから嫌われる、撤退されることも

あまりくわしく調べていないが、おそらくZOZOの方でも、PBを始めたことでこれまでZOZOの売り上げに献立して来たブランドが、撤退してしまったのかもしれない。結果、ますますZOZOは、窮地にハマったのではないだろうか。

スノーボードマーケットとは、規模の大きさで雲泥の差があるが、このことは大きな教訓として捉えていた方がいいかもしれない。

DMK Facebookからのご意見

Toshio Kirijiya Boo-san Ueda
373の内容はちょっと違いますね。売れないから値下げといった個々の能力不足と一部の責任転換からで、オリジナルブランドが重荷になって消えた訳ではないですよ。

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