【コラム】スケートボードの神トニー・ホークがオリンピックを支持しスノーボードの神テリエ・ハーコンセが支持できない理由

文:飯田房貴 fusaki@dmksnowboard.com

日本のスケーターは素晴らしい!連日の金メダルの報道は、気持ちを上昇させてくれます。
日本人選手たちは世界ランク的にも上にいるので、メダルは獲りそうだと思いつつも、実際に結果で金メダルを出すことは本当に難しいことだし、誇らしいことだと思います。
また、今回の東京オリンピックには、スケートボード界の神と言われるトニー・ホークも来日にしていて、オリンピックがスケートを採用してくれて、このスポーツがもっと世界に伝わることを喜んでいます。


若い選手たちは、そのトニーから見守られ、活躍を称えられとても嬉しそう。そんな姿を見ていると、トニー・ホークという存在は、スケート界の神であると同時にゴッドファーザーというか温かく見守ってくれる父のような存在でもあるようです。

一方、スノーボード界の神と称されるテリエ・ハーコンセンは、相変わらずオリンピックには手厳しい反応を続けています。
以下の動画は、1か月前にテリエが自身のユーチューブ・チャンネルに投稿した動画なのですが、何やらのルウェーの権威あるスポーツ管理者であるBerit Kjøllさんに対し、ある記事(※おそらくテリエ自身の主張記事)にしっかりと対応していなかったり、表現の自由が十分にないTシャツを着ていたり、そういうことに対して、憤りを感じているようです。

残念ながら、僕にはこのノルウェー語の動画がどんなことを伝えたいのか、その詳細はイマイチわからないのですが、テリエがこれまで通り一貫してオリンピックに対抗していること。オリンピックというか、IOCオリンピック組織委員会に対してひじょうに不愉快に思っているのは確かでしょう。

テリエがIOCに対して反抗を続ける理由

スノーボードが1998年に初めて長野オリンピックに正式種目として採用され、その頃からずっとテリエはずっと「オリンピックが嫌い」と主張しています。当時、絶対王者で出れば金メダル間違いなし!と言われていたテリエでしたが、長野はオリンピックには出場を拒否しました。

2014年には、ヨーロッパを代表するスノーボード専門誌『Whitelines』の電子版で「私が今でも五輪が嫌いな理由」を発表しました。

テリエがオリンピックが嫌いな理由を一言で伝えるなら、当時あったスノーボード協会を無視して、IOCは国際的なスキー協会であるFISにオリンピック競技を託してしまったからです。テリエは、『自分たち=スノーボーダー』が本来なら競技運営できていたのに、そこを蔑ろにしてスキーの一部としてスノーボードが採用されてしまったこと。またIOCのは、スノーボードが若者に人気あり、お金を生むという点で採択してしまったことを許せないのです。

これは、1990年代からスノーボードを古くから知る者にとっても、同じような気持ちがあるのではないでしょうか?

しかし、僕には、テリエのように恨み続けることはできません。オリンピックによって、世界中の人にスノーボードの魅力が伝わったことが事実です。
IOCがオリンピック種目の採用方法は間違っていたと思うし、オリンピックによる人々のスノーボードに関するイメージもちょっとおかしな方向にも進んだと思いますが…。その祭典に参加する選手にも罪はありません。彼らの切磋琢磨しながら挑むパフォーマンスを楽しみ、スノーボードの魅力を伝えてくれる彼らを心から応援しています。

スケートボード界がスノーボード協会の二の舞を踏まなかった理由

興味深いのは、今回スケートボードが東京オリンピック種目になった経緯です。
驚くほど、スノーボード界と似通った道を歩んで来ています。

2014年12月、モナコで開催されたIOC臨時総会において、オリンピックの改革案が採決。この中には、開催都市のオリンピック組織委員会が追加種目を提案できるということが含まれていました。
当時あった国際スケートボード連盟は、IOCにスケートボードのオリンピック競技採用を働きかけていました。
このことは、1998年の長野オリンピック前に、当時あった国際的なスノーボード協会がオリンピック種目に採用を働いていたことと、まったく同じです。

しかし、国際スケートボード連盟は、IOCの未承認団体だったこともあり、東京オリンピックの協議委員会は、国際スケートボード連盟の頭越しに国際ローラースポーツ連盟にスケートボード競技の運営を託してしまいました。
このことも、長野五輪の時と同じですね。オリンピック委員会は、スノーボードというスポーツを無理やりスキー団体FISに放り込んでしまいましたから。

だけど、ここから先のストーリーが違います。
国際スケート連盟の会長のゲイリー・リーム氏は、「オリンピックのスケートボード競技にその歴史や文化を知る自分たちが関係しないのはよくない」と考え、IOC、さらには国際ローラースポーツ連盟と盛んに接触するようになったのです。

2016年8月にスケートボードの2020東京オリンピック追加種目が決定するという見込みの中、2016年5月末、国際ローラースポーツ連盟の本部もあるローザンヌのIOC本部で、IOC競技部、国際ローラースポーツ連盟、アメリカから出向いた国際スケートボード連盟の3者で非公式会談が持たれました。
その結果、国際ローラースポーツ連盟がオリンピック、国際スケートボード連盟はそれ以外の国際大会を主催する他、オリンピックでの競技、構成、審判、コースの設計することで合意したのです。

長野オリンピック時には、当時あったスノーボードの競技フォーマットを強引にFISにぶち込んでしまったため、大混乱となりました。
ハーフパイプのジャッジ育成から始まり、それぞれの国のナショナルチームは、ドタバタにコーチや選手を決めていった経緯があります。
戸惑った選手は、そのまま当時あったプロ組織の方にいたりして、実力ある選手がオリンピックに出れないケースもありました。

その8年後のトリノ・オリンピックでは、プロ・スノーボーダー側が、「ボーダークロス」と呼んでいた競技を、その名称に著作権が絡んでいたとかで、オリンピック用に「スノーボードクロス」として改名して開催。このへんの手法も、FISはなかなか強引ですね。強引というか、傲慢と言うべきかもしれません。

結局のところ今でこそ、あの時のような戸惑いはなくなり、オリンピックは世界一のスノーボーダーを決めるにふさわしい大会となりました。しかし、スノーボード界はスケートボードのようなオリンピック種目への道を歩まなかったため、多くの人が失望し、怒って来た歴史がありました。運営する方は途方もない努力をし、もしかしたら不必要だった労力を強いられたのです。

スケートボードの協会の動きは、オリンピックと国際大会を分けるだけに留まりませんでした。最終的には2017年6月に国際ローラースポーツ連盟と、国際スケートボード連盟が統合することが発表され、実際に同年9月に統合したのです。名称もワールドスケート (World Skate) に決定!!さらにゲイリー・リーム氏は、ワールドスケート・スケートボード委員会委員長に就いたのです!
やり手なオッサンです。スケートボードを愛するあまり、オリンピックでは誤解なきようこのカルチャーを伝承するように働きかけ続けたのでした。
(以上の項目の内容は、ウィキペディアの2020年東京オリンピックのスケートボード競技を参考にしました)

※今回のコラム執筆にあたり、あえて国際スケートボード連盟 (International Skateboarding Federation)の名称であるISFと明記しませんでした。なぜなら、かつてスノーボードの国際連盟も同じくISF(International Snowboarding Federation)と呼ばれていたからです。そこで読者の方に混乱させないように、そのまま「国際スケートボード連盟」と伝え、またそのバランスを考え国際ローラースポーツ連盟の総称であるFIRSという伝え方も控えました。IOCは、すでに多くの人が国際オリンピック委員会というイメージを持っているので、そのまま使うようにしました。

IOCの英断はスノーボード採用時のドタバタ劇を避けるため!?

以上のあらましが、スケートボード協会がスノーボード協会とは違って、オリンピック競技を管轄する流れです。

もし、1998年の長野オリンピックの時、スノーボードの扱いに困ったFISに対して、国際スノーボード協会が敵意を込めずにリーム氏のように歩み寄ったら、また違ったスノーボードの歴史が生まれたのかもしれません。今のように、スノーボードのプロ競技と、FISのワールドカップが離れることなく運営されていたり、長野オリンピックの金メダリストはジャン・シーメンではなくテリエ・ハーコンセンだったのでは、ないしょうか。またテリエは今回来日したトニーのように温かくオリンピックに参加した若い選手たちを応援していたのかもしれません。

しかし、IOCの立場からしたら、あの苦い経験があったからこそ、スケートボードという新種目の扱いをローラースポーツとスケートボードという2つの協会を1つにまとめたということも考えられます。結局のところこの英断は、スノーボードをオリンピックに組み入れた時に生じたあの強烈なドタバタ劇なようなことを避けるためであったのかもしれないのです。

●以下、参考リンク。
国際スケートボード連盟が死守したオリンピックへの道
https://www.fashionsnap.com/article/2016-12-17/skateboard-olympic/

●以前、DMKでアップしたこちらの記事『長野オリンピック選手選考はSAJ決定ではなくJSBA選考の話が出ていた』もぜひ参考にしてみてください。長野オリンピック時の騒動がどんなものだったか、想像できる興味深い内容です。
https://dmksnowboard.com/nagano-orympic-uproar/

コラムニスト・飯田房貴
1968年生まれ。東京都出身、カナダ・ウィスラー在住。
シーズン中は、ウィスラーでスノーボードのインストラクターをし、年間を通して『DMKsnowboard.com』の運営、Westbeach、Sandbox、Endeavor Snowboards等の海外ブランドの代理店業務を行っている。日本で最大規模となるスノーボードクラブ、『DMK CLUB』の発起人。所属は、株式会社フィールドゲート(本社・東京千代田区)。
90年代の専門誌全盛期時代には、年間100ページ・ペースでライター、写真撮影に携わりコンテンツを製作。幅広いスノーボード業務と知識を活かして、これまでにも多くのスノーボード関連コラムを執筆。最新執筆書『スノーボードがうまくなる!20の考え方 FOR THE LOVE OF SNOWBOARDING
今でもシーズンを通して、100日以上山に上がり、スノーボード歴は36年。