海外から衝撃的なニュースが入って来たので、日本のみなさんにもいち早くお伝えしよう。なんとスノーボード界の神と言われているテリエ・ハーコンセンがBurtonから解雇されたというのだ。おそらく、このニュースは世界でも2番目にお伝えすることになると思う。
その衝撃的な一報、『Terje Håkonsen Dropped by Burton?!』を伝えたのは、オーストラリアとニュージーランドを中心にスノーボード情報を配信しているtransferだ。
transferメディアが、最初にこのことを突き止めたのは、ある噂だったそうだ。それは、Burtonの公式サイトのチームページから、テリエの写真がなかったそうだ。お馴染みのダイス(※四角囲みのライダー写真)から、テリエが消えていたのである。そこで業界では、「テリエはもうバートンに乗っていない」という話が飛び交ったというのだ。
そこで実際に、 transferはバートンに確認したところ、たしかにテリエ・ハーコンセンはBurton所属チームに在籍から外れているということを聞いたのである。テリエがバートンと契約したのは、1989年!実に32年も在籍していた功労者を外したのである。(※解雇ではななく、テリエ自ら去ったのかもしれない)
バートン側は、テリエがBurton Snowboardsに乗らない理由を伝えることを拒否されたとのことだ。
そこで、transferは記事の最後に「あなたは、どう思いますか?」という形で、読者にその理由を投げかけるようにして結んでいる。
●参考リンク
https://transfermag.com/news/terje-hakonsen-dropped-by-burton/
バートンの思惑とテリエの思いを考察
ここからはDMKの考察。
バートンの思惑とテリエの思いを推測していきたい。
これは、transferの一般投稿にもあったのだが、「企業による緊張感を嫌う」ということもあったのかもしれない。
投稿の中では、テリエがあるスキーヤーがゲイを表明したことによるテリエの書き込みという例で出していたが、これまでにもテリエはオリンピックIOC委員へ強烈な皮肉メッセージを送るなど、世間を騒がす一面があったようにも思われる。テリエの主張は強いだけに、バートン側は眉唾物として聞いていたこともあったのかもしれない。(※ちなみに私の見解では、この点はテリエが正しい!人気があったウィンタースポーツ、スノーボードを当時あったスノーボード協会を無視して、IOCは奪った印象がある)
何しろバートンは、数多くのオリンピック選手ライダーを抱えているので、チームのアイコン的象徴が反対となれば、このへんの隔たりは想像できる。クリーンなイメージ企業に成長しているバートンは、時に過激な主張するテリエとの緊張感から解放されたいと思ったのもしれない。
記者は、1987年からスノーボードをしているし、その頃から専門誌も拝見して来たので、テリエのスノーボード界のもたらせた功績の大きさは誰よりも知っている。しかし、近年のテリエの活躍を振り返れば、それほどの実績もなかったようにも思える。テリエ・ファンには怒られそうだが、かつてのような映像パートを見せるようなことはかなり減っていたと思うのだ。まあ、テリエのようなレジェンドなら、1シーズンに一発でも凄い写真か映像を放ってくれれば、OK!という考え方もあるかもしれないが…。やはりプロとして契約する以上、ある程度はコンスタントに活躍する姿を見せる必要があったのではないだろうか。
バートンのカタログには、よく所属ライダーたちが登場し、メーカーを宣伝する写真が拝見できるが、そういう場面でのテリエの登場もなかったと思う。
テリエとしては、ジェイク・バートン氏もこの世を去り、それほど思いを寄せる人がもうバートン内に残っていない、という気持ちもあったのかもしれない。思えば、1か月半前に、懐かしい1989年の写真を自身のインスタから披露していたテリエ。もしかしたら、すでにこの時にバートンから去ることを決めていたのかもしれない。
スノーボードがこの世に誕生してから、おそらく最もスノーボード界に影響を及ぼしたプロ・スノーボーダー、テリエ・ハーコンセン。それだけに、今後の活動が気になるし、またこれからもテリエがこの業界に伝えるメッセージにも耳を傾けていきたい。
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1993年テリエ・ハーコンセンのハーフパイプ・ラン
https://dmksnowboard.com/1993-terje-hp/