ダミアン・サンダースを忘れないでほしい!

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あれ、なんでこんな話になったのか、思い出せないけど…。あっ、そうだ!今日来ていた生徒さんが乗っていたスノーボードが、Avalanche Snowboardsで、それでダミアン・サンダース(Damian Sanders)の話になったんだ。

今朝、イントラ仲間の40代二人、しかもスノーボード・キャリアが20年にもなるのに!ダミアン・サンダースを知らないと聞いて、びっくりしたなあ。

最近のスノーボーダーの方は、ラマさんやいぐっちゃん。は知っていても、神テリエ・ハーコンセン、あるいはスーパーレジェンドのジェイミー・リンは知らないと言います。まあ、そういう世代なんだな、と思いますが…。

かつて、忠(布施)、アキくん(平岡)に「影響されたライダーは?」と聞いたら、「ジェイミー・リン」とか言っていて、クレイグ・ケリー世代の自分として、ちょっと寂しい思いもしましたが…。さすがに40代のスノーボーダーがダミアン・サンダースを知らないって、ちょっと寂しい気持ちしがしました。

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ダミアン・サンダースは、特に1989年から1993年くらいに、活躍したライダー。

特徴的だったのは、コフラック(ブランド名)というマウンテン用のスキーブーツなようなもので、ハーフパイプをやっていたことです。
当時、活躍していたクレイグ・ケリー、ジェフ・ブラッシーは有名でスタイリッシュでそれぞれの持ち味があり、まだ同時期に活躍していたショーン・パーマーも優れたパフォーマーでした。

簡潔に彼らのスタイルを伝えると、

クレイグ・ケリー:スタイリッシュの源流、その後、テリエ・ハーコンセンにも引き継がれる。
ジェフ・ブラッシー:ガニーなスタンスでクレイグとは一線を引くスケートスタイル。その後に活躍するトレバー・アンドリュー、そして現在のダニー・デービスにもつながるような茶目っ気があるフレンドリーでスノーボーダーたちに愛されるキャラクター!
ショーン・パーマー:爆発系。ともかく大きく飛んでスピンをかっ飛ばす。世界初のバックトゥバック5を完成し、後にクロス界の教祖にもなる。

と、僕の勝手なイメーですが…。そんな感じです。

で、ダミアン・サンダースというライダーは、どんなものか?というと、ともかく3人を超越するようなぶっ飛び度が高かったという感じです。
当時のブーツが、柔らか過ぎて、攻撃的なエッジングができない中、コフラックというハードブーツを使っていたお陰もあり、誰よりもぶっ飛んでいました。

その姿が多くのスノーボーダーに知れ渡ったのは、1991年のスノーボード・ムービー作品『Critical Condition』だと思います。
今見ると、そんなにぶっ飛んでいない印象ですが、当時のスノーボーダーたちにとっては衝撃的でした。

ダミアンの最も印象的なエピソードとしては、ガールフレンドがPLAYBOYの女優さんだったことです。
僕は1990-91シーズンにウィスラーに来たのですが、その夏、ブラッコムのサマーキャンプ時にダミアンとショーン・パーマーはブラッコムのセブンスヘブンにあるナチュラル・クォーターパイプでセッション撮影していました。その時、ダミアンはガールフレンドを連れていたのですが、なんとセブンスのリフトを降りる時、ガールフレンドは何を思ったのか、僕がセブンスのリフトを上がっていた時、サービスでタンクトップを脱ぎ捨て、放漫なおっぱいを出してくれたのです。当時、21歳の僕としては、衝撃的過ぎる眩しい光景でした。
おそらく当時、多くの人からちやほやされた彼女は、多くの人からおっぱいを出すことで「わんやかんや」の歓声を受けることをおもしろがっていたのだと思います。

ダミアンというライダーもそのプレイメイトの相手にふさわしいようないで立ちで、オオカミの毛のような金髪をなびかせ、ピンクのコフラックのブーツでゲレンデを縦横無尽に暴れまくっていました。

その翌年だったかなあ。日本にも来日し、サンシャイン60(池袋)で行われた世界初だったのかもしれないスノーボードの展示会で、多くの日本人ファンからサインをせがまれていました。本当、見た目がスターで華があったライダーだったと思います。

だけど、活躍して時期が短った印象もありますね。
北海道のルスツとかで世界初のISF国際大会の時の来日、あれがたしか1991年か92年。その後、2、3年くらいしか活動していなかったように思います。
あの後、彼はどんな人生を辿ったのでしょうか…。

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コラムニスト・飯田房貴
1968年生まれ。東京都出身、カナダ・ウィスラー在住。
シーズン中は、ウィスラーでスノーボードのインストラクターをしており、年間を通して『DMKsnowboard.com』の運営、Westbeach、Sandbox、Endeavor Snowboards等の海外ブランドの代理店業務を行っている。日本で最大規模となるスノーボードクラブ、『DMK CLUB』の発起人。所属は、株式会社フィールドゲート(本社・東京千代田区)。
90年代の専門誌全盛期時代には、年間100ページ・ペースでライター、写真撮影に携わりコンテンツを製作。幅広いスノーボード業務と知識を活かして、これまでにも多くのスノーボード関連コラムを執筆。主な執筆書に『スノーボード入門 スノーボード歴35年 1万2000人以上の初心者をレッスンしてきたカリスマ・イントラの最新SB技術書 』『スノーボードがうまくなる!20の考え方 FOR THE LOVE OF SNOWBOARDING』がある。
今でもシーズンを通して、100日以上山に上がり、スノーボード歴は37年。
スノーボード情報を伝える専門家として、2022年2月19日放送のTBSテレビの『新・情報7daysニュースキャスター』特集に、また2022年3月13日に公開された講談社FRIDAY日本が「スノーボードの強豪」になった意外な理由にも登場。
インスタ:https://www.instagram.com/fusakidmk/
ツイッター:https://twitter.com/dmksnowboard

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