テリエ・ハーコンセンが自身のインスタで、1993年スイスのレザンで開催されたISFワールドカップでのハーフパイプ・ランを公開した!
テリエがUS OPENに初登場したのは、1990年。この年の王者は、クレイグ・ケリーだった。
この後から急速にテリエは活躍を始めたが、クレイグは1992年にコンペティションを引退したので、残念ながらテリエが最も敬愛していたゴッドファーザーを大会で打ち破ることはなかった。
しかし、その時期すでに世界のトップに走っていたテリエ、この映像を残している1993年には誰もが認めるチャンプ。
当時のハーフパイプは手彫りで小さなサイズだったために、高さを出すのが難しかったのだが、当時からテリエだけは、群を抜いていた。テリエが滑り出すと、パイプの前列で観れない後ろの観客までハイエアーを堪能できたのである。
エアー・トゥ・フェイキー、アーリーウープなどシンプルなトリックは、今見ていても気持ちいい。そして代名詞のマックもスタイリッシュだ。
王者の風格か、最後の方にはリップを飛び出しプラットホームでノーズプレスをしている。あの時期、こんなトリックまで出していたのは知らなかったので、興味深い映像だ。
ちなみにここで使用しているボードの長さは、なんと152センチという短さだった。
1996年には苗場でマスターワールドカップが行われたが、その頃のテリエのライバルと言えばダニエル・フランク。
しかし、今、過去を振り返ると、やはりテリエの存在の方が大きかった。
当時は東西の横綱対決というイメージもあったが、冷静に思い起こすとやはり横綱と大関ぐらいの差はあった。
1998年に長野オリンピックがあったが、テリエはボイコット。
出場した当時のトップ選手、トッド・リチャードもオリンピックでのジャッジングの不満を伝え、「出るべきではなかった」とコメントしている。
この後、当時スノーボードの世界大会を管轄していたISFは、オリンピック選考大会から外れることで存在価値が急激に低下。その後、当時のスノーボード・プロ組織の怨念の中、消えていくことになる。
テリエにとってスノーボーダーによって立ち上げられたISFへの思いは強く、あの楽しくて充実した時期を思い出しながら、この動画をアップしてくれたのかもしれない。
ちなみにテリエの全盛期時代、テリエのシグネチャーモデルを買うのは至難の業だった。
すでに冬に入る前には完売していたものだ。
あの頃のスノーボード界の勢いも今では懐かしい。