【フサキ日記】天職と思えるスノーボード・イントラという仕事に出会えて

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今季のスノーボードのインストラクターの仕事を終え、今日はユニフォームを返却しに行きました。来季は新しいデザインのユニフォームというになるということで、楽しみです。
イントラを始めてから15シーズン過ぎたので、会社(ウィスラー)から勤労の感謝を込めて100ドルのショッピング券もいただきました。ありがたいですね。
ちなみに25シーズン仕事すると、ウィスラー、ブラッコムの永久シーズンパスがもらえます。自分が働く部署、ウィスラーのアルパインにはすでにこうしたパスを得たベテラン・スキーイントラの方も少なくありません。

レッスンしている時の生徒さんの喜んでいる姿、あるいはレッスン後の感謝のコメントをいただき、イントラという仕事の充実感を強く感じることできます。
そもそもスノーボードすることが大好きだったわけですが、38シーズン目の今季は、これまで以上に自分が滑るよりもレッスンが楽しいと思いました。
レッスンというのは単に教えるだけではなく、ウィスラーの最高に楽しいコースを味わってもらって、生徒さんに感激してもらうことも含まれます。
もちろん生徒さんのレベルによって、最高に楽しいコースは変わりますが、できる限り出会った生徒さんを深く理解し、上達で困っている部分をサポートするようなアドバイスしたり、ウィスラーで良いコース体験を味わいたいという生徒さんを楽しますよう心掛けています。

家に帰って、お風呂の後にビール一杯を飲む時、「イントラって天職だったなあ~」と実感します。

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インストラクターを始めたきっかけは、人生で最も最悪の一日の出来事がきっかけでした。

当時、僕はウィスラービレッジにコンドミニアムを所有していたのですが、そこのバスルームの空調のファンが、落ちてトイレットペーパーに引火して火事になってしまったのです。完全に建物が燃えたわけではないので、ボヤと火事の中間ぐらいの状況だったのですが。

持ち家に加えてコンドミニアムでも所有した当時の僕は、一見すると成功者に見えるかもしれませんが、その実態は逆で自転車操業。毎月のローンの返済で四苦八苦していました。建物などは保険でカバーできたのですが、コンドミニアムに滞在していただける方の家賃収入でなんとか回していたので、それがなくなり金銭的に苦境に陥りました。
その時の僕の仕事は、今で言うスノーボードカンパニーのアンバサダー、あとはスノーボード専門誌の執筆や写真撮影など。大した報酬ではありませんでした。

コンドミニアムが火事になったことで、家賃収入はなくなり、当面のキャッシュフローに、ざっと見積もって100万円くらい必要になりました。正直、「困ったな」と思いました。

困り果てて、実家のお袋に相談したところ、「お金を貸すのはいいけど、その前になんでも自分でやってみなよ。プライドなど捨てて、掃除でもなんでもやればいいんだよ」とはっぱをかけられました。

このアドバイスで吹っ切れて、「そうだ!とりあえずなんでもやってみよう!」と思いました。
そもそもその時まで人生で面接とか履歴書とかほぼ作っていなかったけど、その時はまずは手っ取り早く掃除のバイトから始めました。
バー、あるいはホテルのレストランのクリーニング。さらにその掃除会社が契約しているコンドミニアムの掃除などをしました。
しかし、約束は必ず守る自分が、仕事の待ち合わせ時間を忘れるポカが3度もありました。おそらく、その時は精神的にかなりやられていたのだと思います。心の底で「行きたくないな」という感情が、僕の脳メモリーに何か信号を送っていたのだと思います。
急にマネージャーから電話が掛かって来て、「なんで来ていないの?」と。「すみません…、すぐに向かうようにします」と答えても「もう、いいです。あなたの代わりはいます」みたいに電話がガチャっと切られて。

自分でも「こりゃあ、おかしいな?」と思いましたね。「オレ、どうしちゃったんだろう??」と。

そんな時、妻から「スノーボードのインストラクターやったらどう?」と提案されました。
「あっ、そうだ!そう言えば、オレ、ずっと前にスノーボードのハウツービデオを作るのあたり、何か肩書があった方がいいということで、スノーボードのイントラ資格を取っていたんだ」と思い出し、早速、シーズン前の最終ギリギリ段階でアプライすることに。
久しぶりに面接インタビューのために、ボタン付きのシャツを着て挑むと結果は、「まあ、英語はうまくないけど、レッスンするくらいの最低限の英語力はあるかな。採用するよ」と言ってくれました。
あの試験管、今はどこにいるのだろう?あの時のことを思えば、本当に感謝です!僕の人生のターニングポイントでした。

最初のシーズンは、パートタイムで週2回くらい働きました。
レッスンの後、家に帰った後、考え込む日がありました。「あの生徒さん、どういうアプローチならもっと上達できたのだろう?」
レッスンするたびに、そんなこと考えていて、「あれ、オレ、この仕事、好きなんじゃない?」と思うようになりました。
これまでにも日本で何度もスノーボードキャンプしてコーチングしていたけど、「確かにオレ、夢中になって楽しんでいたなあ」と。それが週2回できるって、とても幸せに感じたのです。というか週2回では満足できなくなりました。

そこで、次のシーズンからはフルタイムで働き、今に至ります。
あの時、もしコンドミニアムが火事になっていなかったら…、今の自分はどんな人生を歩んでいたのでしょうか?
もっとも最悪な出来事と思っていたことが、良い人生のきっかけになるなんて!

何か不思議な縁を感じます。





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