速さで順位が決まるスピード競技の勝敗は、選手のタイムやゴールでの争いで誰が勝ったかわかるので明快だ。
その一方、ジャッジングによって勝敗を決める競技は難しい。
素人はもちろんプロでさえ、演技の得点が決まっても「?」マーク顔になったりするケースも珍しくない。
過去の五輪ハーフパイプ競技においても、ジャッジの結果にマスメディアが疑念を残し、賑わしたこともあった。
五輪シーズンを迎え、僕たちはハーフパイプのジャッジングのことをよくわかっていない。
そこで、今回は、このジャジングについてくわしい綿谷直樹氏にお話しを伺うことにした。
日本のハーフパイプ・ナショナルチームを2五輪大会に渡りコーチングして来て、現在もYONEXのアドバイザーとして、選手を育成している綿谷氏は「ジャジングがわかれば、おもしろい!」と言う。
一方で、ソーシャルメディア等が発達し、そもそも知識を持っていない者が適切とはいえない判断を、公に情報として流布することを危惧している。
そこで、今回はメディアである我々、DMKも反省の意味を込めて、氏の熱いメッセージをしっかりと受け取り、多くの人にスノーボードのジャッジングのことについて伝えたい。
これは知れば、もっと五輪を楽しめ、もっとスノーボードを楽しめる!という気持ちを込めて。
インタビュー:飯田房貴
目次
ジャッジング・システムは成長する生き物
今回はこのハーフパイプのジャッジングについてのインタビューに参加していただいて、ありがとうございます!
スノーボード、ハーフパイプに限らず、ジャッジングの結果については、しばしば物議をかもすことがありました。
フィギュアしかり。スノーボードではソルトレイク五輪の中井孝治のジャッジング。
本人も周りもメダル獲得したような雰囲気だったのに、結局5位に。ジャッジング競技の違和感というか、難しさを見たケースです。遡って、スノーボードが初めて五輪種目となった長野 でも、一部選手がジャッジングについて不満を持っていたようです。
そこで、今回はジャッジングのことについて綿谷さんにお伺いしたいのですが。
こちらこそありがとうございます。
初めてのオファーが信頼できるDMKのサイトであることを大変光栄に思います。
掲載には長いスペースを使うと思いますが、皆さんに少しでも理解して頂けるよう、頑張ってみたいと思います。
では、まず最初から大きな誤解を生んでいるので、そこからクリアにしましょう。
長野五輪やソルトレイク五輪のジャッジの例を今頃になって挙げることこそが大きな誤解を生むのだと思います。
これは日本の法律でも同じですが、過去に違法とされたものが今は合法だったり、過去に無かったことが今は違法として新たに生まれたりするのと一緒に、ジャッジシステムも、スノーボード・フリースタイル競技の繁栄のために、たくさんの人が悩み、 努力し、成長を続けているということだけは理解してほしいと思います。
つまり 「今は過去とは違うので、過去の引出しから問題を出すのは愚問だ」ということです。
また、今の社会全般に言えることですが、実際に選手の演技を見ず、順位という明確な結果が出たからといって、それらを批評をするのは、信憑性も確かめず、無責任に誰かの噂を流しているようなものだということです。
特に仕事として情報を発信する方々には、このような人として恥ずかしい行為と同じような行為をする前に、一度、深く考えて欲しいと思いました。
それくらい、選手は必死になって滑っていますから。
(その国を代表し、その国を背負った戦士は、誰にも知れない世界で戦い続けている。単なる順位で評価するのは信憑性に欠けると危惧する綿谷氏)
--なるほど。ジャッジも生き物で進化するというものだから、過去を例に出しても仕方ないのですね。
そうです。過去の話は過去の基準を基に話さなければいけませんし。
そして現在のジャッジシステムについてですが、もし誰かが、それを完璧なのかどうかと問うなら、集計や表示など機械がやる行為以外は、ジャッジという人間が、主観によって行うことであり、何をもって完璧と言うのか、逆に聞きたいくらいです。
センサーを付けてGPSで高低差を計って高さを見たり、レーザーを飛ばして飛距離を計れば、それでこの競技が完璧で、万人に評価してもらえる審判方式になるとでも言うのでしょうか?
そもそも、そういった質問を投げかける方こそ、実際はスノーボード競技を知っているフリをしている人だったり、フリースタイル競技に対して否定的だったりするのではないでしょうか?
まずは、このように過去のことや既成概念を捨て、これからお話しすることで、今のリアルなスノーボードシーンをイメージして頂けたなら、これからお話しする内容が皆さんのご理解に大きな役に立つだろうと思います。
スノーボードジャッジとは?十分に訓練された審判員であるハズ
--完璧は無理であるとはしても、それでも僕たちはジャッジにそれを求めてしまいます。
一方、その考える要素、知識がなく、そこに大きな誤解が生じるのでしょう。
確かにその通りです。
競技会として成立させ、万人に理解して頂くために優劣は付けなければならないし、見ている人に理解して頂きやすい工夫は絶対に必要です。
ジャッジシステムとは、それを実現する方法の1つだと私は思います。
では、競技会における成績を作る要であるスノーボードジャッジとは何者なのか。ということからご説明しましょう。
結論から言いますと彼らは「十分に訓練された審判員であるハズ」ということです。
基本的に彼らはフリースタイル系スノーボーダーであるはずであり、フリースタイル競技の採点について、知識だけでなくルールや採点のスキルも含め、大会運営に係わる様々なことに精通していなければいけません。
そのような彼らは、その場で技の映像を見せられただけで
「あっ、これはスィッチアーリーウープマイケルチャックのダブルのインディグラブ」
とか
「次は、バックサイドトリプルコーク1440のミュートグラブ」
などと即答でき、さらにその技単体にについて
「1ヒット目は、グラブが短いが、高さがあり、着地はミス無し」
とか
「2ヒット目は、グラブはしっかりしていてポークもしているが、高さは中くらい。着地でボトム側に落ちて失速している」
という評価までできるよう訓練されているハズなのです。
コースのサイズ等に依りますが、ハーフパイプにおいてはこの演技単体を6~7発程度、スロープスタイルにおいては、ジャンプ系が3つにアイテム系を2つ程度、それぞれの演技のつなぎも含め、全てを見るのです。
それを1つの競技会において男女それぞれ、参加選手数×予選2本、決勝2か3本を見て行くのです。
決して楽な作業ではありませんし、時にはマイナス20度くらいの寒さの中で震えながら進めるのです。
(瞬時に選手が何回転した技を行い、高さやスムースまで審査するジャッジング陣。そのプレッシャーたるやハンパでないことが想像できる。)
--僕たちは批判ばかりに目が向きがちだけど、そう考えるとジャッジというのは、もの凄く訓練されたスーパーマンのような方たちですね。
彼らは、どのような訓練をして、五輪ジャッジまでに辿りつくのですか?
私が実際に経験し、知っているのはFISのみであることを前提にお話しします。
(注:FISの方で五輪スノーボーディングのジャッジングを管轄し、X Gamesなど他のビッグ大会とは違うグループが行っているケースがある。)
ジャッジには、競技会でジャッジをするためのライセンス制度があり、ジャッジの経験に応じて格付けもされています。
まずジャッジになるためには、ジャッジとしての教育を受けなければいけません。
ジャッジクリニックという講習会が、毎年、世界中で実施され、各国でそれを受講し、そして試験を受けて認定された方々に対し、公式試合でジャッジを行う資格(ライセンス)が与えられます。
さらにFISではジャッジは経験値に依って、ジャッジできる競技会のクラスが違うため、ライセンス取得直後のジャッジにはその技量に合ったクラスの競技会まで参加できるよう、制限を与え、経験値に応じて更に上のクラスの競技会でのジャッジができるようになっています。
もちろん、その資格は一度取得してしまえばいいと言う訳ではなく、2年毎に講習会を受講しなければいけません。
例えば、私のようにコーチとしての仕事があって、2シーズン以上、更新のためのクリニックに参加できない場合は、公認ジャッジとして公認競技会でのジャッジはできなくなっているでしょう。
--思っていた以上にずっと厳しい資格なんですね。
ここで言いたいのは、それらの採点結果は、「どんな人」が生み、「何を」基準にして生まれ、「どのように」集計されたのか。それを知ることこそが問題解決の糸口になると言うことです。
理由を知ろうとはぜず、点数だけで不満を言う前に、これこそが考える要素であると言うことです。
--確かに僕たちは表面的な点数だけでとらわれて、そこにある本質の要素は何1つわかっていなかったってところがあります。
「どんな人」についてはわかって頂けたと思います。
では、「訓練された審判員であるハズ」の方々によって採点されているのに、なぜ、理解できない事が起きるのでしょうか?
それは、その競技会が「どのような人(ジャッジ)達で優劣を付けられるか」です。
ワールドカップではあり得ませんが、例えば、ジャッジの経験も無い過去の有名なプレーヤーをジャッジにすると信頼できる結果を出せるのか?
公認資格さえあれば、経験の浅いジャッジでも適切なジャッジができるのか?
そうではないと思います。経験の積み重ねや日々の鍛錬こそが大事で、それを行っている方こそがホンモノだと思います。
それでも結果が理解できないのであれば、
「そもそもその人自身が、”採点基準” とは何なのかを理解していないから」か、「採点するプロセスに何らかの問題があったか」なのではないかと思います。
(4年に一度の五輪では選手だけでなく、ジャッジにとっても大舞台。訓練されたエリート中のエリート軍がジャジングしている。)
スノーボード・ジャッジングにおけて点数の概念
--うーん、確かにいくらスノーボードに長けたプロのライダーでさえ、ジャッジングという領域に入れば、それなりの経験が必要ということですね。
良い野球選手が必ずしも良いアンパイヤーにはなれないだろうし、やはりそこには訓練が必要であるということが想像できます。
では、これまでの話を前提に、この「点数」の概念をご説明します。
詳しい採点方法はいろいろありますし、年々改訂されており、マスメディア等でも説明されていると思います。
そして何よりも、2年間講習を受けていない私のような者が古い情報を元に話すのも不適切なので、割愛します。
そして、この記事をご覧になったジャッジの方々からの意見もあると思いますので、ルールに基づく説明は致しません。
計算そのものは算数ができれば誰でもできるのです。
算式は「足し算」「引き算」「割り算」だけです。
足し算は「各ジャッジの点数の集計」、引き算は「演技中のミス等による減点」、そして割り算は「集計に伴う按分のため」です。
技に種類や難易度に応じて与えられた点数はありませんし、スタートからフィニッシュまでのタイム計測もありません。
強いて言うなら、ここは大事だと思いますが、ミスに対する減点基準は非常に細かく設定されてます。
これらに対し、難しいことは別にして、我々が理解しておくべき点としては、「点数は目に見える数値であって、大切なのはそれが与えた結果としての”順位”である」ということです。
--点数は目に見える数値であり、大切なのはそれが与える”順位” である・・・。
はい。そして、個々のジャッジは、「同点は与えないようにする(合計での同点は大いに有り得る)べき」ことと、「必ずそのジャッジの主観に依る適切な順位を付けるべき」ということが重要なのです。
つまり、ある試合で、「優勝した選手が85点で、その前の日の予選では1位は93点だった」可能性もあって当たり前ということです。
この点数を出した選手が同じ人だった場合、「決勝の時の演技は85点程度だったが、前日の予選のランは明らかに決勝より良かった」ということなのです。
この点数の差はどうやって起きるのかと言うメカニズムを知ればいいのです。
ジャッジはまず、試合前の公式トレーニングで参加選手の練習を見ながらある程度の採点の目安を決めています。
それは競技会によって参加する選手も違うし、競技会のレベルに依っては別の競技会とのスキルの差が顕著だったりします。
こうして選手を「高いレベル」「平均以上」「平均程度(失敗を含む)」「平均以下(失敗を含む)」「低い(失敗を含む)」と点数の幅をグループ化して行く訳です。
そうすることによって、参加選手全員の順位付けを可能にさせて行けるのです。
ただし、選手も練習が全てではないので、本番ではしっかり立てる者もいれば、本番に弱くてミスを連発する者も居る訳です。
しかし、例えミスする選手が連続しても順位は付けなければならず、予選の演技を考慮すると、前述の選手は、予選の滑りをすれば同じような点が得られたはずです。
--なるほど、個々のジャッジが同点を与えないようにして、ともかく順位を付けているということは、ほとんど知られていないと思います。
ここで考えるべきポイントとして、「では、予選2位の選手は、予選で何ポイントだったのか?」ということです。
仮にその選手が予選で88点だったとします。しかし、実際にその選手は1発目で転び、結果として38点でした。
「もしかしたら…」の話ですが、この選手が決勝で予選と同じ滑りができれば、88点程度の点数で優勝できたでしょう。
それを考慮すると、85点で勝った選手に対し、前日の予選で2位だった選手の演技と比較すれば、この選手が同じ滑りをしてさえいれば優勝できたことを、ジャッジの結果が物語るわけです。
逆の発送も生まれます。具体的な例として、2年前にショーン・ホワイトがX Gameで100点満点を出しました。
この時にメディアが、「これ以上の演技はもう出せないのか」と騒ぎました。この時点ですでに「誤まった解釈」が始まっています。
この時、ショーンは最終走者だったはずです。そして既に90点台後半のポイントを出していたのだと思います。
そこで最後のランはさらに上回るランをしたはずです。そして最終走者だった。
彼を上回る要素はもう無い。
だから100点を付けたのだと思います。
ここで考えなければならないのは100点が未来永劫、その演技に対して付けられたのではなく、その時の参加選手のレベルの中での話だったということです。
極端な例として、6年前の100点であろう演技を、今、X Gameで見せたら何点になるでしょう?
ダブルコークも知られてない時代です。
これでわかってもらえるでしょうか?皆さんがいままで理解できなかったことが何なのかを。
(2010年1月に開催されたX Gamesで歴史を刻む完璧ランと言われた100点満点ラン。しかし、綿谷氏の話を紐解けば、他の大会で同じ演技しても違う結果が出た可能性を示唆している。)
ジャッジングは同順位を作らないために点数で表現する
--そうか!
点数というのは、まさにその時代、その試合を反映されるもので、生き物のようなもの。
その時の順番を付ける要素に過ぎなく、その点数自体の高さでその選手のランを真の意味で評価はできないものなんですね。
ある意味、その時の100点はその時代の最高峰だった、という観方もできるけど。
そしてこれが最も大事な概念なのですが、「同順位は作らない」ために各々のジャッジは「順番」を「点数」で表現するのです。
100点満点で、小数点を付けない場合は、単純に100人分の順位は用意できることになります。
ですが、イメージしてみて下さい。
参加選手が20人だとします。あるジャッジは1番出走の選手が80点を取り、2番の選手を75点にしたとします。
この間に何人の選手を順位付けられるでしょう?答えは「76、77、78、79」の4名です。
すでに2名が試技を行ったので、18名いるわけです。18分の4ということです。
ここに5名以上の選手が入ることはジャッジとして適切ではないことになります。
従って、前述の80点と75点の間隔を「90点と70点」や「85点と70点」などにして間隔を空けてあげると、その後の展開がどうなろうとも、適切な順位付けがし易くなるわけです。
これを”レンジ”と呼んでいます。このレンジが選手に対し「いいランをしたのに点数が出ない」とか、「あんなランでこんなに点数がでるのか」という誤解を生んでいるのだと思います。
もし、ジャッジが6名いれば6名のレンジが生まれ、それぞれがバラバラのレンジになってしまいます。
それを解消するのもポイント・ジャッジ以外のヘッドジャッジの方々の役割になるのです。
そうすれば、適切なジャッジを6名が行えば、僅差の場合を除き、順位は平均的に確定され、本当にいいランをした選手が勝ち、手堅く妥当な演技をする選手はそれなりに、失敗した選手は失敗した順位として、リザルトに反映されるわけです。
--レンジという考え方は、僕たちにはなかったので、とても参考になります。これでいくつかのミステリーの謎が解けます。
つまり、皆さんが演技を見て、理解及び判断すべきことは、「その選手の順位は何番目なのか?」ということです。
ここで皆さんとジャッジの結果に差が生まれるとするならば、それは前述の減点要素を考慮しているかどうかだったり、演技全体の中に密かに隠れている優劣だったり、プロフェッショナルのジャッジとしてのジャッジ基準に由来する公正公平さだったりが原因なのだろうと思います。
従って、「リアルなフリースタイル・スノーボーダーでなければ、試合を見て、一流の判断で優劣を決めることなどできない」ということになるのです。
そして、我々が理解するために大切なのことは、その選手が「どのような選手が出ている、総勢何名の参加の大会で、どういった演技をし、 どれくらいのポイントで、何位だったのか」ということです。
4名しか出ていない大会も、40名出ている大会での優勝も「優勝」は同じ表現になります。
大会の内容は参加する面子だけでは決められないし、その試合の格付けだけでも判断できません。
実際に選手はどのような滑りだったかということと、試合はどのような試合展開だったのかということです。
成績は必ずしも選手が求める素晴らしい演技に合致しない
--点数は、あくまでも参考であり、大切なことは順位を見るということはわかりました。
その他、僕たちが知っておくことで、今後のハーフパイプを見る上で大切なことをアドバイスしていただけないでしょうか?
もの凄く大切なことがあります。
世の中の大半の方々は選手に対して「成績としての順位」を望んでいるでしょう。
ですが、それは「演技」によって出される結果です。
--演技の結果というと?
日本の一流選手が「自分らしい良い滑りをしたい」と言いますが、私も「彼らはそうすべきだ」と本当に思います。
ジャッジシステムは基準に基づくシステムであり、それから判断される成績が、ギリギリのラインになればなるほど、必ずしも「素晴らしい演技」に合致するわけではないと思うのです。
それは技の難易度だったり、演技の構成だったり、グラブの場所やポークの方向だったり、所謂”スタイル”に関わることだったりします。
何が言いたいのかというと、「勝つことを意識した演技」なのか、「表現するための演技」なのかです。
--つまり結果を求めたのか、自分のプロ選手としてのスタイルを表現したかったのか、ということでしょうか。
例えば、ハーフパイプの演技構成でFS1080-CAB1080-FSダブルコーク1080-CABダブルコーク1080というものがあったとします。
この演技内容で80点程度の順位だとします。
80点の順位がほしい選手がこの演技を見せ続けるのか、それとも高さのあるFS1080-CAB1080-FS900-BS900で演技内容を選ぶのか、という判断です。
(スピン数や技の完成度に加えて、スムースさと高さというダイナミックさにも挑む選手たち。リアルなスノーボーダーなら結果だけを追わずに、どの選手がどんなトライをしてどんな結果を出そうとしたのか、ということも見てあげたい。その結果、転倒というミスもあるだろうが。)
--つまり技の難易度が上がったか、高さを選んだのか、ということですね。
僕も個人的には、それだけのスピン数であれば、そこに高さが加わることで、ダイナミック感が伝わり感動すると思います。
人それぞれ判断があると思いますが、私も後者を優先し、結果的に勝ってほしいと思います。
むしろFS900-McTwist-FSダブルコーク1080-CAB1080で個々の技の表現力の高い、圧倒的な高さのある演技で、予選1位になる方が素晴らしいと思います。
「自分らしいスタイル」という言葉がありますが、それを貫いてこそ我々のやることの意味があるのだと思います。
まもなく、もの凄く高さのある、完成度の高い、日本人のクリエイティブなスタイルが世界を圧巻する時が来るのだと思います。
--出た結果でなく、選手が何を狙って演技しているのか。そのへんも深く考えて観ることで、一層大会の楽しみが増えそうですね。
とはいえ、各選手は、プロフェッショナルになればなるほど、競技会毎に両方を確立させなければいけません。
例えば、X GameやTTRの一部では、ジャッジはiPadのようなモニタでランディング地点の映像を拡大して見ていたり、各ヒット毎の高さや、各ヒット毎で順位を付け、別の総合評価のジャッジと複合させ順位に反映させていたりします。
よって、時にはダブルコークやダブルロデオを連発する選手に点が出たりします。
同じ演技構成で勝つために、さらに高さのある演技にしたり、回転数を上げたり、ダブルやトリプルを加えたり、各試合に応じて演技の調整も求められるのだと思います。
そういう意味でも、選手は毎年、さらなるレベルアップを求められ続けるのです。
そういった状況下でも、自分自身のスタイルを変えず、自分らしい滑りを見せることで、競技会におけるジャッジ制度に新たなテーマや課題を与え、良い方向へさらさらなるアップデートさせるきっかけになると思います。
基準はあって然るべき。ただし、それに準じた演技構成を用意した選手だけが生き残れるものなら、規定演技制度になったも同然だと思います。自由な表現で見る人に訴える演技こそがフリースタイル競技の本質だと思います。
だからこそ、見せる側である選手はプロとして工夫して演じ続けてほしいし、見る側である皆さんは頭でっかちにならないで素直に感じて欲しいと思います。
そして、優劣を付ける側であるジャッジは、フリースタイル・スノーボードの未来を見据えながら然るべき順位付けをしてほしいし、ルールを決める側や伝える側である組織は、見る側に幅広くわかり易く認知してもらうための術を模索し、実行し続けて頂きたいと思います。
一番の理想は、それぞれの人が、各々の立場でこの世界を好きでいて、みんなで盛り上げて行く環境になることですね。
出来事を頭ごなしに否定するのではなく、良い方向になるための何かを模索し続けることです。
--いやあ、凄い!何か綿谷さんのスノーボードに対する哲学、そして愛を感じます。本当に、このスノーボードに惚れているからこそ、未来も見据えた提言をしているのですね。
綿谷さんは、このインタビューをする前に、自分の気持ちは、とてもウェブサイトで収まるものではないだろう。中途半端に伝える弊害も危惧されていました。
だけど、僕が作っているこのDMKサイトというの は、もちろん商売うんぬんから切り離せない部分がありつつも、こうした埋もれていた大切なことをしっかりと表現することなんです。だから、スペースのこと は気にせず、綿谷さんが今、現時点で伝えられることは、できる限りリリースさせていただきたい。
幸い雑誌のようにスペースが決まっているものでもありません。
ある意味、予算を民法放送局のように考えなくていいNHK特集のようなものです(笑)。
まだお話されたいことがあるなら、ぜひ聞かせてください!
最後に1つだけ。前述の”レンジ”に関わることですが、最近感じる事があるのですが、自分も選手を経験しましたので、選手達にとって成績は大事だということはよくわかっています。
ですが、我々の世界における勝負は「勝つ」か「忘れられないランをする」ことが「結果を出す」ことなのだと思います。
そしてホンモノは両方を兼ね揃えるのだと思います。
成績も大事ですが、目先の結果に囚われず、新しい試みや、個性のある滑りを「演技」として完成できるクリエイティブなキッズがこれからも増えて行くことを祈っていたいと思います。
--本日は、とても参考になるお話聞かせて、ありがとうございました。これを読んだ多くの方が、また違った目でスノーボードの競技を見て、より一層楽しんでくれると思います。
最後に、私はスノーボードの世界は一流のトップ選手達だけによって作られいるのではなく、毎年、スノーボードを精一杯楽しんでいる皆さんによって作られているのだと思います。
現在、皆さんがそれぞれの環境で、それぞれの価値観を持ち、スノーボードを楽しんでいるのだと思います。
スノーボードの未来にとって一番大事なものは、このように皆さんがどれくらいスノーボードを愛し、楽しみ続けて頂けるのかということです。
誤解しないで頂きたいのは、それは回数ではなく、内容だということです。
この世には1年のほとんどを仕事に費やし、スノーボードができる回数が年に1、2回のみという方も居るかと思います。
でも、その方はその与えられたスノーボードの時間を精一杯満喫するのだと思います。
そこにある情熱や想いは、多分、私の10回、20回、いやそれ以上の価値があるのでしょう。
逆に、滑る機会を作らず、パソコンやスマートフォンからの情報ばかりを気にし、一人のスノーボーダーとして、この世界を熟知しているかのように、
その情報を元に批評や意見するような人は、スノーボードをしていない人と大差無いと思います。
ニュースで言うと、政治を知らない、経験も無い政治評論家が新聞やインターネットの記事を用いて政権を批評するみたいなものですね。
フィジカルトレーニングと一緒で、滑らないで、雪の上を怠れば間違いなくその能力は衰えて行きますから。
つまり、レベルとか技術とかは関係なく、本当にスノーボードが好きで、自らのことも含め、スノーボードの発展を心から期待しているのなら、ほんの僅かの時間でも雪の上に立ち、自らが滑り、純粋に楽しんで頂きたいと思います。
全ての人がそのようになれば、情報に対するニーズも変わり、インターネットや新聞記事から発信される情報も、雪の上とは別の情報を含んだ余計なニュース等はその情報価値を失い、淘汰され、純粋にスノーボードをする人達が必要とする情報が伝わっていくのだと思います。
そうなれば、伝える側ももっともっと発展して行くのだと思います。
これは私の知っている範囲だけなのでしょうが、世界に挑む日本のライダー達の準備はすでにできていると思います。
これからはホンモノが日本から世界に対して発信していく時代になって行くことを心から願っています。もう十分に頃合いだと思いますので。
そして皆さんがホンモノを見極める目を持って頂ける日が来るためにも、できるだけたくさん、あらゆるスノーボードを楽しんで頂きたいと切に願います。
私も何かでそのお手伝いができれば幸せです。雪の上で会いましょう。
【解説】五輪ジャッジは7人制
先日、行われたUSグランプリでは、5人のジャッジの最高得点と最低得点のポイントが引かれて、中間の3人のスコアが合計されて、それが最終的なポイントとなった。
例えば、Aジャッジ(92点)、Bジャッジ(88点)、Cジャッジ(89点)、Dジャッジ(91点)、Eジャッジ(87点)というスコアが出れば、一番高いAジャッジの92点と、一番低いEジャッジの87点を除かれた、3人のジャッジの合計点数が反映されていたわけである。
しかし、五輪では7人のジャッジ制度になる模様で、一番上の下のスコアを除かれた5人のジャッジングがスコアになる模様だ。つまり他のジャッジと違った高過ぎた得点や低過ぎた得点は省かれることになる。
もちろん、今回のインタビューを参考にして、ジャッジングのレンジを考えてほしい。そうすれば、その得点に潜まれる謎を解明する手がかりになるだろう。