【フサキ日記】懐かしいカメラマンとの思い出

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すっごい懐かしライディング姿を『帰ってきたスノウボヲド・マン』さんにご紹介していただきました。
スノウボヲド・マンさんというのは、FACEBOOKコミュニティで1980年代から1990年後半のライダーに焦点を当てて、当時の雑誌のページなどをご紹介しています。おそらく、日本で最もスノーボード専門誌のストックを持っている方。以前、僕が古い雑誌を探している時にもお世話になりました。

今回紹介してくれたのは、スノーボード専門誌スノーイングに掲載してもらってものでです。おそらく90年前半、ニュージーランドのカードローナで撮影した時のもの。
自分で言うのもなんですが、結構カッコいいヒールサイドターンをしていますね(笑
完全にクレイグ・ケリーの影響です。

撮影していただいたカメラマンの渡辺正和さんは、残念ながら56歳という若さで亡くなってしまったのですが、あの時、撮影していただいた経験は、僕の人生にとってとても大きいものになりました。

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当時、僕たちはハウツー本を出すために、ニュージーランドで撮影しに行きました。
驚いたことに渡辺さんは、僕のハウツーの滑りを手動のピントと合わせて撮っていたのです。今では考えられないような職人芸です。手前に迫って来るライダーに合わせて手動でピントを合わせていたのだから。よく狙い通りのラインに滑れなくて、叱られていました。

元々、渡辺さんはスキー界でもレジェンドの海和俊宏さんと撮影をしていたので、僕の撮影にはかなりズッコケたと思います。「スノーボーダーというのは、こんなにも思い通りのラインで来れないものか」と。
その後も、F1撮影で活躍されたようで、アイルトン・セナの写真集なども出していたようです。
だから、本当に当時、トップのカメラマンだったわけです。

スノーイング誌で紹介してもらったパウダーライディングの写真は、ハウツー本のオープニングのイメージ用に撮ったもの。その時、ハウツー本で使わなかった写真が、スノーイングで使われました。
このパウダーの撮影の時も、本当何度も何度もやり直し撮影しました。渡辺さんの思い通りのラインに来なかったので、叱られながらハイクアップを繰り返しました。
今、僕はよく逆の立場でカメラマンとしてライダー撮影することがあります。ライダーのみなさんには、よくハイクアップしてもらっていますが、この時のニュージーランドほどではないかな、と思います。かなり体育会系のしごきのごとく、まさに息抜きする暇がないほどやらされたので。身体全身でゼーゼー言いながらハイクアップし、ドロップインする時は、「もうNG出したくない」という強い決心で挑んでました。

イメージの画を作り手動でピントを合わせていた渡辺さんは、思い通りにラインに入って来ない僕の姿にガックリしたと思います。「こっちはかなり集中してやっているんだから、そっちも集中して、真剣にラインに狙ってくれ」という思いだったでしょう。

もっとも渡辺さんは、多少いらいらする姿を見せても、基本的にはいつもニコニコしている方でした。で、隣のプロデューサーがガンガンと僕に怒っているわけです。「お前、全然ライン通りに来ていないぞ!」という感じで。本当、怖かったなあ(笑)。だけど今、思えばプロデューサーのやさしさでもあります。プロデューサーがおもいっきりキレる手前、渡辺さんは僕に対して、怒り難くなってしまったので。当時、ライダーとしてダサかった僕に、超一流カメラマンの渡辺さんが付き合ってくれたのも、こうしたプロデューサーがいたからできたことでした。

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