
フラッシュバックするように、過去の出来事を思い出しましたので、スノーボードの歴史を少し記しておきます。
時代は1980年代後半。当時、私はハードブーツを探していました。
今ではスキーブーツのようなプラスチック製の硬いブーツは、一部のアルパインレーサーだけが使うものですが、当時はわりと普及していたのです。
信じられないかもしれませんが、スノーボードを始めるときにハードブーツを選ぶ人もいました。
というのも、当時のソフトブーツ(今のようにしっかりした作りではないもの)は柔らかすぎて、カービングが難しかったのです。だから「カービングをしたい」と考えるスノーボーダーは、初心者であってもハードブーツを購入していたのです。
私は神田のムラサキスポーツへ足を運びました。すると、店内には当時スノーボード界で活躍していた松島勝美さんがいたのです。
「わっ、本物のマツシマさんだ!」と心の中で思ったのをよく覚えています。
今では全日本選手権スノーボード大会も42回を数える歴史がありますが、その初代チャンピオンこそ松島勝美さんでした。私が大会に出ていたのは第4回あたりで、当時はまさに憧れの兄貴分のような存在でした。
そんな松島さんがとても気さくに接客してくださり、たしか当時はムラサキのライダー兼マネージャーをされていたのだと思います。店のフロアには松島さんしかおらず、直接話をすることができました。
私は、ダミアン・サンダースも愛用していたコフラックのハードブーツを探していたのですが、そのとき松島さんは「これからはハードブーツの時代だね」と話してくれました。

結果的にハードブーツは一部のレーサーやオリンピック選手を除いて姿を消しましたが、当時はソフトブーツがあまりに柔らかく、しっかりとしたエッジングができるハードブーツが主流になりそうな気配もあったのです。まさにそんな時代でした。
ちなみに、以下の動画は、私がスノーボードを始めたばかりの頃に参加した「丸井スノーサーフィン大会」の映像です。
当時はMOSS派のスノーサーフィンと、BURTON派のスノーボードという2つの流れがありましたが、その後、両者は手を取り合うようにひとつの協会へとまとまっていきました。
そして、映像の冒頭に映る開会式。上下ホワイトのウエア姿で立っているのが、まだ高校2年生だった私です(笑)。当時の雰囲気をそのまま感じていただけると思います。