KING SNOW記事で「今、シモンはどこ?」

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カナダのスノーボード・メディア、KING SNOWで興味深い記事、「今、シモンはどこ?」がアップされたので、ご紹介しよう。


https://kingsnowmag.com/features/pub:9270/WHERE-YOU-AT-SIMON-CHAMBERLAIN

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この記事を書いたライターのウィリアム・フレーザーさんによれば、シモン・チェンバレンは、2000年代初期、スノーボード界で最も影響を与えたライダー。彼が最初に買ったボードは、Stepchild Snowboardsのシモンのシグネチャー・モデルだったとのことだ。
しかし、あれほどまでに一世風靡したシモン・チェンバレンの名やシモンが兄弟と立ち上げたNomisブランドはまったく聞かなくなってしまった。
今、シモンは、どこにいて何をしている!?

フレーザーさんは、そのシモンのキャッチに成功。シモンは、バンクーバーアイランドにいた。

シモンが引退した理由は、家のローンの支払いのために、残念ながらライダー活動を辞めなくてはいけなくなったとのことだ。
またその決断はとても辛かった、とのこと。

ここからは、長年に渡ってシモンを取材して来たDMKの見解も含めてシモン・チェンバレンの引退の理由を明かそう。

シモン・チェンバレンが台頭したのは、世界初のトップ・ジバーが集まったコンペティション、ニクソン・ジブ・フェスタ。あのジブ界の教祖JPウォーカー、ジェレミー・ジョーンズが始めた大会である。当時、シモンはその大会にエントリーできるような存在ではない若僧だったが、たまたま1名のキャンセル選手が出たので、JPと親交が深かったショーン・ジョンソンがシモンを推薦し出場させた。そして、まさかの優勝!シンデレラストーリーの始まりである。

ショーン・ジョンソンは、当時、世界を代表するスノーボード・フィルムのフィルマーとして活躍していたが、スノーボード・ブランド、Stepchild Snowboardsを立ち上げていた。そしてそのライダーに当時アップカマーだったシモンを指名したのだ。

ちなみにショーン・ジョンソンがシモンを知るきっかけとなったのは、Sandboxオーナーのケビン・サンサローン。ケビンが当時作っていたスノーボード・ビデオにシモンが出演し、ショーンがそのタレント性の高さに目を付けて声を掛けたのである。

ちなみにDMKは、この年、シモンがウィスラーの大会に出ていたところ、そのうまさに惹かれて声を掛けていっしょに撮影している。実を言うと声を掛けた時にシモンがニクソン・ジブ・フェスタを優勝したライダーなんて知らなかったのだが。その縁もあって、DMKはNomisの日本代理店となったのである。また、シモンといっしょにハウツービデオ、「バイタミンジブ」を作った。

ここからは誰にも明かしたことがないことだけど、KING SNOWの記事だけ読むと、シモンというライダーをちょっと勘違いしてしまいそうなので、DMKだけが知っていることを教えよう。

まずシモンほど、律儀なライダーはいない。西洋諸国において、シモンという存在がいることが不思議なくらいだ。彼は一度忠誠したら主君を裏切らないような侍。まるで幕末の新選組の近藤勇のようである。

シモンが台頭した時、当然世間はシモンをほっぽとくことはなかった。様々なビッグなスポンサー話が来ていたのである。当時、一番大きかったのは、DCのオファーだ。ちょうどDCがスノーボードの板を作り始めるという時期のこと。デヴァン・ウォルッシュ、ラウリ・ヘイスカリ、イカ・バックストロームなどに、数千万の契約オファーをしたのだ。しかし、シモンだけがこの多額なオファーを断って、Nomisを着続けて、Stepchild Snowboardsを乗り続けたのである。

シモンがプロ・スノーオーダーを引退する前、Stepchild Snowboardsはおそらくシモンに対して、ちゃんとした報酬も渡せていなかったと思う。だけど、シモンはそれでもStepchildを乗り続けていた。

シモンは、ある女性と出会い結婚することになった。シモン曰く、彼女との最初のキスは、緊張のあまり気絶しそうだったとか。それほど彼女に惚れたんだ。そんな彼女と結婚し、サクセスストーリーを夢見た時期、シモンのメインスポンサーであったNomisとStepchild Snowboardsは業績が悪くなっていた。

結婚して家族のことを大切に考えるシモンは、プロ・スノーボーダーという道を諦めて大工になることになったのだ。

子供の頃、実家の裏庭にライトを付けて、暗くなってもジブを練習した日々。JPとジェレミーのビデオをテープが擦り切れるほど見ていた少年。彼は、いつしかそんな憧れのスターたちといっしょに仕事するトップ・ライダーになっていた。そんなシモンが、プロ・スノーボーダーを諦めた決断はかなり難しかったことだろう。きっとDCのような大きなブランドと付き合っていたら、今でもプロ・スノーボーダーだったに違いない。しかし、サムライのような生き方をして来たシモンは、その決断をしなかった。

あくまでも個人的な見解だが、プロ・スノーボーダーというのはやせ我慢な職業だと思う。プロと言われても決して満足できるような報酬を得れるわけではない。多くのライダーは他に仕事をしながら、ライダー活動をしている。時には、死と隣合わせようなトリックにも挑んでいるというのに。
だけど、そこまでしてもスノーボードをやり続けたいという思うようなものなのだ。

シモンも最後までプロ・スノーボーダーを続けたかったに違いないが、愛する人のために諦めることになった。しかし、シモンは決してお金のためにお世話になったスポンサーを裏切るようなことをしなかった。彼は引退という大きな決断で、彼の生き様を貫いたのだ。

 

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