【フサキ日記】はじまりはジャガイモの芽取りから

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ふとランチを食べている時、子供の頃の思い出が蘇って来ました。
僕は料理をするのが好きなのですが、タイムマシーンに乗って料理することができたら、みんなに何を作ってあげようかな、なんてことを考えていたのです。

僕の両親は小さい頃に離婚してしまって、父親を知らずに育ちました。
母親は、同じ町の親戚が営んでいる八百屋で働いていて、僕は学校が終わると家には帰らずにその八百屋に行っていたのです。そこには親戚の兄や姉が4人いて、さらにはおばあちゃんがいて、働く従業員のおじさん、おばさんがも何人もいて、食事の時にはいつも大勢で賑やかでした。
だいたい、おばあちゃんやおばさんが食事を作ってくれたのですが、僕もたまに手伝ったり、人数が少ない時には親戚の兄ちゃんに作ってもらうこともありました。
あの時代、タイムマシーンに乗って、僕がみんなのために料理を作ってあげたら、みんなびっくりして喜んだだろうな、なんて想像を巡らしていたのです。何しろ僕は、一番小さくて、お豆のような存在でしたから。すき焼きの時には、僕のためにバリアというルールがあって、「ここはフサキのエリアだから、絶対に勝手に入って、肉を取らないこと!」なんて特別待遇でしたから(笑)。そんな小さかった僕が、みんなのためにおいしい食事を作ってあげたら、みんな驚いて喜んでくれたに違いないと。

若い頃は料理はからっきしでしたが、今では、自分でスープからラーメンもできるし、手作りのキムチもできます。カレーライスもタイ風からインディアン風にも仕上げられるし、カナダで覚えたちょっとオシャレな巻き寿司だって作れるます。

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だから「、カナダで覚えたあの料理を出したらおもしろいだろうな」なんてことを想像している内に、ふっとあの日の思い出が蘇りました。

それは、ある日のこと学校から帰って、特にやることがなくて、八百屋のジャガイモの芽取りを手伝ったことです。
僕は小学一年生で、いつものように学校から帰ると、宿題を済ませて、その後に20キロほどあったジャガイモの芽取りをしたのでした。
当時、ヒヨコのような形をしたプラスチックでできた黄色の芽取りがあって。それを使って1つ1つのジャガイモの芽を取っていきます。
単純ながら面倒な作業で、子供心にもの凄く時間を掛けた覚えがあります。
それこそ、1時間とかで終わらなくて、2時間とか掛かったような。ひじょうにコツコツとした作業でした。
この1箱のジャガイモの芽取りすると、お駄賃として100円もらいました。

100円もらったことも嬉しかったのですが、それ以上に嬉しかったのは、なんとも言えない達成感です。
当時のジャガイモってずいぶんと土が付いていたようで、作業を終わった後、手を洗うとびっくりするほど桶の中の水が真っ黒になったのです。「そこまで頑張ったのか」という気持ちが本当に嬉しかったのです。

そう、あの時!自分のコツコツ癖が芽生えた瞬間だったように思うのです。

これ以外にも僕にはいくつかのコツコツごとがあるのですが、このDMKサイトもその1つでしょう。
1997年から初めて、最初の2、3年は毎週更新していた感じですが、自分ですべてをアップできるようになった2000年くらいからは一日も休ますにアップし続けています。それこで、飛行機に乗った日もインフルエンザで苦しんだ日も、毎日アップし続けました。
今のようにそれほどネットが発達していない時期には、情報を探すために、ウィスラーに住むライダーに聞いて、ニュースを探していました。

DMKは、1997年12月10日にスタートしたので、来月10日は25周年の誕生日!特別に何をやるわけではないけど、まあ、よく頑張って続けて来ました。
この世は諸行無常。この目の前にある美しい雪山の景色が明日も必ず見れる保証はないけど。これからも僕はおそらく命が続く限り、DMKを更新し続けるのでしょう。スノーボードの情報を一人でも多くの人に届けていきたいと思います。


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