ネフローゼ症候群と戦うスノーボーダー/雪野大樹

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今回のインタビューでは、僕もよく知るマルリンこと雪野大樹くんを紹介します。
彼は、ライダーでもないし、業界関係者でもありません。特別にスノーボーダーがうまいわけではもない。だから、このインタビューの中では、かなり異色な存在です。
今回、なぜマルリンを紹介するかというと、彼はネフローゼ症候群という病気を抱え、普通ならスノーボードなどできない状態なのに、病気にも負けずライディングしているからです。
薬の副作用から小学生から身長が伸びないマルリン、また医者から「骨折すると一生治らないかもしれないかも」と言われているマルリン。
それでも彼はカナダ・ウィスラーにやって来ました。そんなマルリンにインタビューです。

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まずはネフローゼ症候群のことから教えてほしいのだけど、どんな病気なの?

腎臓のに糸球体というところがあるんですけど、そこで血液中の老廃物がろ過できなくなり、多量のタンパク質が漏れて血液中のタンパクが減少して体中がむくんでしまう病気です。

その症状により体がだるくなり鉛のように重たく感じることもあります。
治させるための投薬ではないけど、薬を飲み少しでもその症状を抑えていきます。
薬の副作用としてムーンフェイスといって顔が月のように丸くなるというのが一番はじめに出てくる副作用になります。
他には身長が伸びなくなったり、骨がもろくなり骨折もしやすくなったりします。
また脂肪がつきやすく、筋肉がつきにくくもなったります。
実際、僕も小学生から身長が伸びなくなっていて、また骨折がしやすい身体です。

あとは長く投薬していると体の一番弱いところの機能が低下したりすることがあります。
人によっては耳が聞こえなくなったり、歩けなくなったり・・・と。

僕の場合は目にきたみたいで白内障と緑内障で手術って感じになっちゃいましたね。
再発時には投薬量が増えて安静にしなければいけなくなります。
治療が安静ということ、また投薬副作用の骨折しやすくなるということで激しい運動はほとんど禁止されています。

この病気ですが特効薬というのはないのですが、まったく治らないというわけではないんです。
治る人もいますが、治らない人もいます。
有名な方では、プロ野球で有名な小早川毅彦さんも同じ病気でしたが、彼は完治し努力してプロになられてます。
また、将棋界では村山聖さんという方がいられました。
もう亡くなられているのですが、彼も病気と闘いながらプロになりとても強い棋士の方でしたね。
このお二人の影響っていうのは少なからずも受けていて勇気づけられました。

そんな大変な病気で、よくスノーボードをすることができたね。
はじめたきっけかは何だったの?

スノーボードとの初めての出会いは友達に誘われたからっていうオーソドックスな理由なんですけど。
初めてやった時は、レンタルがあるなんてしらなくて道具とかウェアーとか3点セットセールみたいなので買って行ったんです。
でも誰も教えてくれなくて板の履き方とか立ち方もわからず、頂上に連れて行かれちゃって降りるのに5時間かかっちゃった思い出がありますね。
全身筋肉痛の全身打撲でしばらく動けない上に病気の方も悪くなってしまうし、二度としないってその時は思いました。
でも道具も揃えてるしと思って、次はインストラクター付添のツアーに入りました。
しかし、それでも立てなくてやはり運動は無理なのかって、その時大きな挫折感っていうのを味わった記憶があります。
ただ、先にも書いた病気でも頑張ってた人たちや、今までいっしょに病気と闘ってきたけど夢を実現できずに亡くなってしまった仲間の分まで何かしたいと思っていました。そして、熱い心を持った友達が一日ずっと教えてくれると付き合ってくれて、それで3回目に乗り切ることができたんです。
その時、初めて立てるようになって木の葉滑りができるようになった時、僕にとって人生で初めてのスポーツだったので、嬉しいことや楽しいことでいっぱいでしたね。
今でも一歩を踏み出させてくれた友人たちに感謝してます。
でも、僕もいろんな人に教えてっていわれて教えることが、よくあるんですがみんな一日のうちにターンやその入口ぐらいまで上達するんですね。
僕は3回も山にいったのにーって(笑
運動神経ないのかなーって。

ケガしたくないことや、なるべく疲れない滑り方をしたくてスクールに通うようになりました。

病気の関係でケガには他の人よりも気をつけないといけないし、恐怖感を味わうのは当然だよね。今でも何か新しい時には怖いと思うのだけど、どのようにそのような境地を克服するの?

はい、正直もの凄く怖いですね
ビビり屋さんです(笑
ターンまではほんと怖かったけど、インストラクターの方が一生懸命教えてくれてできるようになったわけですが。ま技術を上げるためには、それ以降にも壁が待っていますよね。
技術が上がるにつれてスピードもついてきますしやることもハードになってきます。
スピードが怖くてすぐブレーキとかかけてましたが、慣れるためにターン中の基本姿勢などをイメトレした上で上手な人のストーカをするんです。
そうすると徐々にスピードに乗れるようになって恐怖心が薄らいでいきましたね。
これは今でもゲレンデにあがった1、2本のランはやってます。
誰かをきっと追っかけてます(笑

あとボックスなどのアイテムなどは怖いと思ったときははいらないんですが、 入る時には真っ直ぐ入るところから始めます。なるべく考えないようにして、「できる!できる!」とか「真っ直ぐー、真っ直ぐー」ってもの凄く暗示掛けてたりしてます。
新しいことするときってそういう自己暗示することが多いですね。
そうやって恐怖心を忘れていつの間にかできるようにくなってるっていう方法をとっています。
あとはできた時の嬉しさ思いを忘れないようににしています!

それにしてもそんなマルリンがよくカナダにまで来たね。お医者さんから何か言われなかった?

僕がスノーボードしてるのは実は初め言ってなかったんですが、やってることを言ってどうしても続けたいことを伝え、いろいろと条件付きがありましたが許可をしてくださったことがあるんです。
それ以降は日本国内の遠征もよほどのことがない限りは許可をいただけてます。
毎年ツアーでカナダに行ってることは先生は知ってましたので知らない土地ではないということと、また先生自身が老後はカナダで暮らしたいとか夢があるようでカナダにいく時は他の海外に行くよりは快く許可をいただけました。
ただ、昨シーズンに骨折してましたので、3月に広島のシーズンが終わって、広島の室内ゲレンデもなくなていることもご存じでしたので、
「これで今シーズンも何事もなくシーズン終わったね」って言われた直後に「いやー実は1か月、カナダに行きたいんですけどー」って切り返したものだから、その時はびっくりされてました。
しばらくは驚きで「うーん」って言われてましたが、無理は絶対禁物ということで万が一のために薬もいつもより多めに処方してもらってカナダに来ることができました。
僕が小学生からの付き合いなので言い出すと聞かないっていうのを知ってるので、もしかしたら先生も半ば半分諦めているのかもしれませんし、スノボを続けたい理由とかを理解してくれているからかもしれませんよね。
どちらにしても、病気のこともそうですが、僕が楽しくできるようにいつも考えてくださっている良い先生です。

 話を聞くと、もうスノーボードをしているだけでも尊敬してしまうのだけど、今後マルリンに何か目標とか夢とかありますか?

目標は、小早川さんや村山さんのように一人でも多くの方々に僕がスノーボードしてることによって、少しでも誰かのスノボに限らずスポーツにも限らず
何かしらのきっかけになるような人物になること。

夢はスノボを通じてもだけど、そうでなくてもいろんなところに行ってたくさんの経験を積んだり仲間を増やしてネットワークを大きくつくっていくことですね。
だって、人は助けられ、また助けてって生きているし、人のつながりが相手を自分を成長させていってると思うし、だからこそいろんなことが楽しいと思うから。
何事も楽しんでいかなくちゃね!


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