日本人初のWHITEOUT FILMSのフィルマー/田島 継二

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interview by Fusaki

世の中がこれほどグローバル化になっても、まだまだ日本から世界で活躍する業界の人は少ないと思う。ライダーでは、布施忠、フォトグラファーではDice-K Maruなどが有名であるが。
しかし、ここにカナダでWHITEOUT FILMSのカメラマンを始めた若者がいた!2シーズン前にライダーとしてウィスラーにやって来て、昨年はバックカントリーの撮影を行う活動し、そして今年からデバン・ウォルッシュ、布施忠などでお馴染みのワイルドキャッツ、WHITEOUT FILMSのカメラマンとしての一歩を踏み込んでる。そんな新しい1ページを刻もうとしている田島継二に、この仕事を行えるようになった経緯や将来の目標、さらにはいっしょに撮影をしていた布施忠についても伺ってみた。

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撮影をしていると聞いたけど、どんなきっかけで始めたの?
昨年まではライダーとして活動をして行きたくて、モービルでの撮影も初挑戦しました。日本で篭っていた時にいっしょだった藤井くん(注:本名、藤井雄治でZIEALライダー)、2年前にカナダで知り合ったユウタ(注:本名、渡邊雄太でSPINYライダー)といっしょに、 3人で各1台ずつモービル、トラック1台を買って、バックカントリーに行っていたんですね。
最初、モービルに乗ることで戸惑っている時に、マルさん(注:日本に留まらず世界の専門誌でも活躍するDice-K Maru)に出会っていろいろ教えてもらいました。また、その時に同い年でもある1号くん(注: プロ・ライダー田中総一郎で彼も同様にバックカントリーでの撮影をウィスラーを拠点に始めるようになっていた)とも出会い行動がかなり広がっていきました。さらには忠くん(布施)ともいっしょに撮影に行く機会もできたんです。
そんな時、海外の想像以上に凄いライダーたちのレベルをまのあたりにして、 「自分はライダーとしてどこまでやっているけるのだろう」と、将来に対して不安に感じたり、どう進むべきか、とか悩んでいたんです。

1号くんや忠くんと同じステージに立つことで、イケイケな気分にもなったと思うのだけど、それとは逆にうまいライダーたちを見て、将来に不安を抱いたということ?
自分の中で自信があった技でも、全然立てなくてバックカントリーでの難しさを感じました。何をしてもいっぱいいっぱいなんですよね。(苦笑)
こういった環境でスタイルが出るというのは凄いと思いました。 今までとは違うアプローチ、飛距離や落差、パウダーという環境で、難 しかったです。
あと、日本やカナダでも大会に参加して、これと言った凄く良い成績は残していなかったし、年齢的も20代中頃になってまだショップライダーというところで止まっていたから、正直焦ってましたね。あと何年でこのレベルに行けるんだろうとか、ライダーとして自分の可能性として、どこまでやって行けるのだろう?って。

元々カナダに来たのはライダーとしてのポテンシャルを上げたかったからでしょ?
もちろんそれもありましたね。あと3年前の夏に1ヶ月くらいコジローくん(注:dmkキャンプではお馴染みの小島孝雄プロ)と来た時に、カナダのスケールの大きさに衝撃を受け、感激して、ここで滑りたいと強く思いました。1年目はワーホリで来て皿洗いのバイトしながら滑って、そして2年目はスノーモービルを始めたんです。
2年前にはこっちのスロープ大会で3位にも入ってたけど、ローカルの大会でしたし。どこの大会に行っても、多くのライダーたちが自分よりも上にいる。だから、自分ではまったくトップにいるという感覚は全然なかったですね。でもモービルで挑戦してみたかった。

まさにムービーの世界! このポイントで果敢にFS540を狙ったケイジだが、翌年はフィルマーの世界に導かれて行った。

昨年モービルを始めたということだけど、その理由は?
最初の年にもウィスラーの裏山に行ってキッカーを作っていました。だけど、ハイクだとすごく時間が掛かるし、行ける範囲にも限度がある。いい地形に行くまでに時間が掛かり過ぎるんですね。それで、スノーモービルを買ってバックカントリーに行きたい、と考えたんです。
もちろん藤井くんが最初に「やろう」と言ったことも大きな要因だし、ユウタも参加してくれたこともある。だけど、最終的には「やってみなくちゃ始まらない」と思ったので。

モービルに始めるにあたり、モービルやトラック、さらにメンテナンスやガソリン代に至るまでの金銭面の問題。あと、モービルという未経験のところに行く壁とかもあったと思うのだけど、そのへんはどう考えたの?
モービル未経験に関しては、ともかく「やってみないとわからない」ということで、その問題は後に来たものでした。例えば、最初はモービルで撮影ポイントに行くまでにその運転で戸惑ったし、スタックしまくりでした(笑)。
金銭面に関しては、やはり大きなハードルでしたね。だけど、ビデオで出て来るようなところに行ってみたい、飛んで映像を残したい、という気持ちが強くて決心できました。

実際にどれくらい費用が掛かったの?
モービル自体が中古で5000ドル、トラックは3人で1台で5400ドル。トレーラーが1000ドルちょっと。(注:カナダの1000ドルは日本円にして9万円ほど)
トラックの荷台に1台モービルを乗せて、トレーラーに2台に乗せたんです。大きくないトラックにはかなりの負担でしたけど。 あとは、保険とかガソリンとか、もろもろ掛かりましたね。

毎回山に上がるためのガソリン代とかも大変でしょ?

確かに掛かるけど、最初はともかく運転するのが大変でスタックしてばかり。だから、近場にしか行けなかったので、あまり掛からなかったかな(笑)。 それより修理代の方がかなり痛かったですね。

だけど、3人でモービル始めて、なんでケイジくんだけがカメラマンになったの?
さっきも話したように、これからのライダー活動を考えた時に悩んでいて、 だけど好きなスノーボードでずっとやって行けたらと考えていたんです。
そんな時、忠くんたちとバックカントリーに行ってた時に「ケイジ、フイルマーにならない?」って、冗談で言われていたんです。だけど、自分は本気で考えていたんですね。

それにしても、凄い面々とやっていたよね。ライダー忠くん、1号くん、そしてフォトグラファーにマルくん、その中にケイジくんがいたんだよね。
そうですね。本当に良い環境にいるんだなあ、と改めて思いますね。
夏の間、マルさんとメールをやってたくさんのアドバイスをもらい、紹介してもらったモーリーさん(注:ist Pictures代表。昨シーズンはビデオ『BROCCOLI』をリリース)にも相談に乗ってもらいました。
その後、日本に帰って8ミリを買って、デジカメも買って、三脚も買いました。知らなかったから三脚の値段の高さにはビックリしましたね。そのお店の店長さんが前に映像関係の仕事をしていたらしく、カメラマンの腕の半分は三脚で決まると言われて。というのも、カメラを動かす時の滑らかさとか演出するのは三脚なので。
それで結局、新古や中古のカメラ機材にも関わらず、また50万円以上の出費です(笑)。仕事は2つ掛け持ちでやりました。 なんだか毎年、夏の働く量がどんどん増えていくんですよね(笑)。大変でも目標があるので頑張れた、という感じです。

自家製のモービル前部につけた三脚ホルダー。見た目はいまいちでも調子はいい。これによりモービル滑走中にも撮影可能??

WHITEOUTでの撮影はどのようにして得たの?
昨年、WHITEOUT FILMSのビデオ、『POSITRON』でトリをやった忠くんが、今年も出ることが決まっていたのと、マルさんにも紹介してもらったのがきっかけです。もちろんメイン・カメラマンでなく、仮アシスタント的な役割でスタートすることができました。
普通のシーズンだと、ウィスラーを近辺をメインに活動すると思うんですけど、今年は雪降らなかったせいもあり、みんないろんなところで撮影しました。忠くんは「みんなと似たような環境でなく違うところで映像を残したい」と思っていたので、ユタに行ったり、日本に行ったり、ということでいっしょに同行して撮影をしていたんです。

今年は忠くんに付いて撮影していた状況だけど、例えば来年、忠くんが他のところで撮影するとなったら、ケイジくんはどうするの?
もちろん、忠くんといっしょに撮影できれば嬉しいです。だけど、自分はウィスラーという環境も好きだし、フィルマーとして16ミリも回せるようになりたい。WHITEOUTのフィルマーとして活動して行きたいという希望は持っています。

忠くんを撮影できるのって凄いことだと思うんだ。「失敗したらヤバイなあ」とか、緊張するでしょ?
ええ、それはありますね。実際、失敗もあります。
寄り過ぎたり、暗く撮ってしまったということもあったし、もっと違うアングルで撮影しとけばより伝わっただろう・・・、とか。 とても緊張するけど、やりがいはあります。

難しい点ではどのへん?
技術的なこともすごく難しいと思うんですけど、これはやりながら身についていくものだと思います。もちろん自分はまだまだですけど。それ以上に、その撮影の雰囲気作りとか、うまくコミュニケーションをとっていくことは本当に難しいと痛感しました。ライダーが必要以上に集中してしまっている時に、撮ることにいっぱいいっぱいになり過ぎて、気持ちをほぐすような言葉をかけてあげられなかったり。
まだ自分がライダーだった時に「撮ってもらっているから、飛ばなくちゃ」とか、考えてしまった時もあったんです。 だから、ライダーの気持ちに近いからこそ、今度自分が撮影者側の立場になって「絶対できるよ」とか、「危ないから止めないと」とか思う判断に迷ってしまうことがあるんです。
忠くんは自分のコンディションを把握してプッシュする時、やめる時、しっかりコントロールするのでそういったことは少なかったと思いますけど。
これだけ限界まで突っ込んで撮影しているからケガはつきものだと思います。でも、できるならいっしょに頑張ってる仲間がケガをするのは見たくないですよね。 一応、日本やカナダでも最低限のファーストエイドやバックカントリー講習は受けてますが、実際に事故が起きた時に自分が冷静にちゃんと対処できるかどうか・・・。その不安をなくすためにはこれからも定期的に練習して体に覚 えさせないといけない。

今、このインタビューを読んでいる人なんかは、「凄い世界だなあ」とか、かなり遠くの世界のように思っていると思うのけど、ここまで来た自分を振り返って見て、どんな考えを持ったから、今この立場にいると思う?
うーん、なんですかね・・・、「目標に向かってガムシャラにやって来た」。 それに、尽きますかね。最初自分が思っていたライダーという方向とは変わったけど、いい方向に動いているなあ、と思います。

いい方向というのは、やはり撮影を楽しんでいるということ?

そうですね、充実感があるのは確かですね。

実際、ケイジくんが撮影したものが、来年度のWHITEOUTのビデオに出るんだからね。

ええ、カットされなければ(笑)。
だけど、忠くんは本当に凄いですね。何が凄いっていうと発想が凄いです。その場所でこう遊ぶんだ!とか常にビックリさせてくれます。普段、人が見て気付かないような場所とかでもスノーボードで遊ぶことを考えるんですね。カットされなければ、そういった映像も出るでしょう。ぜひチェックして下さい!

ライダー布施忠を見ていて、どう思った?
ともかく、スノーボードが大好き。そして自分に厳しい。真っ直ぐで、凄く行動力がある。自分にもたくさんの良い影響を与えてくれました。
自分の環境を振り返ると、本当にラッキーだったと思うし、凄いことだなあ、と思う時はあります。だけど、せっかくそのチャンスを与えてくれたのだから、そのような環境を作ってくれた人に対して感謝の気持ちを伝えるためにももっと頑張っていきます。

トラックの窓ガラスにはデカデカとSPINYのステッカーがあった。ショップに対する思いが伝わる。

改めてもう一度質問。ケイジくんが、今この場にいる要因、きっかけは何だったと思う?
うーん、なんだろう・・・。やはり、3人でモービルに挑戦した時からかな。何もわからない世界に飛び込んだ。外人のライダーたちや撮影クルーたちから「変な日本人3人組」みたいに思われていたと思うけど、そこでガムシャラに壁に向かって行った。その問題を
クリアできたことが、今の自分を形成したのかもしれませんね。そう考えると、藤井くん、ユウタには改めて感謝の気持ちが出るし、あの時、迷ったけどモービル始めて良かったなあ、と思います。

ところでSPINY(注:神奈川県の平塚にあるスノーボード・ショップ)からは、ケイジくんがこういった活動することに変更して何か言われなかった?
自分は「これからフィルマーとして活動して行くので、ライダーを辞めさせて下さい」と報告をしました。もちろんこれからはライダーとしての活動でないのでスポンサードは受けられない、と考えていたのですが、店長からは「もし負担にならないのならこれからも同じようにSPINYのライダーでいてくれないか」と言ってくれて。凄く嬉しかったですね。とても感謝しています。だから、今でもSPINYを応援する気持ちを強く持っています。

これからの活動と目標は?
やはり好きなウィスラーをベースにしていろいろなところで活動して行きたいですね。自分の撮った映像が、見てくれる人に何か感じてもらえたり、どこか心に残ってくれるようになったら嬉しいですね。他の人とは違った、自分の存在価値を見つけて行きたいです。

●インタビュー後記
話を通して謙虚な人だなあ、と思った。だけど、目標を持ち未来に向かっている強い一面も見せてくれた。スノーボードの上達でも自分の実力をしっかりと見極めて、そこから様々な試行錯誤で上達して行くものである。この時にある程度、自分の未来に対してポジティブに考える強さも必要だし、また自分を知るという謙虚さも必要だ。
田島継二は、まだこの世界に一歩踏んだ状態のところだけど、このような上昇気運を持つ性格の他、素晴らしい仲間の応援も受けて必ず良いフィルマーになるのでは?と予感させてくれた。

チャーリー・チャップリンの自伝の言葉を思い出した。
「人間、謙虚と愛嬌を忘れてはならない」
さらにチャップリンは、こんな言葉も伝えていた。
「信こそはあらゆる思想の前提。信とは精神の延長であり、不可能を可能にする鍵。 信の否定は己の否定。そして一切の創造力を生み出す精神の否定。 」

この男、いつか大きな成果を上げるに違いない。そんな印象を受ける華やかなインタビューとなった。

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