初代日本人Nomisライダー/平野 創

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ろくにターンもできずにカナダ・ウィスラーまでやって来たのは、6シーズン前。年間200日以上滑るほどスノーボードが大好きで、ウィスラーでスタイルを磨いて来た青年もすでに24歳。ここらでカムバック・サーモンとばかりに今季は日本での活動を始めた。プロとして飯が食って行けるかどうかは、今がターニング・ポイントだ。初代Nomis日本人ライダーとして、新たな境地に挑むハジメの初インタビュー。

Photo by Mush

Interview by Fusaki Iida

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ハジメは、ろくにターンもできずにウィスラーに来ちゃったけど、あれはいつのシーズンだったっけ?
 
最初にカナダ・ウィスラーに行ったのは、02-03シーズンです。
オープン初日は、トオルやdmkクラブのメンバーの女の子とかもいて、いっしょに滑ったけど。ターンもできなかったから、リフト一本滑るのに一時間くらいかかって・・・、ダントツで下手くそでみんな呆れてました。 なぜ、ウィスラーに来たの?その腕前で??みたいな感じで。
その年の冬にdmkクラブなんかで元アルペンレーサーのフサキさんにこれでもかっていうくらいしっかりターンってやつを教えてもらって、その教えてもらったことを生かして、クラブのない日とかは、ひとりでいろんな斜面を開拓しながら滑りまくってました。

九州福岡出身のハジメがカナダにまで来て、スノーボードをした理由は?
 

Photo by CK4VM

元々ウィスラーに来たのも、雑誌で世界一って書いてあったから、ここに行けばスノーボードがちかっぱ(とても)うまい外人がたくさんいるだろうから、そいつらに必死でついていけば ピーター・ラインみたいにうまくなれんじゃないかなぁ、と思って。

夏にバンクーバーで英語を勉強して、その冬にウィスラーに移りました。
お陰でシーズン中もたくさんのウィスラーローカルの外人と友達になって、いろんなシークレットスポットに連れて行ってもらったりいっしょに滑ってもらったりしました。

そうやって春になって、ウィスラーの祭りのレールジャムで、初めてシモンを見ました。
あの時、フサキさんの撮影のお手伝いしてて、やたらスムーズにかっこよく擦ってるやつがいるなぁ、って思っていて。あとでわかったけどあの年、NIXON JIB FESTA(注:当時、JPウォーカーなど最高峰ジバーが行った世界最強ジブイベント)で優勝したばっかりのシモンでした。
 
ハジメのスノーボードの歴史にNOMISは欠かせないものだけど、看板ライダーであるシモンや、代表であるマットとはどのようできっかけで知り合ったの?
 
NOMISとの出会いは、当時dmkクラブの部長(ウィスラー支部)のメグねぇの家に住んでたダーブって奴が着てた服服に一目惚れして。「それ買いたい」って言ったら、マットに聞いてみなって言われたので。春のパークでシモンに話しかけて、お前の兄貴に会わせてくれって頼んだのが最初だったと思います。
当時マットは、シモンの双子の兄貴のアンドレたちとブリオ(注:ウィスラー住宅地の一エリアの名称)に住んでて 家も近かったし、よく遊びに行ってました。
それから、マットたちと春、夏いっしょに滑ったり、遊んだりして、2年目の冬からもずっといっしょに滑るようになりました。 

マットやシモンから学んだことは?
 

Photo by CK4VM

それまで自分は、トリックはただできればいいと思ってました。
競技スポーツなんかは、どんな形でアレ決めれば点数加算みたいな感じでしょう。
急斜面を滑る、540、720ができる、何メートルのジャンプが飛べるとかそんな形式的なことじゃなくて。どういう風に、ボードをコントロールしてやってるか っていうところが大事なんだって思いました。
結局ボードコントロールがあがれば、トリックなんかは自然と身についてくるもんだと。
それと、スノーボードは一朝一夕では身に付かないってことも。
ほんとよく滑ってましたよ、シモンたちは。
 
あとは、常にポジティブでいることの大事さや、人との接し方なんか素晴らしいなぁと思います。
シモンの方が年は下だけど、もの凄く人間できてるなぁって、その頃から思ってました。 
ものごとを楽しむ姿勢とかも素晴らしくて。今でもオレは、人間として半端だから、よくあいつら思い出して、もっと成長できるようにいろいろトライしたりしてます。 

そのマットが、先日、セールスミーティングで「カンパニーにしたきっかけは、ハジメが日本でも販売したら?」という提案だった、と言っていたけど、今、それを聞いてどんな気持ち?
 
正直嬉しいです。マットの家に遊びに行って、下手くそな日本人のオレの意見を真剣に聞いてくれて。実際オレは、本当にNOMISは当時からカッコいいし、こんないいブランドをもっと広めたいと思ったんですけど・・・。それを今でも覚えててくれて。
だけど、最近は、カンパニーも巨大化して、本来やりたかったことと若干違ってきたりしてる面もあるなあ、と思ったこともありました。またそのことで、しっかり話す機会とかもなかったけど。マットがミーティングで、オレの名前を出してくれたと聞いて、昔を思い出しました。マットたちがあの頃みんなで手作りのTシャツにNOMISのロゴ貼り付けて、「オレら、NOMISだぜ!」みたいな感じで、友達同士で勝手に盛り上がってた頃の気持ちは忘れていないんだなあ、と思って嬉しく思いました。会社は巨大化して、オレらのちっちゃな夢は一人歩きしてる部分もあるけど、それでも、マットやアンドレ、シモン、マークたちはずっといっしょにいるし、今でももちろんNOMISは愛してます。
 
 
ところで4シーズン、カナダ・ウィスラーで修行したハジメが、今年は日本で活動。その気持ちの変化は、どのような理由から?
 
ウィスラーは大好きだし、BESTだと思うんですがその山しか知らないし、何年もいっしょだと環境に甘えてくるんで。
ウィスラーを離れたい、全然違う環境で滑りたいのもあったし、日本のスノーボードシーンも知りたいと思ってました。
あとは、インドアドリームっていう大会に出たのも、一つのきっかけでした。
 
あのインドア大会で
ちょっとは名の知れるきっかけになったよね。
実際、日本で滑ってみて。特に日本のスノーボード・シーン、どう感じた?

 
正直文化の違いはとても感じてます。
元々海外発のスポーツだから、英語が苦手な日本では 広まり方にももちろん偏りがあって。たぶん 他の国でもそうだろうと思うけど。
新潟の自分がいる場所が特別なのかもしれないんですが、フリーランしない人が多いのも違いですかね。
みんな下の方の踏み固められた緩斜面で、グラトリばっかして、雪積もってるのにゴンドラは空いてる。おかげでパウダー競争しなくていいからありがたいけど、あの光景を見ると申し訳なく思います。
まだまだ日本のシーンで見えてない部分が多いので、わかりませんが、国が違えばスノーボードの楽しみ方も違うんだろう、って思ってます。
 
ぶっちゃげ、ここは大したことなかったとか、ここは勘違いしていて凄い点だった、というようなことは?
 
リゾートって名が付くリゾートが大したことないってことですかね。
なんか中途半端っていうか、小さくまとまって自分のところだけで囲って、ちびちび利益を上げてるイメージがあります。
日本のいろんな業界にも言えることだと思うけど、目先のことばかり見てないで、連携してもっと大きく展開してほしいです。
どうせ金使ってリゾートに遊びに行くなら、現実離れした休日を過ごせた方がいいでしょう。
 
凄い点は苗場の雪が想像以上に良かったことと、みんな優しいことです。 
 
今年の目標は?
 
九州のSTARILL FILMと、東北のBIGTIME、あとCK4VMと撮影していろんな映像、良い画を残していきたいです。それと良い写真も残したいですね。行ったことない山やイベントなんかにも参加したいです。
自動車の免許もとりたいです。
 
 
最後に夢を聞かせて。
 
また、シモンたちと一緒に滑ったり、撮影したりして北米のビデオに出たり。
サマーキャンプなんかでキッズにコーチングしたりして、日本でもスノーボードが好きでしょうがないキッズ達の笑顔であふれてる光景を見たいです。

name: Hajime Hirano
birthdate: 16 Nov.
where you live: Fukuoka
sponsors: nomis,Forum, Special Blend, Cantera,Acharm, 九衆弾児、BIGAIR福岡“DEVILS”
other things to do: chilling
lifetime hero: Michael Jordan
favorite terrain: anywhere i can ride
warm up trick: nosepress
favorite nomis piece: denims
movie recommendations: Fight Club
driving & flying: flying


 

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