フリーラン誌で大活躍するシニアエディター/岩村 優子

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今回もかなりオススメだ! ここのところ評判のいい専門誌編集者シリーズ第五弾。岩村さんは10年以上もこの業界で活躍している編集者で、現在はフリーラン誌のシニアエディター。長年の経験で得た執筆のノウハウやフリーラン誌の豊富などを聞いてみた。


フサキ(以下F):まずはこの業界に携わったいきさつを教えてください。
岩村(以下I):もともとウインドサーフィン雑誌をやっていました。10年以上前にスノーボードも流行って来たので、年に1回、別冊を作るということになったんです。それが凄いブームになり、年に4冊、8冊と増えていって、年間を通して関わるようになりました。

F:それはスノースタイルですよね。
I:ええ。

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F:僕も確か買っていると思うんですけど、どんな内容でしたっけ?
I:ずいぶん前のことなので、だいぶ忘れてしまったんですけど・・・。その当時はクレイグ・ケリーがチャンピオン時代で、日本では竹内くんが全盛期で玉井さんもまだ現役で大会とか出てて、そういうののグラビアとか大会レポートとか。私はスノーボードを始めたばっかりで、外部のスタッフといっしょにやっていったんです。プロ・ライダーのプロフィール紹介とかもやりましたね。(注釈:クレイグ・ケリーはテリエが登場する前の世界チャンピオン、現在は神とまで形容されるほどのライダー。竹内くんとは、マサの愛称で有名な竹内正則プロのこと。日本スノーボード界の大御所的ライダー。玉井さんとは現在パウダー・シーンでよく雑誌やビデオに登場している玉井太朗のこと。玉井太郎はスノーボード創生期時代にモスのボードに乗り大活躍していて、竹内プロよりもさらに前の大会で優勝している)

F:スタイル編集部にいたということですが、ここまでに至る経緯をカンタンに教えていただけますか。
I:マリン企画(注釈:スノースタイル誌出版会社)には9年いました。辞めたのは別にスノースタイルが嫌になったからではなく、会社が八景島に移ることになったので、私が住んでいたところから2時間半もかかってしまうという交通の便のことが1つです。あとは長くその世界だけに関わってきたので、私、旅行とかも好きだったんで、他の雑誌とかもやってみたかった。あとは編集者という立場でなく、ライターという立場で関わってみるというのもいいかなと思って。その後は、フリーライターとして約2年間、スノーボードの仕事をメインに、旅行雑誌とか情報誌とかもやっていました。ただ色んな雑誌をやってみて思ったのは、やっぱりスノーボードの雑誌って魅力的だなあ、と。まあ、一般誌というのは情報誌的な部分が大きくて、例えばここのレストランは何時から何時までやっているだとか。

F:ああ、なるほど、深くないというか。
I:そうですね。スノーボード雑誌のようにひとつのテーマを追求する機会が少ないんですね。あとライターの立場というのも、単発でいろんなところから仕事を受けて、ちょっとずつ関わるっていうのが、まあ人によって違うと思うのですけど、私はやっぱり編集者として1つの雑誌を一からじっくり作っていくというのが性に合っていると思い直していたんです。ちょうどその時、昔の上司から、フリーランという雑誌を創刊したので、スタッフとして参加してみないかと誘っていただき、始めることにしました。

F:それは、最近のことですか。
I:去年の9月でした。フリーランは創刊準備号が3月に出て、その後、8月から月刊誌として本格始動したので、ほとんどスタート当初から関わっています。

F:そもそもライターという職業を選んだ理由は?
I:大学時代から雑誌の編集に興味があって、私、実家が関西なんですけど、関西の情報誌でアルバイトをやっていたんです。で、まあ出版社に入りたいというのがあって、いろいろなところを受けたんですけど、たまたま大学時代にウィンドサーフィンもやっていたこともあり、ハイウィンドというところに入りました。

F:じゃあ、好きだったと。
I:そうですね。モノを書くことも好きだし、編集の仕事に興味があって。あそこに行ってみたいなとか、この人と話してみたいな、という漠然とイメージしていることを実際お会いして、撮影して、原稿を書いて、本ができる。そういう過程がおもしろいし、そういう仕事をぜひやってみたいな、と。

F:僕なんかは過程もおもしろいんですけど、最後の出るところが楽しみなんです。だけど、ライターとしてずっと食べていくのには、そういった過程も楽しめる人でないとダメなんですかねえ。
I:編集とライターというのもまたちょっと違っていると思うんです。フリーライターの場合、相手先の出版社によって仕事のやり方もまちまちで、担当編集者の方がラフも組んで、ここはこんな内容で何行以内で書いてくれみたいな所もあるし。

F:うわあ、それは嫌だなあ。
I:本当にフォーマットが決まったものを埋め込むだけということもあるし、わりと自分が企画を提案して、自由に書かせてもらったり、いろいろなスタイルがあるんですけど、やっぱ取材して書くことがメインじゃないですか。でも編集というのはもちろん自分が取材して書くこともあるんですけど、その前の仕事で年間の企画をどうするとか、この本は何特集だから、これとこれを入れなくてはならないとか、企画が決まったら、それは誰がやるとか、そういった全体のプランを考えるというのも楽しいし、深く関われるんですね。

F:うーん、なるほど。そう言われてみると編集という仕事になんかとても興味が沸いてきました。そうかあ、書くだけでなく、そういったことを考えるのが編集者なんですね。ところで、結構、こういった仕事をしている人は、仕事時間が長く残業が多くなり、特に女性となると大変だと思います。それが嫌で辞めてしまった方という話も聞いたことがあるのですが、岩村さんが長い間やってこれた秘訣は何だったんですか?
I:そうですねえ。私も最初、仕事を始めた時には、原稿を書くのも遅いし、要領も悪いんで、締め切りの時は徹夜したこともあったんです。だけど最近は、もう何年もやってきたんでスピードも上がったし、女性だからできないということは特にありません。それよりは例えばロケに行った時に、別に私が凄いトリックをする必要はないけど、ライダーと一緒に撮影の現場に行くだけの滑走技術は最低必要なわけで。最近はバックカントリーでの撮影も増えたので、ヤバいなあと思うような場所に一緒に行くこともありますね。やっぱりライダーより滑りやハイクのスピードも遅いので、体力的な面では男性に較べてハンディはあるかもしれません。難しいトゥリーや沢を滑る時はいつも必死の形相でついて行ってます(笑)。

F:世の中に残るというものは、存在価値があるものばかり残っているように思えます。岩村さんから見て、フリーラン誌の存在価値、セールス・ポイントというか、ここが他の雑誌と違うんです、というところをちょっと紹介していただけませんか?
I:私はスノーボードに限らずいろいろな雑誌に関わってきたんですけど、やっぱり歴史のある雑誌だと、ある程度のフォーマットも決まってきちゃうし、いろいろなしがらみも増えて、崩せない部分とかもあるじゃないですか。例えば広告の関係で、この号にはこういうことをやらなくちゃいけないとか、逆にこれはやっちゃいけないとか。フリーランの魅力は規制にとらわれず、凄く思いきったことをやれる!ということ。なんでも自由にやらせてもらえて、とにかくいいものを作ればいいというスタイルなので、やりがいがありますね。こんなに突っ走っちゃって大丈夫なの?とこちらが心配になるくらい。万人にウケようとすると、どうしても“"広く浅く”になってしまうけど、フリーランは本当にスノーボードにハマッてるコア層をターゲットにしているので、いい意味で過激な作り方が出来ます。雑誌で何々特集とうたっても、普通なら巻頭の20~30ページが特集で、あとはレギュラーの連載記事だったりするんですけど、フリーランでは全体の7~8割をドーンと特集記事に使っちゃう。アメリカ特集だったら、もう徹底的にアメリカばっかりみたいな。

F:そっかー、万人に受けるためには“広く浅く”という傾向になってしまうんですね。それにしても、ドーンと大きく特集組めるって凄く度胸あるなあ、大胆ですね。
I:そうですね。大胆に好きなものを作れるというのが私にとっては新鮮で楽しい。ページが足りなくて、伝えたいことが伝えられなかったというストレスがないし、自由にできるし。新しい雑誌なんで、何もないところから作りあげていくのが楽しいですね。凄くみんなやる気があって、プライドを持ってやっているし。

F:そのへんが、ライダーたちもステイタスを感じているんでしょうね。フリーラン誌に出たいというライダーの意見とかよく聞きます。
I:創刊当初は何も本ができていないところから取材をしなくてはいけなくて、みんなどんな本ができるかわからない状態でした。その中で協力を得られたのは、やっぱり、各スタッフが今までやってきたキャリアを信用してもらった部分が大きいと思います。最近はできた雑誌を見て、これならぜひ出てみたいというライダーも増えてきて、ライダー以外でも売り込みに来てくれる人が増えて、そういったネットワークが広がって来てきます。

F:今までたーくさん仕事をしていると思うのですが、思い出に残る仕事って何ですか?僕なんかはまだまだ仕事量が少ないせいか、これはよかったなあっていうのがあるんですが。
I:うーん、いっぱいあり過ぎて、どれにしていいのか・・・。先シーズン行った中で一番印象的だったのは、モロッコですね。佐久間洋くんと石川健二くんと一緒にトリップ記事の取材で行ったんですが、ラクダに乗ってサハラ砂漠でサンドボーディングしたり、モロッコ最高峰のトゥプカル山に登って現地のシェルパとテント生活しながらスノーボードしたり。雪質は北米やヨーロッパのようにはいかなかったけど、生涯の記憶に残る最高の旅でした。夕陽に染まるサハラ砂漠の絶景は忘れられません。アテにしていたスキー場のリフトが全部壊れていて山に上がれなかったり、モロッコ商人にぼったくられたり、いろいろハプニングもありましたが、それも後になればいい思い出です。ライダーふたりもすっかりモロッコにハマって、市場でナゾのアンモナイトや太鼓を買いまくってましたよ。ちなみにこの時の記事はフリーランの12/27 発売号に掲載予定なので、ヨロシク!

F:なんか楽しみな企画ですね。ぜひ、その号は買いたいと思います。全然、話は変わりますが、確か岩村さんはマック遠藤のハウツーとかやっていたんですよね。僕、マックさんとても好きなんです。今、僕が自然体で滑ることを心がけているのもマックさんの影響力なんです。岩村さんはマックさんといっしょに仕事もしているし、またいろいろな素晴らしいライダーたちとの交流があったと思うのですが、10数年という日本のスノーボード・ヒストリーで、キー・パーソンになったライダーというのは誰だと思いますか?
I:日本のアルペン界にマック遠藤が残した功績はとても大きいと思います。アルペン=レースというのが当たり前の時代に、彼はあえてプロレーサーにはならず、アルペン・フリーライディングという新しい世界を作り上げていった。彼とは世界中いろんな場所に行って、日本初のHOW TO本、“スノーボーディング・マスター”を一緒に作ったりもしましたが、会う度に驚かされるのは、いつも新しい技術を開拓し、みずから実践してみせてくれること。フリースタイルと違って、アルペンの場合、トリックが無数にあるわけでもなく、カーヴィングの違いと言ってもすごく微妙な話で、なかなか難しいのですが、彼は常に進歩し続け、それを抜群の表現力で分かりやすく解説している点がすごいと思います。フリーランに入ってからはあまり会う機会もないのですが、またいつか一緒に仕事をしてみたいです。フリースタイル界では、やっぱりライオですね。マックダウのビデオに初出演したり、テリエが企画した北欧の大会にテリエ本人から電話で招待されて出場したり、4月にカナダで行われたワールドチャンピオンシップで優勝したり。今まで日本人には無理と思われていた壁をどんどんつき破っている。カナダの大会には私も取材に行ったのですが、表彰式でライオの名前が呼ばれた時は感動で鳥肌が立ちました。

F:ライオの優勝は僕もビックリしました。あのメンバーで勝ったことは、日本スノーボードの歴史に新たなページを記したと思います。うーん、凄いよなあ。ところで、全然質問違うんですけど、ふだんどんな本読んでいますか?
I:世界の旅とか秘境が好きなんで、ナチョナル・ジオグラフィックとか、バック・パッカー向けの旅行人とか。

F:小説のような本は?
I:ええ、たくさん読みます。今はパトリシア・コーンウェルの推理小説、検屍官ケイのシリーズにハマッてます。村上龍や沢木耕太郎のスポーツを題材にした小説やノンフィクションも、切り口が新鮮でとても勉強になりますね。


F:そういった読書が自分の書くことへの影響を及ぼしていると思いますか?それか読書は趣味になるのでしょうか?
I:うーん、どうだろう。新人の頃は原稿を書くのも慣れていないから、人を感動させるカッコいい文章を書かなくちゃいけないんじゃないかと、一行一行書くのにも悩んで徹夜したりしていたんですけど。ある時、雑誌というのは小説じゃないし、旬の出来事をありのままに、分かりやすく伝えるのが一番だと気付いて。変にカッコいい文章よりも、「これ凄い!」と思った感動をありのままに表現することですね。筆者が実際に「すげー!、かっこいい!」と感動して書いた文章というのは、読者にも伝わると思うんですよ。常にフットワークを軽く、脳みそを柔らかくして、いろんなことに感動できる自分でいられることが大切だと思います。


F:最後にみんなに聞いているのですが、夢をどうぞ!。

I:うーん、旅行好きなんで、ケニアとモンゴルに行ってみたいというのが当面の夢です。私、○○族とか民俗衣装に弱いので、ケニアのマサイ族に会ってみたい。赤い布を纏ってピーンと背中を伸ばし、ライオンを狩るマサイの戦士に憧れてます。モンゴルはではゲル(移動式テント)に泊まって大草原の中で乗馬をしてみたい。7月にはナーダムという年に一度のお祭りがあるので、それを見に行きたいですね。なんか、スノーボードと関係なくてすみません


F:いえいえ、全然その方が人間性が出ていいですよ。本日はお忙しいところありがとうございました。

I:いえいえ、とんでもないこちらこそ。


インタビュー後記:
一件おとなしい女性に見える岩村さんだが、話を聞くと内に強いものをもった女性であると思った。一連のコメントを改めて読むと、とても心に響くものがある。その言葉は「真」を捕らえているから、そのように思うのだろう。このインタビューを終えて、何事も飾らずに自然体でやろうと思った。なんか、文を書くのもずいぶん楽になったような気がする。

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