実力を測る

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犬との朝の散歩コースには川沿いを歩く。そこには丸太の棒が横たわり、ちょうどその上に乗ると天気のいい日には、目の前にブラッコム山が見える。山の上にある雪の量の増え加減を確かめつつ、深呼吸すると気持ちいい。
この丸太、ちょうど良いバランス・トレーニングにもなるので、そこでちょっとスノーボードのイメトレをしてみる。だけど、先日は不覚にもバランスを崩し川に落ちてしまった。浅瀬のところだから、ちょっと靴が濡れただけなのだけど、前の晩はちょっと飲み過ぎたかな?なんて言い訳(?)を考えたりして。
だけど、こういうことがあると、これが自分のバランスで、実力だと思う。

スノーボードも朝とか調子悪い、なんて考える人が多いけど、それも本来持つ実力だと思うのだ。朝の一本目が自分のスノーボードの実力だと、アルペン・レーサー時代にも良く思った。実際、レースの場合には朝から勝負ということも多い。

確かに2本、3本と滑っているうちに調子は上がってくるものである。だけど、その調子のいい自分も、朝の一本目の自分も、結局は自分なのだから否定しようがない。朝のスノーボードディングも午後のスノーボーディングも結局は、自分のスノーボーディングである。

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こういう考えもある。 スノーボードは困難な状況になると、悪いクセが出る。例えば、限界以上の斜度やスピード、さらにはキッカーやレールなど、必ずや自分の悪いところが出て失敗したりするものだ。また、それは疲れた時やテンションが下がった時にも出てしまう。そういった悪い状況も、結局は自分のスノーボーディングなのだから、それも実力である、という考え方をするのだ。

反対に調子いい時の自分だけが本来の実力と考えた場合には、どうだろうか? 実際世の中には、そういう考え方をする人が多いけど、そういう人は危ないと思う。ラスト1本の滑走でケガをする人は、結局、そういった過信から転倒などを起こしてしまうものだ。ケガをするのも自分の実力範囲内から引き起こしたわけだから、そういう自分もいることを否定しないで、謙虚に対応するべきなのである。例えば、「ああ、オレ疲れているな。みんな最後の一本をパークで楽しむようだけど、オレはスイッチで流して終了しよう」とか、考えればいいわけだ。

ちょっと哲学的な話になって恐縮だけど、人間は良い境地の時もあれば、悪い境地の時もある。例えば、精神的に疲れている時に、相手に対して失言をしてしまうことがある。「ああ、あんなことを言わなければ良かった」という境地だ。逆に自分の気持ちが華やかで健康な時には、楽しいコミュニケーションができ、話も建設的な方向に進むものだ。これは言わば、自分の気持ちのコンディションとも言えるが、スノーボードもまったく同じことが言えるだろう。

自分の実力を常に測るクセをつけておき、引き下がる時には引き下がり。また実力をつけるために、絶えず精進を続ける。昨日、安打記録を達成したイチローなんかも、そういった精神力がとても強いように感じる。ヒットを打つために、試合前、試合後、やることをしっかりやり、なおかつ常に精進を続けているに違いない。自分の実力に対して謙虚な気持ちを持ち、絶えず努力を惜しまない。きっと世界のすべての天才と言われる人は、結局のところ努力の塊のような人だと思うのだ。

あなたの本当の実力はどんなものなのか? 改めて考えてみたら、そこに上達のヒントが見つかるかもしれない。

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