感動無感動

本を読むのが好きだ。よほど忙しくない限り、だいたい毎日、本に目を通す時間を作っている。しばらく日本に帰っていないと新しい本がないので、以前読んだ本を再 び読み返すのだが、その中でも一番良く読むのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。ご存知、坂本竜馬「本」の代表作品だが、読んでいると思わず共感してしまうフレーズが出てくる。その中でも1つ印象的な言葉を紹介しよう。

「一瞬でもこの絶景を見て心の内が沸く人間と、そうでない人間とは違う。」

なるほど、と思わずメモを取った言葉であるが、後々、読むと人間としての受信能力を問われているようにも思える。

今、目の前にある景色は誰にとっても平等であるが、ある人にとっては感動であり、ある人にとっては無感情で終わるものである。

例えば、ある人がスノーボードのレッスンを受けた時、その時レッスン現場にいた人たちにとってはまったく同じ状況であるが、ある人にとってはそのアドバイスを有効に使えたり、またある人はまったく有効に使えずに終わってしまうだろう。

唐突だが。人間の心理として興味深い現象は、お金をかけたものは感謝するけど、そうでないものには感謝しないという風潮。例えば、お金をかけて行く学校には、その価値観を感じて一生懸命に取り組むのに、まったくお金をかけないものにはそれほど真剣にならなかったり。

ここ3年間やって来たウィスラーでのクラブ活動は、最初の年、無料であった。ところが無料である上に(たまたまかもしれないけど)、毎回きちんと来ない人も出た。だけど、2年目からシーズンで100ドルという安価だが、お金を取るようになったらもっと真剣な人が増えた。まったく同じようなことをやって、その3倍ものお金、300ドルを取ったらもっと真剣になるのだろうか?なんて考えてしまう。もちろん、そんな銭ケバのことはしないけど、せっかく縁あって参加したクラブ活動だから、すべての人に、自分の持つスノーボード知識を伝えたいと思う。

話はどんどん飛んでしまうが、時々自分は真剣ファンなのかな?と思う。というのも最近の日本での風潮は、ひじょうに軽いノリだからだ。常に自分のように真剣に物事をやってしまうと、周りは疲れてしまうのかなあ、と思う。自分の感覚は明治時代だったら、普通なのかもしれないが、今の時代では重過ぎる感覚なのか?

だけど、スノーボードを上達して来たすべての人に言えるけど、外側では軽いこと言っても、内側ではひじょうに真剣に取り組んでいるように思える。例えば、今、日本のトップと言っていいだろう布施忠にしても、本当にスノーボードのことが大好きで真剣に取り組んでいると思うのだ。この夏のグレーシア・キャンプでたまたまいた綿谷くん(ナショナル・チームのコーチ)から、ハンドプラントを教わっている時も、ひじょうに貪欲に挑んでいた。あの日、多くのキャンパーたちがいて、誰もが綿谷くんから教われるという状況の中、最もその言葉を真剣に聞いていた一人だと思う。

まったく同じような状況であっても、その言葉を感動的に受け止めたり、まったく無感動で流したり。その些細な出来事が将来大きく変わる、と思うのだ。スノーボードをうまくなりたいと思ったら、やはり感動できる心構えを常に磨くことが大切だろう。