努力時代

1985-86年シーズンにスノーボードを始めた時、僕はまだ16歳だった。
翌年から、大会に出るようになったのだけど、それまでの滑走日数は、確か2、3日しかなかったと思う。そう、初心者時代から大会に出ていたのである。

僕が最初に乗ったMOSSのV1

だけど、1987年、峰の原で行われた全日本スノーサーフィン選手権で度胸試しのようなダウンヒルで25位に入ると、それがスポンサーのきっかけになった。

当時、Vansを仕入れていた社長さんが、「若いのに一人で来て大したものだ」ということで、スノーテックという板をくれたのだ。その頃、ちょうどスキーブーツで使用していたMOSSスノーサーフィン時代から、ソレルの登山靴で遊ぶスノーボード時代に入っていた頃で、そのソレルブーツで乗るスノーテックをもらえたことは、とても大きな喜びだったことを覚えている。

あの時代、玉井太郎さん、大曽根 正さん、和田千鶴さんという方たちがすでに活躍していた頃で。だけど、トップで活躍していた方たちは、すでに20代中頃から後半になり、確か竹内正則さんも20代前半とかで、僕のように10代の若者は本当に少なかったし、自分よりも若いライダーを見たこともなかった。だから、当時、へたっぴな僕のような者でもスポンサーが付いたのだ。

あの時代を振り返れば、パイオニア時代だったと思う。
その意味は、スノーボードというものを世に普及させるように活動して来た者たちが、スポンサーをもらえた時代。そこにはセンスとか努力とかあまり関係なく、単にスノーボードを早く知った者勝ち!という時代だ。

もちろん当時から、センスがあり、努力していた人は、光っていたけど。特に竹内正則さんは、当時若手でセンスもピカイチあり、ある種のオーラを放っていた。

90年代に入り、スノーボードもボチボチ世間に広まるようになった。竹内正則さんを先頭に、スケート界から豊田貢さんも入って来た。海外から逆輸入組で小川理人くんもいて、あと、ストーミーの方たちはかなりギラギラしていて怖かったなあ(笑)。三沢くんとかバブルスくんとか、スノーボードのコアなシーンから大きくなり始めた市場まで、引っ張っていた時代だ。

海外ではもちろんクレイグ・ケリーがいて、だけどそろそろ選手は引退か、ってところで、テリエが出て、ショーン・パーマーもいて。アメリカのライダーたちは、日本のホテルに滞在して、好き放題でかなり悪いこともしていたようだ。

その時代から最初のスノーボード五輪が開催される長野オリンピックがある1998年頃までは、センスがあった人が、台頭した時代だと思う。つまり、スノーボードは創世記時代、単にそれを早く知った人が活躍して、だけどその内にプラス、センスがある人が活躍される時代に入ったということ。もちろん、そこでも努力を積み重ねた人は上に行き輝いたけど。例えば、ライオなんかセンスの上に努力を積み重ねて世界に名を知らしめた代表例だろう。
だけど、全般的にそれほど努力していない人でも活躍できた、という時代だったと思うのだ。

そして、現在2008年は、完全に努力するライダーだけしか浮かばれない時代になったと思う。一見、あまり練習していなさそうなライダーでも、ガンガン練習している。

例えば、自分が良く知っているシモン・チェンバレンやデバン・ウォルッシュも、全米アイスホッケー・プロリーグのトレーナーに付き添い、オフトレを欠かしていない。
そのようなトレーナーがない若手でも、ビデオでスタイルを練習し、ハングリーに練習しまくっている。残念ながら、まだ女子ではそこまで根性出しているライダーが少ないとも言えないが、全体的にセンスにプラスしてハンパない努力をして来た者が活躍している時代だと思うのだ。

あまり自分には関係ない話?
って方もいるかもしれないけど、ライダーを目指す人、もっとガンガンにうまくなりたい人には、やはり努力が大切なんだ、ってことを知ってほしくて、こんなコラムを書いてみた。

もちろん、努力したからって必ずしも報われるってわけでもないし、努力の仕方だってあるのだけど。ともかく、これから「カッコいい!」と思われるスノーボーダーたちの背景には、努力って二文字が輝いている時代になっているのではないか、と思う。

例えば、シーズン中の滑走日数が、60日以下ほどの方は、これからニュージーランドなどに行き、滑走日数を増やし練習を続ける必要があるだろう。

滑走日数が100日以上あり、十分にシーズン中滑って来た篭り組の方は、より努力を確かな方向に向かすために良質なビデオ作品を観た研究、またオフトレも欠かせないだろう。

忠くん(布施)のように、自分に厳しく練習を続ける者は、うまくだろうね。

僕も今年で40歳になるけど、ボチボチ(?)努力して、これからももっとうまくなりたいと思っているよ。