【コラム】日本人の趣味とは

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文:齋藤 稔

ここ最近思うようになったのだが、日本人はものすごく習い事の好きな人間の集まりらしいということ。小さい頃ピアノや書道など何かしら習い事に通っていた経験のある人も少なくないハズだし、習い事だけではなく学校が終われば塾に出かけ、家に帰ってくれば宿題をこなすという小学生は日本全国もはや珍しくも何ともない光景になってしまった。かくいう僕も小学生の頃から柔道を始め、週に最低でも一回は柔道を習い、大会が近くなれば週3回の練習をこなしていた。その後中学高校は柔道部に入り部活の毎日、大学時代はアメフト部で毎日練習することになったのだが、まぁ、僕の話はとりあえず置いておくことにして、今回はこの習い事についてなのだ。 

良くゲレンデで見かけるのが一生懸命に練習に励むスノーボーダーとスキーやの皆様。すぐ脇にはものすごいパウダーが残っているのに何かにとりつかれたかのようにポールをくぐるアルペンスキーヤーや来る日も来る日もパイプをハイクし続けるスノーボーダーの一群。どんなに良い天気でもどんなに良い雪でも、反対にどんなに悪条件でも彼(彼女)たちは練習に明け暮れる。まぁ、本人達はそれが楽しいのだろう(?)からそれはそれで良いのだが、はたしてそれが本当に趣味といえるのだろうか? 僕を始め殆どの人が考える趣味とは「趣味=楽しいこと」であってけして「趣味=小難しい習い事」ではないはず。もちろん上達の過程で壁にぶつかり必死に練習する時期もあるのだがその時に思うことは「これができればもっと楽しいんだろうな」という前向きの考えであって「これができなければオレうまくならないのでは? どうしよう・・・」という後ろ向きの考えではない。この前向きの考えが「趣味」として楽しんでいる人の発想で、後ろ向きの考えは「習い事」になってしまっている人の発想ではないだろうか。結局の所「趣味」なのだから自分が他の人に迷惑をかけない範囲で楽しめればそれで充分だし、もっと楽しもうという過程で上達指向が出てくるというのはひじょうに自然なことで、その上達の過程さえも楽しいのが「趣味」といえるのではないだろうか。ところが日本人は「習い事」がよほど好きなようで「趣味」として始めたことも気がつけば訳のわからない強迫観念にとりつかれた「習い事」になってしまう人が多いように思う。ものすごいパウダーの日にポールバーンで首を捻りながらくらい顔をして練習している人を見ると「あなたは本当に楽しんでいますか?」と他人のことながらちょっと心配になってしまう。 

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スローライフなんて言葉を最近よく耳にするけどようは「もうちょっと人生を楽しみましょうよ」ってことなんだろうと勝手に解釈している。日本人って楽しむことになれていないようで、せっかく楽しんで始めたこともいつの間にか「習い事」になってしまって自分でつまらなくしてしまっている。だから「そんなに肩肘張らないでもっとリラックスして楽しみましょうよ」って誰かに言ってもらわないと気がつかないのかもしれない。それなら僕がいくらでも言ってあげますからそろそろ「趣味」として楽しんでみてはいかがですか。僕なんかは遊びに行くのだから帰ってきたら「今日は楽しかったな~。次はいつ行こうかな~。」って思えるのがホントの「趣味」だと思うんですけど、やっぱり日本人は習い事の好きな人たち・・・なんでしょうか・・・

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