【コラム】スノーボードにとっては「たかが五輪」への反論

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日刊スポーツ ソチ五輪コラム:スノーボードにとっては「たかが五輪」(以下、リンク)
http://www.nikkansports.com/sochi2014/column/ogishima/news/f-sochi-tp0-20140213-1256744.html

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文:飯田房貴

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もちろん五輪に出た各選手にとって、スノーボードはとても大きなものだろう。他の競技の選手のように。それは、スキージャンプであれ、フィギュアであれ、同じように。

自分が知る限り、今回出た日本人選手たちが、「最高の大会は五輪じゃない」と言っていない。
むしろ、スロープスタイルの角野選手は、「五輪を通して、マイナー感あるスノーボードをよりメジャーにしたい!」という思いがあるように、各選手とも五輪を大きなものとしてとらえていると思う。
今日、5位に入賞した岡田良菜は、五輪あとに引退を示唆するようなコメントを発したが、彼女にとっても五輪はそれほど大きなものだったのだろう。悔しかったバンクーバー五輪での雪辱に燃え。その思いをソチにぶつけて走り、途中大きなケガもあり、最後の最後のW杯で五輪出場への切符を取った道のり。
彼女の思いを想像すれば、このことも僕にとっては胸を締め付けられる思いである。ジャンプの高梨沙羅選手と同じように。

しかし、この記者の方が考える「温度差を感じる」ということには同意するところがある。ただ、それは選手の若さから来るものではないと思う。
それは、五輪の運営方法だったり、スノーボードを理解していない状況での正式種目になった歴史。さらにはスポーツとして発展して来たカルチャーの違いだ。

元々、スノーボード界には、五輪以前から国際大会があり、団体もあった。
スノーボーダーにとって、よりメジャーなスポーツになるために、オリンピック種目は大きな目標だった。
しかし、IOCオリンピック委員会は当時あった国際的なスノーボード団体、ISFを蹴飛ばすような感じで、スキー協会であるFISに五輪をオファーした。
そこで、大きな反論の炎が燃え上がった。その急先鋒の一人が、長野では絶対的な金メダル候補であったテリエ・ハーコンセン。彼は五輪出場をボイコットした。

その後、スノーボードの国際大会の流れは、おかしくなった。
FISは国際的なワールドカップを行うも、破壊されたISFの遺伝子たちが、新たな流れを作り、TTR世界ツアーなるものを始める。そして、それこそがより大きなスノーボードの国際大会の流れを作る。

しかし、一方で五輪に出場するには、FISが行うW杯で良い結果を残し、ナショナルチームに入ることが条件のため、有力選手が五輪イヤーになると「五輪出場するためだけに」出場するという選手が多くなった。

スノーボーダーが、W杯を軽視する背景にはそういったことがあるからだ。
スノーボーダーには、サッカーの選手が大事にするようなワールドカップがあるように、他にも大事な大会がある。Xゲームやエアー&スタイル。かつての東京ドームでの大会など。
しかし、誤解を招かないためにも、改めて述べるが、それでも五輪に出場する選手は、五輪を大きな目標として目指して来た。やはり世界中が注目する五輪というのは、スノーボーダーにとっては大きなものだからだ。

注:同じスノーボード種目でもアルペンやスノーボードクロスのFISのW杯では、真の強い選手たちが争っている。

しかし、そこに待ち受けていたものは、納得し難いジャッジング(注:これについては賛否両論あり、すべてのスノーボーダーがジャッジングを否定しているのではない)。五輪という晴れ舞台とは思えないような酷いコース。
ハーフパイプを例にとれば、選手は本来の持ち技を出せない難しい状況であった。普段5メートル以上のジャンプをする選手が4メートルしか出せずに苦しんだ。家族を呼び寄せ、普段のスノーボード大会と同じようなパフォーマンスを見せれなくて悔しい思いをした選手は少なくない。

IOC、FISの判断の誤りを感じずにはいられない。スノーボードをより理解したプロに仕事を任せていないということだ。
残念ながら、五輪を任されたFISは、スノーボードの最高舞台にするハズのコースは作れなかったのだ。

最後にスノーボードというカルチャーの発展について。
他のスポーツが、大会という形式でプロフェッショナル化を目指すのとは違い、プロ・スノーボーダーは自身のカッコ良い滑りを映像で収め、それを見てもらうことでプロフェショナル化を築いて来た。
だから、スノーボーダーにとって、ハーフパイプやスロープスタイルというのは、1つのイベントでもあるという考えもある。
例えば、日本人プロ・スノーボーダーとして、世界の舞台で活躍している布施忠は、こうした大会にまったく出ない。彼の滑りは、ビデオや写真などでしか見れない。それでも、彼は世界中のスノーボーダーからリスペクトされている有名なプロ・ライダーだ。

これは他のスポーツでは考えられないことだろう。
サッカーで尊敬される選手は、ワールドカップやヨーロッパ最高峰リーグで活躍する選手たちだ。リフティング選手権でのチャンピオンが、サッカーのメインステージでの尊敬される対象になるハズはない。しかし、スノーボードはむしろ、そうした映像で魅せるライダーたちの方がリスペクトされている。
そのへんの違いが、普段スノーボードに接しない方が、こうして五輪で感じる違和感につながっていると思う。

何度も言うが、だからと言って五輪に出場した選手が五輪を軽視して来たわけではない。
彼らは五輪という大きな目標に突き進み、多大な犠牲を払い、多くの努力をして来た。そして、できる状況で最高のパフォーマンスを目指した。
それは他のスポーツと同じように崇拝されるべきことだと思う。

 

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