dmkクラブの初海外ツアーが、遂にdmk発祥の地とも言えるカナダ・ウィスラーで行われることになった。開催されるのは2月の連休を絡めた日程で、3日間滑れるスケジュールを組む予定だ。3日間というとちょっと短い気もするが、なるべく多くのdmkクラブ員が参加できるように、このような配慮をした。海外ということで、日程的にも予算もかさむ懸念があるが、楽しいキャンプを目指すので、ぜひ参加してほしい。
くわしい詳細は冬前にはお伝えできる予定。
dmkクラブが歩んだ道
1990年、ウィスラーに住んでいた日本人スノーボーダーのヨサク(本名不明)というスノーボーダーがフサキに声をかけ、「スノーボード・チームを作ろう!」という提案があった。当時、ウィスラーに住む日本人スノーボーダーは極めて少なく、ウィスラーに住む日本人スノーボーダーたちは仲間意識がとても強かったので、チームを作ろうということになったのだ。
チーム名をまかされたフサキは、やんちゃ的な若さの象徴として小僧という言葉を、まず考えた。また、爆発するように目の前の夢に向かって弾けようという思いから、爆弾という言葉を頭に付け、爆弾小僧『DYNAMITE KIDS』としたのだ。
チーム設立当初は、6名程度だったが、フサキが世界中を回りグローバルな活動により、チーム員は日本人、カナダ人以外に、ニュージーランド人、オーストラリア人、アメリカ人、スイス人、韓国人まで広がり国際的なチームの形ができあがった。
しかし、チーム員が各国バラバラということもあり、チーム活動がほとんどナシという状況に陥る。そして、年月と共に自然的消滅の日が近づいて来たのである。新しい活路を開くため、チームではDYNAMITE KIDSの頭文字で作った英語3文字、D、M、Kを使って、ベースボール・キャップやデッキパッドを制作。チーム員に配るのはもちろん、その他、ニュージーランドやカナダのショップでも販売された。しかし、実質的に活動困難状態は続いたので、もう消滅寸前という状態に陥ったのだ。
そんな中、1997年にフサキの親友である村田氏(現クラブ顧問)が先頭になり、dmkスノーボード・クラブとして活動を再開!アヤ部長(現クラブ会長)も積極的に運営に関わり、アットホームなクラブが完成した。
クラブ主なスタッフ
飯田フサキ(クラブ責任者)・・・dmk発起人。クラブ責任者。
村田義夫(顧問)・・・キャンプの運営をチケット手配など旅行会社からの視点からサポート。
久保綾子(会長)・・・キャンプを実行するために過酷なワークを背負ったオーギナイザー。
斉藤ミノル(部長)・・・リーダー。現場でのリーディングやアドバイス、さらにはキャンプの提案や運営も。
村田公生(副部長)・・・別名オヤジ部部長。大人のクラブ員をまとめる。
青木孝則(宴会部長)・・・B級イントラを持ち現場でのコーチングやその他アドバイザー。
加藤圭(カメラマン)・・・専属デジタル・カメラマン。