文:井田 聡
その日のウィスラーは朝から快晴で気分がよかった。パーク・パイプを流しながら滑り、少し寒かったのでたまにパイプをハイクしていた。ご飯をパイプの下で食べていると小鳥がよって来て、パンをおいしそうに眺めていたので差し出すと、手の上に止まりパンを突っついていた。それを見ていたカナディアンの女の子が僕に話し掛けてきて、マネをしてパンを小鳥に差し出していた。そんなほのぼのした一日だった。
クラブ員のアキがパイプ下に現れ、一緒にパークを流そうということになりソーラーコースターのリフト乗り場まで降りていった。その日のパークは連日の冷え込みでやや硬かった。板がよく走りスピードがよく出た。いくつかスパインを調子よく飛んで僕らは「ハイレベルの方にいこう!」と決めた。ブラッコムのハイレベルのほうは、今年からハイレベル用のパスを買ってヘルメットを着用しないと入れないようになっていた。僕らはその時パスもヘルメットも持っていたし、なにより天気がよかったので躊躇することなくデカイパークに行った。
一個目のキッカーで、みんな並んでいて数分順番待ちをして僕の番になった。前にこのキッカーに入ったとき、あまりスピードをつけずに行ったらランディングに届かずフラットで痛かったので、今回はそこそこのスピードで入って行ったら、きれいに抜けられてフワっと浮いている気がしてすごく気持ちよく飛べた。2個目、3個目とどんどん飛んでいって最後のキッカーで相棒のアキが来るのを待った。少しして、アキも来て第一声が「気持ちいい!!」だった。そして最後のキッカー。僕は調子に乗りまくってもっと飛びたいと思い一回もエッジを切らずにノーチェックのフル・スピードでアプローチした。少し上向きのキッカーだったので心配だったけど、最近スパインでいい調子で飛べているのでまくられない自信はあったし、最悪でもお尻から行けばどうにかなると思ってオーリーを軽くかけながらおもいっきり抜けた。その瞬間びっくりして目が点になった。地面がかなり下に見え、しかもどんどん離れていく。そのうえ、はじめは斜度のあるランディングバーンだったけど、恐ろしいことにだんだん平らになってきた。できればこのまま浮いていたかったのだけど、とうとうだんだん下がってきた。もう僕は覚悟を決め、「足からうまくあわせればもしかしたら何とかなるかも」と思い、勇気を出して着地の準備をした。そしてランディング。その瞬間もの凄い重力が僕にかかり、それは今まで体験したことのないものだった。必死に耐えたのだけど左足に激痛が走り、そのままお尻をついて数メートル流された。とにかく僕は、すぐにバインディングをはずしたかったので夢中でブーツを外し、そこでうずくまって痛みに耐えた。
少ししてアキがやってきて「大丈夫か?」と声をかけてきてくれた。でも痛くていいリアクションがとれなかった。「レスキュー呼ぶ?」と言われて、僕はそれだけは恥ずかしくて嫌だったので「大丈夫だから、もうちょっと待って!」と言った。でも、数分たっても僕は立つことさえできなかった。仕方なくキャット・スキナーのリフト係の人にアキがレスキューを呼んでもらうように頼んだ。その時には、もう僕のテンションはおかしく笑いが止まらなかった。たまたま語学学校の同じクラスの友達が通りがかったので「今日学校行けないって言っておいて」と伝言を頼んだ。でも彼もずっと僕に付き添ってくれた。その後、僕はいわゆる棺おけ(怪我した人を運ぶ乗り物)に乗せられ山を降りた。下につくと救急車に乗せかえられ病院に直行した。運ばれている途中初めて一人になる時間ができて笑いが止まった。涙腺が緩みそれを止めるのに夢中だった。いろんな人に迷惑をかけ付き添っていてくれる友達がいて、調子に乗りすぎた自分が情けなくて、そんなことを考えると大変だったので違うことを考えるように努力した。
病院に着くと、僕の膝の痛みはだんだんひいてきて「これは折れてない」という自信が出てきて「すぐに治る」と勝手に思った。病院でのやり取りは全部英語で、簡単な会話なら僕も何とかできるけど専門用語とかが飛び出すので、医療通訳の人を呼んだ。数分後、診察がはじまっていろんなところを押されてもあまり痛くないことに気づき「勝った」とわけのわからないことを考えていたら、医療通訳の人が恐ろしいことを言った。「もしかしたら靭帯切れてるかもね。」僕は冗談だと思い笑ってしまった。すかさずアキが「全治どれくらいですか?1ヶ月とか?」と聞いた。僕は冗談だと思っていたけど、聞きたくなかったので「イヤァ~ン」とふざけて耳をふさいだ。あくまでも医者が言ったわけではなく、医療通訳の人が推測で言ったのでその時は冗談だとおもい信じていなかった。そして医者がレントゲンを持ってきて「何処も折れていない大丈夫だ。」と、言った。僕は「でしょ!俺けっこう頑丈だし。大丈夫だよ。ビビらせないでよぉー。イェイ」と思いまた「勝った」と思った。その次の言葉が僕には信じられなかった。「Your season finished」。「・・・・・」「Pardon me?」と僕はいいたかったけど口が動かなかった。しかもさらに次の言葉も信じられなかった。「You need Operation」。「What’s!!」といいたかったけどその時にはもう笑いが止まらなかった。念のため医療通訳の人が「彼はとうぶんすべりに行っちゃ駄目ですか?」と聞いたら。出てきた答えは「Never」。もう笑うしかなかった。骨は大丈夫だけど、「全治6ヶ月」僕は左足膝十字靭帯を完全に切っていた。
帰りは、タクシーを呼んで家に帰った。家に帰って同居人たちに事情を説明して、手術が必要なのでチケットが取れ次第日本に帰ることにしたことを告げた。そして自分の部屋に行って一人になると今まで我慢した涙が急にあふれた。高校の時に彼女が留学してしまった時、以来の涙だった。僕は今までに山に篭ったことがなく、一回死ぬほどスノーボードがしたくてウィスラーに篭ることを決めた。海外で篭るからには、それなりにお金もかかるわけだし「うまくなって帰ってきました」ではなく「来年プロに上がります」ぐらいのところまでいこうと思って、できる限り毎日のように滑った。それは強制的にではなく凄く凄く楽しかったし、僕は運がよくフサキさんはじめ、友達、周りの人に恵まれたおかげで毎日滑っても全然飽きがこなかった。なによりよかったのは「スノーボードつまんねー」とは一度も思わなかったこと。その楽しいシーズンが終わってしまった。悔しくてしょうがなかった。涙が止まらなかった。
次の日、天気は快晴。僕の部屋からはウィスラー・ブラッコムが丸見えで凄くきれい。写真を撮ってみたけれど、どうも写真になると安っぽく見える。目の前の山を見ていると、怪我をしてとうぶん滑れなくなったのにあまりまだ実感がわかない。いつでも滑りにいけそうな感じがした。「ホントは靭帯切れていないんじゃないか」と医者を疑いたくもなった。それか医療通訳の人の聞き間違えか。そんなことをしてると「電話だよ」と家の同居人にいわれ電話に出ると「何してんの!!」日本にいる彼女からだった。僕も「何してんだろね(笑)」と、答えた。そのあと数分お説教が始まった。心配してくれてるのがうれしいけど心配かけちゃったのも半分でなんともいえなかった。説教が終わり「また来年ね!」と言われて、僕もそうだなと思えてきて気持ちが前向きになってきた。落ち込んでもしょうがないし、また来年滑れるように完璧に治そうと思った。別に一生スノーボードができなくなったわけではないし、来年も再来年もまだまだ続くわけだから。夏は室内にはいけないけどその分、釣りやBBQをして楽しもうと思う。楽しかったシーズンは思ったより早く終わってしまったけど、僕のシーズンはまだまだ続きそうだ。来シーズンまたどこかで。
フサキ編集長のあとがき
この文中にあるようにサトシは、本当に毎日楽しそうに滑っていた。またハングリー精神旺盛なので、今年は僕もサトシといっしょに滑っていて楽しかった。朝一番に待ち合わせして2人で何度もパイプをハイクしたこともある。ビデオを見ながら研究してここをもっとこうしてとかいろいろ話し合った。サトシのリップの抜けはまだアマチュアながら光るものがあり、その原動力はRの使い方がうまいというのと天性の度胸の良さ。そんなサトシは、辛い時ほど笑うカッコいい男だった。このコラムにもあるように今回のことは笑って笑って笑い疲れて、今度はその悔しさをバネに来年羽ばたいてくれるだろう。しかし、そんな彼からまた笑ってしまうお便りが来た。なんと彼の心を支えた彼女に振られたとのこと。うーん、この男、本当に笑うことばかりのことを起こす男なのだ。毎年、様々な人物に会い感動するが、僕にとってサトシは間違いなく今年のMVPだ。