文:飯田房貴
最近つくづく惚れているものほど怖いものはないと思います。
惚れているから夢中。だけど、失っているものも大きい、と。
僕は、スノーボードに惚れたのが、今から19年も前だったので、今この世界で食べて行けるのだと思います。もちろん、その頃からやっている人で、この業界から離れている人が多いことを考えれば、僕なりに勉強しチャレンジした歴史があったから、やって来れたとも思いますが。だけどもし、数年前にこの業界に入っていた、と思うと今のような立場にはなり得なかったでしょう。古くからやっていたステイタスはひじょうに大きいし、古くからやって来たからいただけたチャンスを通して、勉強したことが多かったからです。
今、僕の周りにはたくさんのアマチュア・ライダーがいます。そして、ライダーという肩書きがないいけど、スノーボードがうまい子もたくさんいます。
そこで「オレは好きなスノーボードをやりまくって、便所掃除屋をしてでも続ける。野垂れ死んでもいい。それがオレの道じゃー!」というのなら、何の文句もないし、むしろ羨ましい境地にいるとも思います。しかし、実際には多くの人が言うのは「この業界で働きたい!」。このままスノーボードを続けて、この業界に居座りたい、と思っているから困ったことです。
だけど、イメージとは裏腹に市場がひじょうに狭いスノーボード業界。そんな狭い市場で、たんにスノーボードがうまいぐらいでは、飯が食えたもんじゃありません。例えプロになっても食うのは大変。むしろプロだからこそ、大変という部分が大きいのです。
はっきり言えば、スノーボードに惚れているから己に対してごまかすという人が多いのではないでしょうか? ごまかす、というのは言い過ぎかもしれないし、適切な言葉でないかもしれません。しかし、僕はウィスラーなどでスノーボーダーたちを見ていると、そう思ってしまうことがよくあるのです。
例えば、ある人は食べ物を満足したものを取らずに、ひたすらスノーボードに励みます。また、ある人は寝るところがどうしょうもなく汚くタコ部屋状態のところでも、スノーボードのために我慢します。
我慢することは悪くないし、夢を持つのもいいこと。だけど、将来の収入面での確約のないこの業界に、どうしてこれほどまでに没頭できるのでしょうか? 僕は、それが惚れたスノーボードの怖さだと思うのです。
惚れた女も怖いとよく言うけど、惚れたスノーボードもかなり怖い。衣食住という人間が生きていく上で、基本的なこともないがしろにしてしまうし、何よりそこに将来のためのビジョンがないのがもっと恐ろしい。
例えば、ある人が建設会社に働いていて、寝る間も惜しみ一級建設士を目指すとかならわかります。食うのも我慢して、英語の勉強するのもパソコンの勉強するのも、将来のビジョンがあればOKでしょう。つまり自分はこの資格を取って、このように生きたいという目標です。例えハッキリした目標がなくても、ある程度のビジョンがあるならマシです。
だけど、スノーボードを夢中にやる人の考えることと言ったら、プロになったりスポンサーを取るぐらい、ということしか考えない。そこから何をやるのと聞くと、雑誌に出てキャンプでコーチしてとか、一時的な収入になることぐらいことしか答えられない。その人たちは、それがバイト的な安い報酬であるのを知っているのでしょうか。
もちろんその人なりのスノーボーダーとしてのスタイルの話など聞くと、感銘を受ける時もあるけど、それをきちんとプロとして定期的な収入にする、という考えを持った人はほとんどいない、というのが現状です。
ある時期、山に篭ってスノーボードを一生懸命やったり、ウィスラーに来ることも、いろいろな経験するという意味でとてもいいことだと思います。しかし、その先にスノーボードで飯を食って行こう、というのは、ちょっと違う次元の話でしょう。そこには、きちんと生きて行くため、生活をして行くための作戦があるべきです。
1つ言えるのは、「プロになりたい」なんて考えている人は、自分の他にも腐るほどたくさんいるってことです。そして、そのほとんどが16歳でUSオープン2位に入った国母くんよりもうまくなくて、しかも年上ってことです。これからますます若手ライダーが出る中で、スノーボーダーとして生きていくためにどのようにしたらいいのか。そこを考えることができなければ、この世界で食べて行くのはかなり難しいと思います。だけど、実際、多くのプロになりたい人たちが、どれほどまで将来の道をイメージできているのか?
考えてみたら、僕がこの業界で行き抜いた要因も、「負けないケンカをしない」ということをやって来たからだと思います。若い時には「負けるなら勝つまでやろう」という意気込みでしたが、ある時期に来て考え直しました。もし、スノーボードの神がいるなら、その時、神様はこう言ったのです。
「フサキにはフサキのやるべきことがあるよ」と。
それからレースはきっぱり辞めました。僕が一生懸命に励んだのは、ハウツーをメインとした撮影の仕事、クラブ活動、そしてこのホームページ運営など、誰もやっていなかったようなある種の裏方業務です。今では、これが自分の天職であった、と感じれるようになりました。
しかし、僕はプロであることとか、オリンピックに出ることとか、そういったことをあきらめることが到底できない時期がありました。やっぱり惚れたスノーボードの魔力でしょう。今、考えると恐ろしい。あのまま中途半端にやっていたら、今頃どうなっていたのか? もちろん惚れ続けられるって気持ちいいことだけど、そういうことは永遠にはできないのです。
あの時、僕が見えなかったように、今、将来の道を見えない人がたくさんいると思います。
スノーボードを修行感覚で努力することが1つの宗教のように思われて、他のことを犠牲にしてしまう人も多いです。だけど、スノーボードを永遠に楽しみながら、他にしっかりと仕事をする、というのも1つの立派な道です。むしろ、その人がやっている仕事が多くの方に役立つことを考えれば、スノーボードの仕事よりもずっと素晴らしいことなのではないでしょうか?
ともかく、夢や目標に浮かれるのではなく、しっかりと現状を見つめることが必要です。
自分の口座に今、いくらお金があるのか。毎月、いくらの収入が入るのか。将来、結婚を考えているなら、不定期で安い報酬のフリーランスの立場はひじょうに危ないです。どこかのメーカーやショップに働くにしてもそこの社員になって、スノーボードがどれだけできるかは、ハッキリ言って確立的にはほとんど他業種の会社社員と同じ、ということを理解しないと。その他、イントラにしたってバイト感覚的な報酬だし、どこかの校長になれるにしても、夏には別の畑仕事などしていることをわかってないと。
とにかくスノーボードという夢を持つと、すべての現実を吹っ飛ばす力があるけど、現実を見ないことにはその夢の実現もないのです。つまり、夢とは今ある現実をしっかりと受け止め、覚悟を決めて行動した人だけが成し遂げられるものなのです。
先日、ウチのカミさんが勤める超高級ホテルのスパ(エステのようなもの)にカナダの若手最右翼のあるライダーが指圧マッサージを受けた時のこと。学校に通っていないその若手ライダーに向かって、こう説教したそうです。「プロなんて30歳過ぎてもできるものじゃないのよ。長い人生どうやって生きて行くの。学校はちゃんと行って高校ぐらい卒業しなさい」と。凄く有名ライダーと知らずに説教したウチのカミさんにも笑えたけど、その一方で真実を突いていて関心もさせられました。
プロでも路頭に迷わす(?)スノーボードの魔力。まさに魅力的な遊び、スポーツ。だけど、その遊びやスポーツであるスノーボードにハマる怖さをどれだけの人が知っているのだろう。
世界的に見ればプロの人できちんと自分の将来を考えて行動している人はいます。だけど日本ではまだまだ少ないと思います。あの頂点に行ったライオでさえ、しっかりと将来を見据えて行動しているのだから、この業界で働きたい、という人はもっと真剣に考えてもいいのではないでしょうか?