文:飯田房貴
雪山の自然の地形を使ってオーリーでジャンプ!それから180させてみたり、時にはパイプでバッコーンでぶっ飛んでみる。そういう遊びが疲れて来たら、パウダーをおもいっきり食べてみたり。
こうした現在のスノーボードのメインとなる遊び方を考えてみると、スノーボードの父はスケートボードで母はサーフィンであるようだ。
父から受け継いだスケート魂を雪山で表現する毎日。だけど、結局は偉大なるマザーネイチャーに抱かれるようにサーフィン・スピリットでパウダーの世界に戻る。
でも、スノーボードの長い歴史を紐解けば、かつての父はスケートでなくスキーであったように思う。
例えば、あれは確か自分がミナミのライダーをやる前のことだから、1987年前後だろう。神田のムラサキにコフラックのハードブーツを探しに行った時のことだ。
「コフラックのハードブーツ?」
今のスノーボーダーには聞きなれない言葉だろう。当時、コフラックという山用品から来たハードブーツ屋さんは、スノーボードのブーツを作っていた。スキーのブーツよりも、もっとフレキシブルなプラスチック・シェルのブーツである。あの時(ちょっと後だったかな?89年とか)、スーパースターであったダミアン・サンダースもこのコフラックのブーツでパイプをぶっ飛んでいたライダーだった。高さだけだったら、当時最高峰のクレイグ・ケリーに勝る凄いライダーだ。
ともかくそのムラサキで、松島勝美さんがいた。松島さんは竹内(正則)さんよりもさらに前の世代のプロで、第一回全日本大会の優勝者でもある。当時のムラサキの看板ライダーだ。その自分にとっては憧れのような立場の松島さんが、やや緊張していた自分に温かく接客してくれたのだ。そして、こう言ったことを今でも覚えている。
「これからはハードブーツの時代だね。アルペンの時代だよ」
今、このコラムを読んでいる方は、「まさか!」と思うかもしれない。だけど、あの時の業界にはそんな認識があった。
なぜなら、あの当時に使われていたソレルのブーツ(雪道歩くためのブーツ)でソフトブーツ感覚で行うスノーボードは、足首が弱くエッジホールドが弱い。しかし、プラスチックのシェルでできたハードブーツは、エッジホールドが強いからスピード出しながらカービング・ターンができる。スピードを出せるってことがぶっ飛ぶことも可能ってわけである。さらに大事なポイントとしては、当時の競技の主体がダウンヒルでありスラロームであったこと。そう、まさにあの時、スノーボードのお父さんはスキー、そしてお母さんにサーフィンを持つことで、新しい雪上スポーツとして成長を始めたのである。
堅気なスキーというお父さんを持ったスノーボードは、母にサーフィンを持ってしまったため当時は不良的な存在だった。
「なんだこれ?危ないな。ウチでは滑走禁止だよ」
「滑走禁止かよ。結構なこった。オレたちは別にゲレンデだけで楽しむもんでねえ!こうして裏山でパウダー滑っている方が楽しんだから!!オレたちの母ちゃんバカにすんじゃねえぞ」
ってな時代で、自分もよく天神平のゴンドラ下とか、丸沼の滑走してはいけない区域、リフト下などをよく滑ったものだ。まだ誰もやっていないパイオニンア戦士ってこともあって、楽しかったなあ。
しかし、そんなサーフィン母は堅気の父に飽き飽きとする。だから、スケートおやじと再婚するのは、自然の流れだった。付き合い出したのは90年前だったけど、正式にいっしょになったのは90年後だろう。特に91年だったかロードキルが出たあたりには、完全にスケート父さんの影響力が強い時代になった。ニュースクールという言葉が出た時代だ。だけど、当時もアルペン父さん健在時代で、アルペン界とフリースタイル界に分かれていた。
「スノーボード始めるんだ? フリースタイル(ソフトブーツ)、アルペン(ハードブーツ)にするの?最初はソフトの方がやりやすいんじゃないかな。だけど、最終的にアルペンやるんだったら、最初からハードという手もあるよ」
そんな会話をしていたのが懐かしい。今でこそそんな会話は死語になったようだが、確か90年中頃まではそんな会話を店頭でするのは普通のことだったと思う。だけど、90年後半には圧倒的にスケート父さんが強くなってしまう。その大きな理由は、スケート父さんはハードブーツの良いところを取り込み(学んだとも言える)、しっかりとしたソフトブーツを作るようになったからだ。と同時に板性能もアルペン父さんのことを学んで、滑走性能が良く、エッジホールド性もよくなったのである。もちろん今でもアルペン父さんのエッジホールド性には負けるが、でもアルペン父さんとかなり近いこともできるのだ。バックカントリーでも固いバーンでも滑れるようになったスケート父さんである。さらに持ち前のフリースタイル性能も成長させているから、もはや遊び方の幅で完全にアルペン父さんの上に行ってしまったのだ。かつてフリースタイルとアルペンのシャアは5対5ぐらいだったかもしれないけど、それが6対5、7対3・・・、そして遂には9対1、さらには99対1という状況に近づいている(いや、すでにそうなっている!?)。
自分はかつてアルペンレースを一生懸命やって来た者でもあり、今、五輪で採用されているデュアル・ジャイアントスラロームの楽しさもわかる。だけど、その父であるアルペン・スキーのダウンヒルの世界などは、もっと過激で激しいように思える。また、そもそもそのお父さんから純粋に生まれたスキーは、今ではフリースタイルの世界を開花させ、スキーヤーでもパイプやレールに入るのがあたり前の時代になった。間違いなくスノーボードに影響された者たち。今年のサマーキャンプで、フリースタイル・スキーヤーのパンツの多くがBurtonであることも驚いた。スタイルだけでなく、ファッションなどにも影響を及ぼしているのだ。こうして考えると、スキーヤーでフリースタイルをやっている者の方が、スノーボーダーにはより親密に感じる。逆に言うと、アルペン父さんの息子さんは、同じスノーボーダーでありながら異母兄弟でかなり遠い存在のように感じてしまうのだ。
それではアルペン父を持つ、アルペン・スノーボーダーがかつてのようにメイン・ステージに上る方法はあるのだろうか?
オレはあると思う。今度はアルペン・スノーボーダーが、フリースタイルを学んで、そのテクニックを融合させればいいのだ。
例えば、浪人1(dmk最初のビデオ作品)のサムライ・ボーダーを見てほしい。サムライ姿でアルペンで颯爽と滑り、途中のヒッツなどでジャンプし剣を振り回す姿、カッコいいでしょ? あれはオレだよ。あの映像にちょっとだけとアルペンのカービングとフリースタイルを融合した姿があった。もちろんオレのようなスノーボーダーでもあれくらいのパフォーマンスができるのだから、現在のアルペン戦士が本気でフリースタイルと融合させることをやったら、とんでもないことになる。ブラッコムの有名な急斜面であるスダーンコース斜度50度あるところを滑らせる。アルペンだから、多少の雪の固さもなんのその。激しき雪玉落としながら滑るのだ。その後、ピステ(雪上車がならしたところ)がかかったソーラーコースター下のところで得意のカービング・ターン。上のリフトから眺めている人が「やっべー、アルペンのカーブやべえ!」ってくらいに。それから左手にトラバースして世界に誇るブラッコムのトレインパークに突入だ。ダブル・ダイヤモンのキッカーでまずはベーシックにストレートでメソッド・エアー、次のジャンプではフロントサイド360、さらには最後のジャンプではシャフルも見せよう。そのまま迂回コースに行ってちんたら滑っているフリースタイル小僧を追い抜かして、大きめのヒッツだけ狙ってバッコーン飛んで行く。そうすると、後ろから小僧がこう叫ぶかもしれない。
「あの兄貴、ずいぶん飛ばしてオレの目の前ぶっ飛びやがって。でもアルペンかよ、スタイルねえなあ」
そんな悪態が聞こえたら、今度のヒッツではウォーキングモード(ブーツの前傾角度を開放値にすること)にして、高く飛ぶオーリーを披露してみよう。スケートスタイルに染まったキッズは、どれだけアルペン父さんがカッコいいことを見せても豚に念仏かもしれない。だけど、それはアルペン・レースばかり没頭している人が、まったくスケートスタイル・キッズを理解できないのと同じで、まさにバカの壁だね。
かつてアルペンでもそんな凄いことやっていたライダーがいた。名前は忘れたけどフランス人でとんでもないライダーがいたな。ともかくスピードをぶっ飛ばしてジャンプ台でぶっ飛んで、クレイジーなバックフフリップやパウダー・ランをしているライダー。冒頭に登場したダミアン・サンダースだってかつてはハードブーツだったし(注:途中からソフトブーツになった)、アルペンボードではずっと頑張っているメーカーのF2で、かつて看板ライダーだったケビン・デラニーもアルペン・ボードでフリースタイル的なパフォーマンスを見せていた。
たぶんアルペンボードでもキッカーとかは、よくいるフリースタイルのスキーヤー並のぶっ飛びはできるし、ある程度パイプもこなせると思う。だから、将来、スロープスタイルまでこなせるアルペン・ボーダーが出たらおもしろいだろうね。
ともかく、アルペン父さんはフリースタイル的なことを謙虚に学び、またそれ共に新しいフリースタイル的アルペン・ボードというのもリリースして、そして持ち前であるカービング性能を映像などを通してアピールし続ければ、かつてのアルペン・シェアくらい(7対3程度の時代)は復活できるかもしれない。何しろアルペン&ハードブーツってまさに楽しい世界だから!このままアルペン父さんが落ちぶれて行くのも寂しいし、誰かそういうアクションをしてくれたらいいな。