dmkから旅立ったカナダ人フォトグラファー/ショーン・ヒュース

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ショーン・ヒュース。カナダの若手カメラマン。僕は彼のデビューの頃から付き合っていて、彼と接すると何か兄貴のような気分になる。彼はそれほどおっちょこちょいだし、愛嬌もある、ということなんだけど。実際、彼の魅力に多くのライダーたちが集まる。
あのペーペーだったショーンも今では、立派にトランズ・ワールド誌に掲載されほどのカメラマンになった。そこで、今回はちょっと出世したショーンにインタビュー。

フサキ(以下F):TREE TOP社(注:カナダのフイルム・カンパニーで浪人ライダーのルーブも登場!)で仕事してから2年経ったけど、どう?
ショーン(以下S):とても楽しく過ごしているよ。いい経験もさせてもらっていると思う。

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F:ショーンはスチール(写真)だけど、フイルムはやらないの?
S:時々、やることもあるけど、基本的にはすべてスチール。TREE TOP社はフイルムの会社だけど、ライダーが残した映像のスチール写真は必ず残しておかないといけないから、スチールの役割は重要。パッケージはポスターを始めとするプロモーション用の写真を確実に抑えないといけないからね。

F:山には頻繁に上がるの?
S:ほとんど毎日と行っていいほど。その中でも厳選された映像だけを使うので、凄い時間の浪費だけど、僕はシーズンずっと束縛されているような感じ。時々、他の仕事、例えば今年ならウエストビーチ(注:カナダの有名なスノーボード・ウエア、以前は日本にも入っていて人気あったが今は輸入されていない)の撮影で10日間束縛されたけど、それ以外はほとんど毎日TREE TOP社の撮影だったよ。

F:一般の人はたぶん「えっ、カタログとかのプロモーションの写真だけで1シーズンも束縛されるの?」ってビックリすると思うのだけど。
S:それだけじゃなくて、雑誌に掲載させなくちゃいけないし、また各ライダーがスポンサーに見せるため、しいてはそれがスポンサーに売れることにもなるんだけど、そういった分の写真も必要だから。例えば、ルーブが滑っている時には、もちろんビデオ用の写真が必要なわけだけど、それ以外にもルーブのスポンサーであるNITROやVonZipperに提出できる写真も撮影しなくちゃいけない。いけない、というか僕が飯を食うためにも、そうすべきということだね。

F:北米にはショーンのようにカメラマンを目指している人、増えているよね。普段は大工の手伝いなんかしながらお金稼いで、カメラマンだけで食べれるように頑張って。ショーンもそんな一人だけど、そういったポコポコ出たライバル(?)に対抗する手段は?
S:3年前はハッキリ言って、あまりカメラマンを目指す奴なんていなかったよ。だけど、最近はどんどん出ている。僕がカメラマンを始めた時には、高いカメラ機材をなんとか買って、スノーモービルやそれを運ぶためのトラックも買った。だけど、最近の奴は、パークとかでひたすらベスト・ショットを待っているだけ。それではダメだと思う。僕が本当にプロの仕事に出会ったのは、プロとして最高のシチュエーションの場に行き、ともかく限界とも言えるポジションまで撮影しに行き、そこでだんだんとプロ・ライダーたちに認められていった、ということなんだ。

F:最近はカメラ機材も本当に良くなって素人が撮影したものでもいい作品に仕上がるケースが多い。つまりアマチュアとプロの差がどんどん狭くなって行くと思うのだけど、そういった中でプロとして気をつけるべきことって何?
S:dedication!(意味:ささげる、献身する) 例えば僕の場合にルーブと幼馴染ということもあり、彼に対して献身的に接し、彼をフューチャーするようにした。ルーブも有名なって行き、その撮影をした僕もプロとしての実績が上がって来た。ケビン・サンサローンも僕が本当にアマアマだった時から可愛がってもらって、彼の撮影を一生懸命にし、彼のスポンサーであるオプションから認められて、写真を買ってくれた。そういった意味でライダーに献身的な態度を取ることが大切。

F:ライダーと知り合うことも必要だと思うけど、何か努力している?
S:うーん、特別にやっているわけでないけど。よくパーティや飲みや集まりの類には参加するようにしている。そこで楽しい時を過ごし新しいライダーと知り合うということもある。ケビン・サンサローンと撮影に行くと、必ず撮った写真が雑誌に掲載されるけど、そんな実績が認められて、ケビンが若手ライダーを紹介して「こいつも撮影してほしい」という感じで、どんどんコネクションが広がったりするね。

F:カメラマンをやっていて大変なことは?
S:支払いが悪いこと(笑)。こっちはスノーモービルで山に上がって、ガソリン代や時間などその他もろもろ使って高いカメラ機材にフイルム代を出して、それが報酬として返って来るのはずいぶん後のことだからね。

F:これを読んでくれている方でカメラマンをやりたいという方もいるかもしれない。ぜひアドバイスを。
S:大変だから、辞めといた方がいいよ(笑)。
とりあえず、露出計は絶対に必要だから買った方がいいよ。どんな明るさでどんな写真が撮れるかなど、いろいろ勉強できるから。あと、とにかくたくさん撮影して写真心、アート魂を鍛えること。それと、ともかくこの仕事を愛して自分の将来のために尽くすことだね。決してあきらめないことだね。貧乏生活していたって、10年後に突然有名になることだってあるわけだからね。

F:そもそもカメラマンをやろうとしたきっかけって?
S:観光気分でスノーボードで行って、そこで小さいカメラを使って写真を友達同士で写真を撮り合っていたんだ。そうしたら、とてもよく撮れていて友達が気に入ってくれて。もちろん僕も気に入って、それで撮影の楽しさを知ったんだ。周りにはルーブなどタレント・ライダーたちがいたから、別に僕もへたくそではないけど(注:ショーンは雪山を滑るという技術においては、そのへんのパイプやパークばかりのプロに負けないほどエグイ滑りをする)カメラマンを目指そうかなって。まだ23歳の頃だっただけに、当時はかなり若手だったけど。それでスーパー・パイプ・キャンプでも撮影していたら、フサキが僕にフイルムくれたじゃない。あの頃が出だしだよ。

F:あっ、そうだ。あの時、僕が行っていたセッションでトレバー(アンドリュー)がたまたま来ていなくて、スーパー・パイプ・キャンプに行って当時全盛期の人気のトレバーの写真がないのは困るから、フイルム適当にショーンにあげて、「ダメ元でやってくれ。万が一、いい写真だったら雑誌に使わせてもらってギャラを払うよ」と行ったんだね。
S:そう、プロとしてのきっかけを作ってくれたのはフサキだったんだよ。その時に撮影したものが、北米誌のコンクリート・パウダー誌、そしてスノーボード・カナダ誌に使われて、それからだんだんとプロとしての実績をつかんで行ったんだ。雑誌に自分の写真が掲載されるたびに、喜びを感じて。その後もフサキに頼まれてスノーイング誌の仕事やミストラルのカタログ撮影もやってし、後は全然関係ないけどスキー雑誌のモデルの仕事(注:ショーンはブルーガイド・スキーのウエア・ファッション・モデルをやった。その時にルーブもモデルをやり、スノーボーダーがスキー雑誌のモデルをやったということがちょっとした伝説!?)ももらったね(笑)。

F:今までの仕事で思い出に残っていることは?
S:こないだの冬だけど、日本に行ったこと。スロープスタイル大会に行って、天神平のパウダーを撮影して。その時に日本人ライダーとも交流したし。食事もとてもおいしかった。温泉など西洋と違ったカルチャーも体験したし。あんなに楽しかったことはない。ある日、僕がスキー場ホテルでルーブたちと朝食を取りに行った時、急に人の群れができてサイン攻めにあったんだ。「僕はカメラマンだよ」と言ったのに英語が通じなかったのか、そんなのお構いなしにサインほしいって。あんな経験も初めてだったよ。ずいぶんお酒も飲んで、そのまま日本式の畳の部屋で仲間とグッタリとかね。また、ぜひチャンスあったら行きたいね。というか、今シーズンもぜひ行きたい。結構、ライダーの中では日本食に疲れて、よくカレーライスを食べていたけど、僕は毎日日本食ノープロブレムだから。

F:TREE TOP社のビデオを拝見したけど、最も日本を象徴している温泉シーンがなかったのはちょっと意外だったな。
S:撮影することも考えたけど、他の人もいてカメラマン機材を持って入ったら失礼だと思ったから。

F:確かに、そうだね。ところで、新しいフイルム・カンパニーを立ち上げるということだけど。いったいどうしたの? TREE TOP社は給料の支払いが悪い?
S:そんなことないよ(笑)。ただ、僕たちがカッコいいと思うことを理解してもらいたいし、実際、今のマーケットというのは、そういうことに敏感なんだ。誰のどんなスタイルがクールか理解している人が撮影した素材を吟味できないと、せっかくのライダーたちの仕事が台無しになってしまう。自分たちがやりたいことを本当にやりたくて、それが新しいフイルム会社を興したエネルギーになった。

F:最後にショーンの夢を!
S:カメラマンだけで飯を食えるようになりたい。有名美人モデルの撮影もしたいね(笑)。

インタビュー後記
ミホ、ノリ、イックー、 ナナコにヒロミ、サトシにアキ、そしてシン、ハジメ、トオルなど、僕の仕事を手伝ってくれた人たち。スノーボードの世界やこの業界に興味を持った彼らに対して、僕はアドバイスもして来たし、また逆に仕事のサポートもしてもらった。今では、また別の世界の道を目指した者もいれば、この業界で働いている者もいる。だけど、よくよく考えてみればすべて日本人で、今回インタビューしたショーンのようにカナダ人とこのようにずっと交流できたことは珍しい。ちょっと不思議な関係かも。若い頃には何も考えずに人との機縁は漠然と多いものと決め付けていたが、実際、今、35歳になって考えてみると、意外なほど少ないものだ。今回インタビューして、ちょっと頼もしくなっていたショーン。これからもカナダの相棒と様々な交流して行けたら、と思う。

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