好評シリーズ、『歴史を動かした10人のライダー』。
今回は、スノーボードのことにくわしい方なら、誰もが知っているという、史上最も有名なプロ・スノーボーダー、テリエ・ハーコンセンを紹介します。
スノーボードのヒストリーにおいて、テリエは残した「自由」というメッセージは、皮肉なことに僕たちの国、ジャパンでのあの事件で伝えられました。
さあ、今宵もスノーボードの歴史に浸りながら、ますますこの遊びを愛してください。
文:飯田房貴 [email protected]
テリエ・ハーコンセン Terje Hakonsen
史上最も影響を与えたレジェンド中のレジェンド
1990年初めのコンペティションシーン。それは、スノーボードのヒストリーにおいて、最も輝いていた時期だ。
なぜなら、この頃のスノーボード界は、ビデオスターというライダーが少なくて、大会において名を馳せ、プロとしての実力をアピールしていた時代だったからである。
1990年初頭に彗星のごとく現れた若者は、その後のスノーボード歴史において最も有名なプロ・ライダーになった。 |
当時、世界のスノーボード大会を管轄していたISF(国際スノーボード連盟)は、まさに世界のスノーボード大会を牛耳る団体で、スノーボードの権威を高め、認知を広げるものであった。
その輝いていたコンペティションシーンで、圧倒的な実力で神のように君臨したのがテリエ・ハーコンセンだ。
1990年のテリエは、まだ16歳という若者だった。
しかし、すでにその実力はBurtonビデオを通して、世界中に知られるようになっていた。
まだあどけない笑顔だった青年は、ハワイのビッグアイランドでその高いスキルを披露。今で言うグラトリをこの時期からカッコ良く見せていた。
1992年にクレイグ・ケリーとバトンタッチしたように、大会シーンで活躍しまくったテリエ。当時すでに最も大きな大会として知られていたUS Openで優勝。さらには、翌年93年も、さらに1年開けて 95年も優勝している。
ハーフパイプでのエアーの高さやスタイルのカッコ良さは、ダントツ。今の時代のように、多くの優れたライダーがいたわけでなく、540回していたぐらいで「スゲエ!」と言われていた時代だったので、テリエの存在感は他を圧倒していた。
テリエの凄さは、90年初めから今なおメジャー大会で活躍し、結果を残していることだろう。
例えば、レジェンドから実力ある若手ライダーが集まることで知られるマウントベーカーのバンクドスラロームでは、1995年から2012年まで7年という長いサイクルの間に実に7回も優勝しているのだ!
バックサイド360で世界最高記録の高さ9.8メートル・ジャンプを達成! |
さらに自身が始めたA級レベルの国際大会Arctic Challenge(アークティックチャレンジ)では、2007年クォーターパイプで世界最高ジャンプ、9.8メートルを記録する。
うまくRでスピードを殺さずに滑るテクニックが必要なパイプやクォーターパイプで、誰もが驚く高さを出したテリアは、R使いの最高峰ライダーとも言えるだろう。
テリエの名声は、大会での結果だけではない。
ハーコンフリップを代表するように、オリジナルトリックを発案し、さらにはワンフット・マックツイストのようにインパクト高いトリックも誰よりも早く披露している。
そして、まるで鷲が舞うかのように、右手を羽にように上げる豪快なトゥイーク・エアーは、今なお多くのライダーからリスペクトされるスタイルだ。
もちろんテリエのプロフェッショナルな名声は、大会だけでなくビデオでもいかんなく発揮している。
バックカントリーで見せるテリエのターンは、クレイク亡き後、最も美しいターンとも言われ、そのターンは華麗だけでなくとてつもなく高速だ。
1つのジャンプだけ、1つのターンだけ、という短い画ではなく、ターンとジャンプを組み合わせる画を魅せることができるのもテリエならでは。こうした流れた画は、見る者をスノーボードに誘ってくれる。
世界最高峰のプロフェッショナルなライディングを20年以上披露し続けることができるのは、後にも先にもテリエしかない。
テリエ・ハーコンセンが、史上最も影響を与えたレジェンド中のレジェンドという所以だろう。
しかし、テリエを最も有名にし、スノーボードの歴史に名を刻んだことと言えば、1998年の長野オリンピック・ボイコット事件だ。
IOC(国際オリンピック委員会)がISF(国際スノーボード連盟)ではなくFIS(国際スキー連盟)に出場選手選定を委託したことにテリエは強く反発。また、オリンピックによる国対国の構図はスノーボードの「自由な精神」に反するしたのである。
この後、IOCのパワーに屈したかのように、ISFは消滅していくことになる。
しかし、スキー連盟がスノーボード競技を管轄することを嫌ったテリエは、世界の主要スノーボード大会を結ぶTTRワールド・スノーボード・ツアーを発足させた。
現在のスノーボードのフリースタイル大会、ハーフパイプとスロープスタイルにおいては、FISよりもTTRの方が実力ある選手が出場し、より世界チャンピオンにふさわしい大会を行なっている。
しかし、五輪の前になると、五輪出場枠のほしさから、選手は一時的にFIS大会でポイントを稼ぎ、五輪出場チケットを取りに行っている。(注:ハーフパイプ、スロープスタイルというフリースタイル競技においての話)
そして、五輪のハーフパイプでは、テリエが出場しなくなった後に登場した選手たちが、まさに世界一を決める戦いを繰り広げている。
テリエの残したメッセージは、五輪というパワーに飲み込まれてしまったとも言える。言葉は悪いが、五輪出場という名声に屈服されてしまった、とも言えるかもしれない。
しかし、テリエは、どんな強力な外からのパワーにも決して屈することなく、スノーボーダーとしての誇りを守った。
「スノーボーダーは自由である」というメッセージは永遠に我々スノーボーダーたちに語り継がれることだろう。
過去に紹介した歴史を動かした10人のライダーは、以下のページをご覧ください。
http://www.dmksnowboard.com/special/8796