業界ご意見番兄貴/伊藤 良佑

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フサキ(以下F):伊藤さんがこの業界に関わったいきさつをカンタンに教えてください。
伊藤(以下I):最初スキーのチューニングでやってたんで、スキーのチューニングを始めたのは特に就職するとこがなかったのと、それから自分の友達がチューニング屋をやっていたんで「手伝ってくれ」って、そこからのスタートですね。9年か10年くらい前かな。で、自分が前に働いてた会社でスノーボードをやってる人間がちょこちょこ来たんでゲレンデに連れてってもらってたんですよ。

F:それは9年前にチューニング始めた頃から?
I:いや、もっと前。スノーボードを教えてもらって、それでスノーボードがおもしろくって。だけど、うまくならなかったんだけど。スキーのチューニングを覚えてる内にちゅこちょことスノーボードの風が訪れてきて、そのチューニング屋の側にスノーボードの初めての関東のレンタル屋ができたんですよ。

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F:それは関東で初のレンタルなんですか?
I:関東と言うか、雪がないところのレンタル屋さん。

F:凄い先見の目があったんですね。
I:当時スキーとスノーボードのいがみ合いが凄かったんで、そこは修理を家に頼みたかったんだけどできなくて。僕はスノーボードが好きだったから、お店が閉まった後に自分がスノーボードのチューニングをしてあげたりしてたんです。

F:そこのチューンナップを手伝っていたんですか?
I:そう。でもスキーの機械でね。その頃はボード専用ってなかったから。そこが何もできなかったから、壊れたビスを穴あけてあげるとか・・・。そしたら「スノーボードの仕事をしないか」と言う話が来て。

F:それはチューンナップ屋さんから?
I:いや、自分の友達が「何か商売はないか?」って来て、「これからはスノーボードでしょ。」みたいな偉そうなことぬかしてて(笑)。まだその頃はスノーボードは主役じゃなくて、みんなスノーボードのチューニング代もバカにしてたんで。そこでオレたちが「スノーボードに転向したら食べていけるんじゃないか。」って言う話をしてたら友達が会社の一部署としてスタートすることになったんです。場所とか借りてその時に機械とかも全部買ってもらって自分はまだルイスと言うチューニング屋に所属してたんで会社対会社で契約したんです。

F:まとめるとルイスと言う会社でスキーのチューンナップの仕事をやってて、メディアハウスの会社がチューンナップの仕事をやることになって・・・。
I:チューンナップじゃなくて、本当はスノーボードの販売をしたかったんです。販売をするにあたってチューニングというものが安定した商売になるので、それで他の場所はスキーばっかだったんで自分達が出向して教えるよ言うことで立ち上げたのがクリプトンなんです。6年くらい前かな?だから、スノーボード・ブームになる1年位前じゃないですかね。

F:伊藤さんはルイスの社員だったんですよね?それで出向する形で神保町に来てチューンナップをやって、そこからのクリプトンの流れはどうなってるんですか?
I:その時の流れがクリプトンだったんですよ。名前については、当時自分は「フロンティア」って名前にしたかたんですよ。だけどダメと言われてしまったんです。何にするかって話しになって、トリックの名前にするのも嫌だってことで当時の社長が、じゃあスーパーマンより強いものってことで、生まれた町がクリプトン星だからそれにしようって。クリプトンだったら知る人ぞ知る名前でしょ。ってことで・・・

F:知らねー(笑)。
I:社長は50歳近かったんで時代が違うかなって思ったけど、絶対的権力を持ってる方だったんで。

F:その社長と2人だけだったんですか?他にもいました?
I:いました。自分の友達が当時、何か仕事をしたいってことでその人が、そこの部署の部長をやって自分はそこの契約で出向社員って事で外に出てたんです。

F:なるほどね。話は戻りますけどその前の伊藤さんは何者だったんですか?
I:カンタンに説明すると。花屋、パチプロ、ディズニーランドのバスの運転手、駐車場・・・。

F:今で言うフリーターってことですか?
I:そうですね・・・。

F:なるほど、クリプトンは伊藤さんが作った会社じゃないワケですよね?それはどういういきさつで自分のモノになったんですか?
I:スノーボードのバブル時代は2年しかなかったんですよ。それでスキーが即死状態でチューニング屋も焦ってスノーボードに手を出してきたんですよ。いい時期に部長が営業で廻ってたんですけど仕事が取れなかったんですよね。で、レンタル屋さんを手伝うことになったんですがあまりうまくいかなくて、最初は良かったんですがだんだん尻ツボミになってきて・・・。最初はお店を出すってこと物を売りながらチューニングって形で、日本で誰も買ってないような機械を買ってきて戦おうって形にしてたんですけど、地下を用意されて商売的にもうまくいかなかったんです。

F:地下を用意されたってことは直接お店に来てくれるお客じゃなくて、契約している大手ショップのお客しか取れないってことですね?
I:そういうことになってきっちゃたんです。その時に我々の代わりにお客さんを運んでもおう選手が欲しいと思ったんです。今だったらまだ誰にも負けないって思ってましたから。当時は自信がありましたから(笑)。でも会社から「ダメだ。」って言われたんですよ。

F:なぜ?
I:「なぜ(チューンナップ代を)無料でやらなければならないんだ?」「プロモーションをして必ず儲けがあるのか?」ってことで。僕は交渉の場に立てなかったので任せるしかなかったんですよ。結局、担当したヤツが口説けなかったんです。十八番が違ったんですよね。ウィンタースポーツと雑誌界の・・・。それで選手がチューニングとかフワフワしてる時に取れなかったんですよ。その時に運良くNCS(ラマー・スノーボードの代理店)側製品の修理とかメンテナンスとかやらしてもらって、我々がその時に当時のラマーとかイメージで売っていたメーカーはチューニングとか興味がなかったので、僕は「今の時期だったら(5,6年前)絶対にNo.1ブランドになれんだ」と何回も言ってたんですけど全然聞く耳を持たなかったです。

F:やっぱり自分の自己負担を持ちたくないってことですか?
I:いや違いますね。当時の営業マン達は今は必要ないって。

F:あー売れてたから、そこで胡座をかいちゃったんだ。
I:で「ラマーの選手を紹介してくれ、その選手達の板を面倒見るから。」と言う話をして。

F:でも、それをすることによって利益とかないんじゃないですか?
I:いや、ラマーの選手達は凄い有名でしたから。でもそれは1年越しでその話を聞いてもらって。まあ、NCSさんがそのことに興味が無かったんで選手に伝えなかったと言うことと我が営業部長があまりプッシュしなかったことで、煮え切らなくて自分が外に出て行って直接会社に行って話をしたら直ぐ決まったんです。選手も「そういうのあったの知らなかったですよ。」って言われて、何も伝わってないんだなと、ボード業界ってそういうものなんだなって。その内にバブルが崩壊して仕事は増えましたけど・・・、最終的にストラクチャーが欲しかったんですが会社から「自分で買え」と言われて自分で買っちゃいましたね。

F:伊藤さんの頭の中でストラクチャーを買うって決めた時にビジョンがあったんですか。
I:その時に自分個人で抱えてた選手がいましたから、それに入れて前に出ようと思ってたんです。ストラクチャーはスキーの時からやってましたからそこら辺の人達に負けない自身がありました。

F:ある意味強い決心ですね。
I:人生賭けてましたからね。本当は辞めようかと思ってたけど自分の選手も持ってたし周りの人達からのプッシュもありましたから。

F:それを買ってから伊藤さんはならクリプトンを自分でやるぞとなったワケですね?
I:そうですね。会社側も利益が上がらないってのが分ってましたから見切りを付けてたんですよ。で、部長さんは首になったんですが1年間食わせましたよ。友達だったんで。

F:なるほど、伊藤さんらしいなあ。一番今回聞きたかったことは、伊藤さんのライダーを見る目なんですよ。ある意味厳しくその中には優しさとかもあるんですが、シビアにこのライダーはこうであるとか言う時がありますね。そういう感性ってどうやって、培ってきたんですか?
I:自分が人にものを教えるときはポリシーがあって最初は優しく後は厳しく。これが基本なんですね。人間って最初に優しくされると本性が直ぐに現れるんですよ。

F:ドキッとしちゃったよ、今(笑)。
I:やっぱりいろいろとあると思うんですけど人との接触しかたって。自分自身ってそんなに威厳のある人じゃないんだって。最初に優しくすると向こうが舐めてかかってくるし。話しやすいんだと思うんですよ。色々と話をしてきてくれるし。でもその内どんどん厳しくなってきますけどね。

F:なるほどねえ。
I:でも逆に言えば優しくしてから厳しくして行くと、着いてけなくなって消えていくやつらもいますよね。

F:それが伊藤さんが言う「出る人は出てっちゃてもいいよ。」ってことなんだ。
I:だから、アマチュアの時は優しいですけど、プロになったらこっちから「板持って来い。」とも言わないしね。

F:ホームページの読者はライダーに夢を抱いてる人が多いんですがここで伊藤さんにビシッと、ライダーになれる条件って言って欲しいんですけど。
I:人間としての存在感を持つことですね。それ以外何もないですね。

F:それだけ? それは右脳的に大切なことなポイントなんですけど、逆に左脳的に何歳でこうでなきゃヤバイとか、そういう具体的なことも教えてほしいんですよ。
I:それは自分の人生活でやってることで、今ライダーになりたいって言ってる奴は大学を休学してライダーになるような人たちが僕は一番いいと思いますね。ダメだったら大学入って就職しろと・・・。甘い考えかもしれないですけど行く奴はそれで芽が出ていっちゃいますから。ダメだったらそこで下がっていくんで。ようはその子の運動神経と才能、それから周りの環境ですかね。最終的に人間性ですから。

F:僕はこういうことをやってて心配なのは、若い子から相談されて「行け!」って言っちゃうんです。何分、プラス思考イケイケ・タイプなんで。だけど、後で「あれ?こっちに運んで良かったのかな?」ってのがあるんですよ。
I:それはですねー。今年、うちから4人プロライダーが登場したんですけど。次の若手の選手が欲しいな、と夢を抱いてみたんですけど、うちに吉田(温プロ)というご意見番がいるんですが、彼いわく「プロに上げるのは無責任だ。」と言われて・・・。「今の時代プロで食べていくのは苦しんだからプロと言う夢を追わせるのは無責任なんじゃないですか。」って言われたんですよ。自分がね、今、スノーボードに携わってる仕事の中で最終的な夢って言うのは、年取ってきた時に板いじらしてもらってきた選手達に会社の中で働いててくれればいいな。ってのが希望なんですね。会社ってのはクリプトンやマツモトワックスの中でもいいし。それがクリプトンの最終的な目標ですね。

F:話を聞いてるとクリプトン道場みたいですね。
I:苦労してどうしていいかわからない時とかの、駆け込み寺みたいになってくれればいいかな。

F:でも伊藤さんってそういうのを出させるモノを持ってますよね?
I:自分が高校時代からそういう環境にいたからでしょうね。力にはなれなくても喋ってくれる人間がいたんですよ。だから自分は助けてはあげられないでしょうけど最終的に全部のメーカーに全て切られてクリプトンだけ残っても俺はそれで良いと思うんで。

F:人生の竹刀役みたいなことを教えていただいたのでクリプトンの宣伝をお願いします。
I:家は神奈川の本牧でチューニングをやってます。側に来たらとっても分りやすいところにあるので来て下さい。

F:聞かなくてはいけなかったマツモトワックスのことを聞き忘れましたが、インタビューも長くなってきたので、最後に今後の目標と伊藤さんの夢をお願いします。
I:スノーボード界の目標はスキー業界にしたくないことですね。今スノーボード業界が歩んでいる道は間違いなくスキー業界と同じ道を歩き始めてるんで。

F:スキー業界と似てますか?
I:頭(ボス)ができ始めちゃってることですね。

F:誰?会社?それとも人間ってこと?
I:人間って事ですね。絶対的権力を持ち始めきてる人たちが出てきたんで。

F:スキーはそれで滅びたんですか?
I:全然それで滅びました。

F:そいつをやっつけないといけないんですか?
I:やっつけなくてもいいんですけど、本物の王様が欲しいですね。皆をまとめて平等に扱ってくれる大様が欲しいです。

F:今はスノーボード業界に悪い頭がいないと思うんですけど。
I:いないと思いますけど、スキーの時も悪い人たちが頭に立ってなかったんですけど、皆頭に立ちつつあってその権力を守ろうってワケじゃなかったですけど、それに着いていけばって派閥がどんどんできつつありましたから。そんなことをしてる内にひとつのまとまりがなくなってきて。最終的にはオリンピックに出るにはここに所属せねばあかんみたいな、そういう夢がありそうでないような。スノーボード業界も実力が全てじゃないみたいなとこが出来つつあるんで。だから頭は絶対必要だと思うんですけど。

F:早く伊藤さんが力を持ってガツーンと言えるようになれば良いんですよ。
I:ありえないですよ(笑)。僕は町の八百屋で結構なんで。最後に自分の夢はレンタルマンガ屋ですね。(笑)

インタビュー後記
伊藤さんの側には、いつも若いライダーたちが戯れている。それは厳しいけどいつもやさしく若者たちを見守って指導しているからだろう。今回のインタビューでは改めてそのことが確認できた。この後記を読んで「そんな大袈裟な!」という照れ笑いが聞こえてきそうである。

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