布施忠LSPの監督・撮影・編集を一手に手がける! 越路 太郎

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今季注目のウェブ・エピソード、LSP DAYS IN WHISTLER。
この作品は、布施忠だけをフューチャーした作品で、ウィスラーから配信されている。
この作品を立案し、撮影・編集を一手に手がけるのが、今回の主人公、越路 太郎だ。
布施忠を最もよく知る人物だ。

忠一人フューチャー・プロジェクトという大胆なアイデアがどこから生まれたのか?
さらにHeart Filmsから飛び出し、LSPを発足させた経緯などかなりディープなところまで突っ込んだ。
注目のインタビューだ。

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Interview by Fusaki Iida

今回は、Lifestyle Projectで布施忠と共に撮影している越路 太郎さんです!
今季のLSP作品は、忠一人で行くと聞いて驚きましたよ。
これまで、アキ(平岡暁史)とコニ(小西隆文)、ショータ(鈴木翔太)もいたのに、忠一人となった理由は?

今シーズン、アキとコニは他のフィルムカンパニーで撮影することになったんですよ。オレ嫌われてんですね(笑)。
ショータはシーズン中に子供が生まれるので、今シーズンは休憩。
それでどうしようかと思っていました。そこで思い出したのが先シーズン一ヶ月弱の撮影で忠と北海道に行ってる時、忠が来シーズンは良い映像を残すためにシーズンを通してウィスラーで撮影すると言ってたことです。
忠をシーズン通してウィスラーで撮れるチャンスだな、と思い「やろう!」と言うことになりました。

正直、僕も忠一人で行くと聞いた時、驚いたけど良いアイデアだな、と思いましたよ。
というのも以前、マルくん(注:世界を代表する日本人フォトグラファーのDice-K Maru)と飲んでいた時、マルくんが「忠一人でやるといい!」と提案していて、ああ、なるほど。確かにそれはインパクトあるな、と思っていたので。
そして、すでにエピソード5までアップしたけど、凄い映像残していますね。
ここまでやって来たご感想は?

わかりきってたことなんですが、忠は本物のプロフェッショナルスノーボーダーと言うことを再確認しましたね。今シーズン1ヶ月に2回のペースでDAYS IN WHISTLERをアップしてますが、そのエピソードごとのライディングのクオリティーを見てもらえばわかる通りライダーが忠一人だと凄く撮影効率がいいんですよ。山でスポットを見つける早さや遠くからそこへ行く道のり、雪質などの見極めが桁外れに早いですね。 生活も一緒にしてるので常に撮影のミーティングができコミニケーションも取れてるし、自分もかなり勉強させてもらってます。
今、エピソード5まで制作しましが今回のプロジェクトはかなりやりがいがあって、充実してますね。
まだ見つけたけど、やってないポイントや奥まで探索してないエリアがあるので残り少ないシーズンを全力で行きたいです。


2013LSP “DAYS IN WHISTLER” Episode1 Tadashi Fuse from LSP on Vimeo.

ある意味、これまで忘れかけていたグレート・アイデアですね!
ビデオクルーというと何人かのライダーがいて、ロケ地を様々な国で行い、という流れが定番だったけど、忠がよく知っているウィスラー周辺で、しかもそこが世界でも最高の環境だから。メチャクチャ良い画を残しそう。今後の作品もとっても楽しみです。

ところで忠というと世間一般的には、世界的にも有名なライダーという印象かと思いますが、実際には今、タローさんが言った山でスポットを見つける早さや、ハイクアップの早さ、やると決まった時にはガツガツ行ったり、モービルの腕だって世界トップ・ライダークラス。そういったことは、なかなか外に伝わらないので、改めてタローさんが考える、忠のプロフェッショナル度とか、プロフェッショナルな出来事など、教えてもらえませんか?

シーズン中撮影の日がほとんどなんですが朝3時に起きること。それと歯磨きが長いことですかね(笑)

えっ、朝3時!?早いとは聞いていたけど、そこまで早いとは、漁師さんみたい(笑)

忠は出発する3時間前に起きるのが基本で、今シーズンは大体は6時出だったので起きるのも早くなっちゃうんですね。
朝ストレッチをガッチリして、朝飯食べて、弁当作って。
コーヒー飲みながら今日のイメージをしてると思いますよ。
で、オレは2時間前なですよ、毎日5分位寝坊しちゃうんですけどね(笑)

完全プロフェッショナルだ!凄いな。
若いライダーがもし忠に追い付きたい、追い抜きたいと思ったら、もっと努力をしないといけないのだから、3時前起きか。こりゃ、大変だ!

エピソード4(以下の動画)の最後のスノーモービルでノートラックの斜面を下って雪庇を降りてスノーモービルが刺さってる映像があります。あの場所は下の道から遠くに見たので冒険しようと裏から回り込んで行ったのですが、そこへ行くにも的確な道を通って行き、その時は下ると登れなくなる斜面を降りました。
と言うことは引き返せないですよね?
撮影を終えて狙っていた場所から降りる時、帰る斜面が全部崖だったらって思うと行けません。 その時、撮影を終え下る段階で自分が見るには周りは全て落ち込んでたんすよ。
そこで忠は一ヶ所しかない降りれなさそな小さい沢を見つけて降りたんです。しかし、途中一ヶ所だけ雪庇が出て来て、そこのすぐ先には木が生えてて、また小さい雪庇。 あの時はわざとスノーモービル刺して止めるしかなかったんですよね。 難しかったのはその一ヶ所だけで降りた来れたんですが、その時の道を探し下る勘も普通のライダーはできないことです。

多くのライダーがヘリなどで攻めてますが、それはガイドが付き案内されて滑る感じなんです。 忠は金もかかるしヘリは好きではない。スノーモービルを使って自分の力で滑る場所を探して滑ってる方が全然おもしろいって言ってました。
確かに自分らの力だけでいい撮影ができた方が充実感がありますよね。


LSP DAYS IN WHISTLER Episode4 Tadashi Fuse from LSP on Vimeo.

わかるなあ、その気持ち。僕も何かに頼り過ぎるような手法が嫌いで、文章でもなるべく英語とか絵文字とか入れて脚色し過ぎないようにしています。日本語で勝負だ!なんて。まっ、忠のレベルとは違いますが(笑)。忠を見ていると、正直に真っ直ぐに生きていることを感じるし、僕が忠に惹かれるのもその部分が大きいんですよ。

忠も常にトリックをメイクしてるわけでもなく何度失敗しても常に自分をプッシュしてる姿を見てるとプロ度を感じますね。 そして最後にはいい映像や写真を残すんですよね。

ヤッベーなあ。タローさん、忠とやっていると疲れもあるだろうけど(笑)、こんな経験もできて幸せ者ですね。
ところで、そもそもタローさんと忠の出会いのきっかけって何だったんですか?

岩手県の八幡平リゾートで初めて会ったのかな、自分が21歳で忠が16歳だったと思います。
ハーフパイプにハマってて夜行くとたまに忠が滑ってたんですが今と同じく滑りがカッコ良かった。
当時は悔しいから面と向かっては言えませんでしたけどね(笑)

勝手にウィスラーでのHeart Filmsの頃からと想像していたけど、元々長い知り合いだったんですね。

そうなんですよ。だけど、この頃はちょくちょくいろんなところで会ってはいたんですが、仲がいいってほどではなかったですね。
自分は1999年と2000年にウィスラーに1ヶ月くらいいたんですが、2000年に来てた時に忠が家に遊びに来て、当時、忠が住んでいたところがスコーミッシュ(ウィスラーの隣町)だったので、だったら近くに住めばなんて感じでいっしょに住むことになったんですよ。
こっちからしてみれば忠と滑れるなんて、サイコーじゃないですか!

やっぱいっしょにいる仲間のレベルが高いと、自分自身のプッシュにもなりますしね。

実際数日は一緒に滑ったんですが、忠がちょうどロシニョールのインターナショナルになるかならないかって時で、決まった後は撮影とかでいなかった記憶があります。

そこから次に会ったのは、忠がバートンのグローバルチームになったばかりの頃ですかね。
当時、僕は『Fuckers』ってスノーボードムービーを作ってて、平岡暁史がカナダのバックカントリーでスノーモービルを使って撮影しようと誘われ来て忠に案内してもらいました。
もちろん忠にも出演してもらいましたけどね。

その頃のタローさん、覚えていますよ。
自分がアキくん(平岡暁史)と撮影でいっしょに山に上がった時、ビレッジのベンチで昼寝して待っていましたよね。只者ではないと思いましたから(笑)

ハハっ。で、その頃から忠とは一緒に何かやろう!と話てたんですが、それが実現したのがそこから2年後にスタートしたHEART FILMSなんです。
日本のライダーをもっと海外にだそう!なんて考えだったんですが・・・、そうは行きませんでしたね。
まあ、それも携わったのはvol1、2、3、zero、4までだったかな。
で、始めたのがLSP(LIFESTYLE PROJECT)です。

こんなこと聞いていいのかなあ。
そもそもハートというのは忠が先頭に立って作ったクルーですが、LSPが生まれて、忠がハートから出た理由は何だったのですか?
もちろん答えられる範囲内で構わないですが。

フサキさん、ハートは忠とオレから始まったんですよ。

えっ、てっきり忠が先頭に立ち、そこにケイジくん(Heart Filmsフィルマー)が付いて行ったんだと思っていました・・・。

Heartのvol5の時だったですかね、その時のムービーの最後の上映会でしたね。
忠とケイジが喧嘩したんですよ。

自分も久々にみんなに合えるのでウキウキしながら合流したんですけど、なぜか雰囲気が悪くて。
あれ!オレ何かしちゃったの? なんて思ってたら、そんな出来事があったんですね(笑)

 

アッチャ~(笑)

自分が思うに忠もいろいろ溜まってたんでしょうね。
最初に思ってたもっと日本のライダーを世界に出したいと言う気持ちで、ウィスラーでの山での動き方や撮影方法などを自ら先頭に立ってクルーに一から教えたのですから。
これは凄く大変なことなんですよ。

結果誰も世界に出ませんでしたし、自分のライダーとしての仕事以外にHeart Filmsのことも考えなきゃ駄目な訳ですからね。
忠もライダーですから、こんなことだったら自分の撮影に集中したいという気持ちがあったと思います。
年齢もあると思いますよ。あと数年の限られた時間を自分のライディングに集中したいという気持ち。
なるほど。忠としては相当のジレンマだったに違いないでしょうね。

もちろん、ケイジくん側の視点から見れば、また違った意見や見解もあるのだろうけど、確かに結果的に世界に誰も出れなかったと言われても仕方ないですね。Heart それぞれのライダーも成長したと思うけど。
忠レベルからすべれば、ちゃんちゃらおかしい、って感じもあったのでしょう。

まあ、自分が最初に誘ったライダーもいないし、忠もいないheart filmsには何の魅力も無かったというのと、vol2だったですかね。自分の知らないところでライダーが決まったりなど、一緒にやってる感じがしなかったので、やめて違うことをしたいと言う気持ちはずーっとあったのです。これはチャンスと思い忠を誘いました。

しかもその試写会事件があったのが、11月頭位でもうすぐシーズンが始まる時でしたから、準備が大変でしたね。

その状況で発進していたとは。驚きました。
でも、ハートはハートで頑張っているし、LSPでも忠の魅力あるライディングが見れて、僕は嬉しいですよ。
きっと、忠を応援して来た世界のファンは、改めて忠の凄いを確認しただろうし、また新たに若い方たちも日本人でこんなに凄いライダーがいるんだ、ということを知ってくれたと思います。もちろん、DMKをではこれからも容赦なく、その魅力を伝えて行きますよ!

そうですね、Heart filmsも最初の主旨とは違いますが、新しいHeart filmsとしてスタイルができて日本人ライダーが懸命にウィスラーのバックカントリーにトライして、 その頑張りだったり楽しさを表現していて、凄くいいと思います。

今季は、ウェブで無料配信していますが、その経緯は?

どこでもそうだと思うのですが、LSPも最近のDVDの売れ方が少なく、これではせっかくシーズン頑張って撮影した作品がごく一部の人にしか見られないという状態だったので、このまま同じ動きをしてても駄目だと思い、思い切ってシーズン中撮った映像を出し惜しみしないで出した上で、さらに内容の濃いドキュメンタリーちっくなDVDを発表しようと制作してます。

今回のウェブエピソード”DAYS IN WHISTLER”では、DMKはもちろんSBNなどのスノーボード情報サイトやBILLABONG、YES、NORTHWAVE、DRAKEなどの協力でできてるので感謝してます。
もちろん見てくれてる方々もですよ。

あとはここで言うのもなんですが正直貧乏会社なんで撮影経費がかなり不足してるんですよ。いろいろな面で撮影のストレスになってるのと無駄にした時間もかなりありました。

なるほど。そこで例のプロジェクトを支援できる「CAMPFIRE」が出て来たのですね。

そう、それは個人の方がそれぞれこのプロジェクトを応援できるシステムです。
例えば、1万円支援していただくと、サイン入りのDVDの他、DVD作品のエンドロールに自分の名前が出たり。
金額は、500円から100,000円まで様々あるので、ぜひご協力お願いします。

(以下、そのリンク先)
http://camp-fire.jp/projects/view/600


よし、じゃあ僕も早速に支援しますよ。とりあえず1万円行きますので、仕事した後に一杯の代金に!(笑)

ありがとうございます!
ぜひ、多くの方にも参加お願いしたいです。目標額に届きましたが、まだ募集中ですので。

ところで、そもそもタローさんが、フィルマーになるきっかけって、何だったのですか?

最初に興味を持ったのは、2000年にウィスラーに来た時ハンディカムを持ってて時々忠に引き連れられて、スキー場にジャンプ台作って遊んでたんですが、取り合えず自分は1回メイクした後にビデオ撮ってました。
その時の忠のジャンプを見て、オレ飛んでる場合じゃなく撮らなきゃと思いましたね。

ある意味、忠がタローさんの撮影の扉を開いたんですね。

その次の年だったかな、前から肩が外れやすく飛んでる最中によく外れる様になってたので、こんなんだったら、スケートボードでいいな。 なんて思っちゃったんですよ。もともとガキの時からスケートボードしててたまたまやったハーフパイプでスケートボードで飛べない奴らが、オレより上手いのが悔しくて始めたんですよね。
だからそんなに未練みたいな物もなくやめれましたね。その後自分でZEROSENって言うスケートボードのチームを作ったんですよ。
自分の周りにカッコいいスケーターが何人かいたので、これはやるしかないと思って。


なるほど。そこから、撮影の道に入っていくわけですね。

全国に名前を知れ渡らせたいと思った時に、まずはビデオを作るしかないと思ったんです。
でも頼むにも金がかかるし、当時回りにそんなクリエーターもいなく、だったら自分で作るしかないと。ビデオや編集の本を買って必死に勉強しましたね。
今当時のビデオを見るとかなーり恥ずかしいです。

ハハっ、まあ最初は誰でもそうですよね。

スケートボードのビデオを2本制作したんです。当時スノーボードでストリートが流行だしてきた頃で、仙台のスノーボーダーの鎌田潤や平岡暁史も住んでで、多分フィルマーが必要だったんでしょね、自分に声をかけてくれたんですよ。
その時が本格的にスノーボードのフィルマーとしての最初ですね。

なるほど。それから、Heart Filmsの立ち上げにつながって来るんですね。

そうですね。
スノーボードの楽しさを教えてくれた忠といっしょにできたことは、とても嬉しいこと。これまで仙台から出たことがなかったですが千載一遇のチャンスだと思って、ウィスラーに来ました。
元々、僕もバートンのUNINC(アンインク)を愛用していましたから。そんな僕が今、UNINCを作っていたDCP、ロメインなどといっしょに撮影できて、本当に夢のような体験させてもらったと思っています。
感謝ですね。

タローさんは、監督であり、編集も撮影もしますが、撮影と編集、どっちが好きですか?

やはり撮影ですね。
ライダーが決まった時にするハイタッチが、たまんないです。
それで、終わってビール飲んで、最高ですよ。

なんか、タローさんと話をしていると楽しくてお話が終わらないですね。
ぜひ、またこのインタビューの続編やりましょう。
次回は、さらにライダーとしての忠の魅力を掘り下げて、そこから多くのスノーボーダーたちにためになることを発信したいと考えています。
今回はたくさんのディープな話、ありがとうございました!

ありがとうございます。
まだまだ忠の知られざる魅力たっぷり語っていきたいです。
フサキさん、またぜひやりましょう!


名前:越路太郎(コエジタロウ)
出身地:宮城県仙台市生年月日:1972年8月29日

 

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