スパッチオ

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ウィスラーはずいぶんと寒くなって来ました。
早くも暖房がほしい気分です。
季節の変わり目、風邪を引かないように気をつけないと。

この季節、全国各地でビデオの試写会や、ショップのイベントなど、スノーボードの世界は賑やかになって来ます。
特に今年は、ミナミのスパッチオが、モリスポとして生まれ変わるということで、注目しています。
というのも、僕にとっては懐かしいお店なので。

ミナミとは、10年間ライダーやっていましたから、スパッチオにもよく行っていたし、販売もやっていました。
モリスポのライダーのシュウヘイ(杉浦宗平)が、後輩になってちょっと嬉しいです。
まあ、スノーボードのショップライダーに先輩も後輩もないのだろうけど(笑

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ミナミのスノーボードのライダーの歴史を話しましょう。
ライダーは、僕よりも前に何人かいました。
確か、和田千鶴さんが、ライダーでないけど、サポートしていたり。
そして、正式には田谷アヤコさん。彼女が一番最初だったのかもしれません。
田谷さんは、レースからパイプ、幅広く活躍した人。
そして、尾形くんもいました。尾形くんは、レース系かな。

この後に、僕が入って、チェッカーピグとか乗っていました。
チェッカーピグを始めたのは、ウィンデルキャンプでお馴染みのティム・ウインデル。今では、デブのオッサンだけど、昔は痩せていてカッコ良くシムスのライダーでした。

話戻します。

最初に入った頃、宣伝部の部長、長谷川さんが、
「ミナミで契約する選手は、続かない。頑張って10年間やってみろ!」みたいこと言われて、
僕は、本当にその言葉通り10年間頑張ってしまいました。

あと、長谷川さんには、こんなことも言われました。
「負けるケンカには出るんじゃねえ!」と。

当時、僕はレースをやっていたけど、あの言葉で結構、レースから身を引くようになりました。まあ、長野五輪で正式採用になって、またジタバタしちゃったけど(笑

そして、僕は、ハウツー作りに邁進して、社員講習会をやったり、全国スクールの旅に行ったり。スノーボーダーを増やす活動をミナミと共にやって来ました。
これはミナミにとって大事!と思ったことを、どんどんやって来た感じです。

そして、僕は、ユキエちゃん(上田)を入れて、ライオまで誘って、今のチームの母体作りのようなことをやり、最終的に自分の活躍の場がなくなると、去って行ったという感じです。
正直、最後の2年間とか、自分の活躍できている実感がなくて、それで契約金とかいただいているのが申し訳なかったという思いもありました。

まあ、今、振り返れば、僕もいろいろやって来たわけで、お互いにとって良かったかな、と。
ともかく、僕にとってミナミやスパッチオは、青春なので、オープンの日もできればお祝いに行きたいほどです。

ここでは、語りきれない、いろいろなことを思い出すけど、それはいずれの機会に。

以下、写真は後輩になった(?)、この夏のCOCでのシュウヘイ。

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