シークエンスの仕掛け人、SBN編集長/飯田 達哉

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フサキ(以下F):SNOWBOARD NIPPON誌というと連続写真が多くて、ハウツーが評判いいのですが、そもそもそのような作りにしようと思ったきっかけは、何だったのですか?
飯田編集長(以下I):今はいろいろ専門誌も増えたけど、当時あったスノースタイル誌、スノーイング誌はスチールのきれいな写真主体で、あまり連続写真がなかったと思う。自分の興味としては、やっぱりただきれいな写真を見るだけでなくて、もっと技術系のことを知りたかったんです。読者のためというより自分自身がね。例えばパウダーでも、スプレー上げてストレート内倒しているカッコいい写真がありますよね。これって、どうやって戻るんだろうって思った。スキーでは考えられないフォームなんで、こんな形から戻ってまた滑っていくことができるのかって思ったんです。パイプとかレースとかのコンペティションだけでなくて、そういうフリーライディングの面でも連続写真を見てみたい、単純に自分が見てみたいってことがあったんですよね。

F:なるほど。ビデオのコマ送りのようなイメージで見れる連続写真は、結構、当時としては衝撃的でしたよね。いやっ、スキー雑誌の方たちにとっては普通のことだったのでしょうか?
I:スキー雑誌ではレースやデモンストレーターの滑りは、当然のように連続でつないでましたけど、ハーフパイプのようなトリックのシークエンスはほとんどなかったですね。今はフリースキーが一般的になったけど、当時はフリースタイルのエアリアルがあった程度だったんで。それでスノーボード誌の方では、シークエンスとはいえつないでなくて、コマ置きにしてあるだけのことが多かった。それを、やっぱりつないで見てみたいと。最初の号が・・・、(この後、わざわざ最初の号を取りに行っていただく。そして、)一番最初のやつだけど、これがダボスの世界選手権でのテリエ。これはフォトセッションの時でパイプのボトムから撮影できたおかげできれいにつなげられたんだけど、このシークエンスが撮れただけでダボスまで行った甲斐があると思った(笑)。

F:こうするとイメージが湧きやすいですよね。
I:単純に置くとわかりづらいんで、こういうふうにつないで見せたかったんです。実際には完全につなぐと重なっちゃうことが多いんで、少し間隔を開けることが多いんだけど、少なくとも高さは合わせるようにしています。やっぱり、まあ自分が見てみたいというのが基本で、今まで自分が携わったテニスとか、スキーでもやってきた手法をスノーボードにも応用しようという形ですね。
(写真右、これが記念すべき1号のテリエのシークエンス。 この手法の最初の仕掛け人が飯田編集長だった!)

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F:なるほど。僕がこういうハウツー撮っていて思ったのは、技によってアングルを変えなくちゃいけないということです。今後、いろいろなアングルを見せるために2カメ(注釈:カメラマンを2人用意して、同じ技を2角度から見せるということ)にするということはあるのでしょうか?
I:ハウツーを撮る時には、実際2カメで横からと下から撮っています。2カメでなくて1人のカメラマンが2回撮るときもあるけど。僕がどっちから撮って、カメラマンがどっちから撮って、ということもしています。ただ、大会だとなかなかカメラは2人入れないんでね。USオープンとか大きい大会だと。だいたい僕はフィニッシュ・エリアにいて、カメラマンは最初は上の方から撮って、最後はフィニッシュ・エリアに来てもらって僕がどのトリックをシークエンスで撮影するか指示するということが多いですね。ただハーフパイプとか当たりはずれがあるんだよね。

F:ハイハイハイ、ありますね。
I:失敗も多いし、練習中だとやっていたのに、本番でできなくなるってこともあるし。結構、フイルムの無駄が多くて、だから、大会で2カメで同じ技を撮るっていうのは、やっぱり難しい。ハウツーだったら、やってるけど。

F:ところで、ニッポンなんてとても大胆な感じですが、このタイトルはどこから来たのですか?
I:(いきなり笑い出す)ハハハ! 変だとと思ったでしょ?

F:いやっ、そんなことは思わないですよ。
I:1つには、最初ちょっと冗談で言っていたことなんだけど。うちに剣道日本という雑誌があって、スノーボードジャーナル(注釈:ここの雑誌の会社はスキージャーナルである。みんな知っているよね?念の為、注釈つけたけど)じゃ、何だよなと思って、スノーボードニッポンどう?って半分冗談でみんなに言ってたら意外にいいんじゃないって話になって。それで当時、ヨットのレースで日本艇の名前がNIPPON CHALLENGEといったんだけど、そのNIPPONのロゴがカッコいいからそれをイメージしようと、今の社長が言い出して、そういうロゴになったんです。自分がヨットが好きだったもんで(笑)。現在はロゴを変えて、SBNというスタイルにしましたけど。 SNOWBOARD NIPPONって言うと長いんで、SBNと言ってもらえばいいかなと思って。

F:ところで、世間ではですね。これは、僕が言ったことじゃないですよ。ISF(国際スノーボード連盟)・JSBA(日本スノーボード協会)寄りのスノースタイル、FIS (国際スキー連盟)・SAJ(全日本スキー連盟)寄りのSNOWBOARD NIPPONなんて言われていますが、それに対する反論があると思うので、どうぞ。
I:ウチとしたら、どっちか寄りということではなくて、両方載せているだけなんだけど。スノースタイル誌の場合は今は違っているけど、オリンピック前とかはFISは一切取材しません、という時があったよね。だから、JSBA寄りであったと言えるかもしれないけど、僕はあくまで両方載せるというスタンス。

F:なるほど、両方やっているのだけど、片方がJSBA寄りであったために、FISを取材している部分が際立ったように見えたという感じ何ですね。
I:当時は対立が激しくてFIS、SAJを敵視している人も多かったから、FIS・SAJ系の大会を掲載するだけで「ケシカラン」と言う人もいましたよね。たしかに突然FISがスノーボードに参入してきて、オリンピックも仕切るというのはおかしいというのはわかるんだけど、だからと言って選手が悪いわけじゃないからね。当時はFIS系の大会に出場したらプロ資格を剥奪されてしまったわけだけど、選手たちはみんなギリギリの決断をして、FISの大会に出る、プロに残るという選択をしていた。選手たちは一番の犠牲者だったと思うんだけど、どちらを選択しようがみんな一生懸命やっているわけだから、公平に掲載しようと思ったんです。このあたりの政治的な流れに関しても何度かレポートしてるけど、別にFISに肩入れするわけでなく、できるだけ公平に書いてきたつもりです。もちろんスキージャーナルからの流れでFIS・SAJ系の人たちとのつきあいは他の専門誌より強いけど、逆にFISの役員にこんなにFISを批判するようなことは書かないでって言われたこともあった(笑)。でもそういうこともしっかりレポートするのが専門誌の役目でもあるしね。

F:僕もそのへんわかります。選手の話も出たんですけど、2つのワールドカップがあるために戸惑ってしまっている部分がありますよね。そのへん飯田さんはどう考えていますか?
I:それは当然1つになれれば1つになったほうがいいと思っているけど。実際、アメリカやカナダではそのへん問題がなくなってきていますよね。両方のポイントがつく大会もあるし。ライダーも両方自由に行っているし。だけど、ヨーロッパがまだ対立激しいから、ヨーロッパが解決しない限り、ちょっと難しいとは思う。全体的には、一時期よりはよくなっていると思うけど。日本でも昔は選手同士で対立するようなこともあったけど、今はほとんどないでしょ。素晴らしいライダーはどのような形で活動しようが素晴らしいわけで、リスペクトされて当然なわけですよね。

F:例えば、今、FISで橋本通代とか宮脇健太郎とか活躍して嬉しいことですが、だけどライオ(注釈:ライオこと田原勝也プロは、ISFのワールド大会で2回も優勝している。日本人優勝自体が、長いISFの歴史の中で初である)とかがソルトレイクに出れない現状見てどう思いますか?
I:まだ出られないって決まったわけじゃないけど。オリンピックに出場するためには、今のシステムだったらまずSAJの全日本選手権などでいい成績を上げてナショナルチームに入り、FISワールドカップに出場してポイントを取るということが必要なんだけど、たとえば来年のSAJ全日本にライオくんが出れば、実力から言ってまたナショナルチームメンバーに戻れる可能性は高い(注釈:ライオは第1期からのナショナルチームメンバーだったが、オリンピック後の年から外れた)。今では西田崇、渡辺伸一、吉川由里、三宅陽子など、ハーフパイプ・ナショナルチームのトップはみんなプロでもあるわけだし。ただやっぱりFIS系とISF系の両方回るというのは肉体的にも苦しくなっちゃうんで、たとえばライオくんがFISワールドカップを回るよりも X-GAMEとかを重視するということになれば、ソルテレイクには出られなくなる。そのあたりは今のシステムではそれぞれの選手としての選択になってくると思う。だけどオリンピックとなったら、一番の選手が出てきてほしいとは思うよね。

F:(しみじみと頷きながら)ほしいですよねー。その選手が活躍することによって、よりスノーボードが広がるわけだし、業界のボリュームもアップするんで、ぜひそういう体制を作ってほしいですよね。
I:たとえばアメリカの場合、長野の時だとUSグランプリという3回にわたるサーキットで上位に入った選手が代表になるという、国内選考会方式を採用したんです。それでトッド・リチャーズはほとんどFISワールドカップに出場したことはなかったけど、代表になれた。ロブ・キングウェルあたりは何度かワールドカップで優勝していたけど、このUSグランプリで負けたんで代表になれなかった。いかにもアメリカらしい決め方だけど、公平感はあるよね。

F:日本でもそういうことはできないんですか。
I:日本の場合はワールドカップ以外では、国内でUSグランプリほど高いFISポイントのつく大会は開催できないんです(注釈:ちなみにFISワールドカップで優勝するとFISポイントは1000点、USグランプリの優勝は500点。それ以外のFISレースでは高いポイントを持っている選手が多く出るほどFISポイントも高くなるが、優勝したときの最低のポイントは100点。ちなみにSAJ全日本選手権での優勝ポイントはハーフパイプ男子が260点、PGS男子が100点)。だから世界各国で開催されるワールドカップを回ってポイントを稼ぐしかない。そのためにはナショナルチームに入らなければならないというわけですよね。こういうシステムっていうのはSAJもあまりアナウンスしてないんで、オリンピックを目指したいけどどうしたらいいかわからないって人も多いと思うんだけど、そのあたりも誌面で毎年のように掲載しています。そういうことを指して「SAJ寄りだ」なんて言われるのはちょっと心外ですけどね(笑)。

F:そう言えば、崇くん(西田)がTOYOTAビッグエアーに出たら、けしからん!みたいなことがありましたね。
I:あれは、FISの真駒内でのワールドカップの期間中というか、ハーフパイプが終わった後の夜にビッグエアーだったんだけど、SAJの合宿期間中に他の大会に出るのは困るということだったらしいね。

F:でも、ワールドカップが終わった後なんだから、ちょっとうるさいという感じがしないでもないですよね。
I:うん。あれに関しては僕もそう思う。ビッグエアーの公式練習とワールドカップが重なってたけど、当然西田くんは公式練習はパスしたわけだし。結局、他の選手たちも「FISライダーはうまくないとか言われてるけど、そうじゃないことを崇が証明しようとしたんだ」というようなことを上層部にかけ合って、処罰とかはなかったんだけどね。

F:ニッポンオープンの時はどうでしたったけ。
I:ハーフパイプに関しては、白馬でのニッポンオープンの決勝が土曜夜、志賀でのワールドカップが日曜昼で、両方かけもちするのはまず無理だった。でもアルペンのほうは1日ずれていたんで、ワールドカップに来ていたUSチームはニッポンオープンにも出場して、女子ではソンドラ・バナートが優勝をさらっていった。表彰式で「明日、志賀でも大会があるんで見に来てください」なんて言ってたけど(笑)。日本のアルペンチームも出ようと思えば出られたわけだから、このあたりはもっと臨機応変な対応をすればいいんじゃないかなと思いますね。でもその前に、今年はこのようにスケジュールが完全にバッティングすることが多くて、去年はニッポンオープンにも出場した渡辺伸一や吉川由里も出られなかった。これについても去年編集後記で書いたけど、選手にとってはもちろん、ファンにとっても悔しいことだよね。大きな国際大会は年に何度もあるわけじゃないんだから、ちゃんと話し合いをして、スケジュールを調整してほしいと思う。

F:なるほど。かなりディープなところにいっちゃったなあ(笑)。まっ、ここは基本に返り個人的なことを聞いていきます。もともとスキージャーナルで編集していたと思うんですけど、飯田さんがSNOWBOARD NIPPON編集長になった経緯というのは?
I:経緯は特にないんだけど、1980年に入社して、最初は月刊スキージャーナル編集部に入りました。

F:もともとスキー小僧かなんかだったんですか?
I:いや、そうでなく、僕の場合はどっちかというと出版社に入りたいという気持ちが強かった。それで、2年ぐらいしてテニスジャーナルを創刊することになり、その創刊スタッフになり、その後、編集長になりました。それで5、6年前にスキーの別冊部門に戻って来て、SKI SELECTIONとかSKI LIFEとかの編集をしたんだけど、その時にスノーボード上達講座を作ることになり、それでニュージーランドでフサキくんに会ったんだよね。

F:はいっ、94年にニュージーランドのクイーンズタウンで吉楽(克己)さんが来ていた時ですね。(注釈:当時、僕はクイーンズタウンのスノーボード・ショップで働いていた。その時に飯田さんはスノーボード上達講座の撮影のため吉楽(元JSBAプロ、現在はハウツー・シーンなどで活躍)さんと来ていていたのだった)
I:前の年にヴィクトリア・ジェルースをモデルにしてスノーボード上達講座のビデオを作ったんだけど、その書籍版を作ろうということになったんだよね。ヴィクトリアはもともとスキーレーサーだったんで、SKI SELECTIONにも何度もモデルで登場してるんだけど。

F:そうだったんですか。そう言えば、今、日本のナショナルチームのコーチをしているクリスチャンもモデルで出ていたんですよね?
I:そうそう。それであの時は、スノーボードはまだほとんどやったことはなかったけど、あれから自分でもよくやるようになって、雑誌も作りたいなと思い始めて。それでその翌年にSNOWBOARD NIPPONを作ったんです。年に1冊だけだったけど、ほとんど自分一人で300ページ近い本を作ったんで大変でした。

F:じゃあ、会社の方に自分からスノーボード雑誌を作らしてほしいと言ったのは飯田編集長なんですね。
I:そうそう。当時は月刊スキージャーナルにもスノーボードの記事を僕が書いてたんだけど「違うスポーツなんだから違う専門誌を出すべきだ」って上層部にかけ合って、広告部のほうでも何とかなるだろうってことになって、創刊にこぎつけたんです。最初は松里啓くん(元ナチョナルチーム選手・同コーチ、現在はレーシング・コーチとして活躍)が手伝ってくれたんだけど、社員では僕1人だった。彼とは日本で最初のFISレースとなったサホロでのジャパンカップで知り合ったんだけど、何か仕事はないかって言うんでお願いして。

F:それから、もう5年ですか。
I:そうそう。翌年にはお蔭様で評判がよく3冊にな って、その後は4冊になったということ。


本誌4冊の他に臨時物ムック本ハウツーも出している

F:今後はどのようにしていきたいですか?
I:本当はシーズン月間のように増やしたいと思っているけど、そのへんは人員とか、広告とかの絡みがあるんで。増やせたらいいと思ってはいるけど。

F:じゃあ、今は一歩一歩目の前の仕事をこなして、読者を増やしていきたいところですか?
I:最初は試行錯誤だったけど、今ではかなりSNOWBOARD NIPPONを評価してくれてる読者の人たちがいて、ありがたいですね。別にレベルはうまい人だけでなく、初心者でも上級者でも関係なく、うまくなりたいと思ってる人たちの役に立てればと思ってます。「スノーボードは楽しけりゃいいじゃん」と言うのは簡単だけど、上達すればするほど、もっともっと楽しくなるわけだから。

F:そのへんスノーボード上達講座シリーズのようなHOW TO本でフォローもしていますよね。時間も長くなって来ているので、最後の質問へ。僕がやっている会社には3つのテーマがありまして、1つにはスノーボードにこだわるということ。もう1つは、グローバルに地球規模でやるということ。最後に誰もやっていなかったような夢に向かうということがあるんですけど。飯田編集長の夢はズバリなんでしょう?スノーボードと関係ないことでもいいですよ。
I:(少し考えて込んだ後、突然に)大金持ちになりたい!(笑)

F:(笑)本当ですか?
I:(その後、またじっくり考え込む)軽々しく言っちゃうと叶わないかもしれないからな。

F:いえいえ、夢なんでぜひ!
I:SNOWBOARD NIPPONの編集長としては、月刊にして世界一のスノーボード誌になりたい。でも、大金持ちになりたいって言ったのはまあ冗談だけど、本当はこういう専門誌を作るというのは、お金に不自由してなくて好き勝手に作れたら最高だよね。そういう意味では、大金持ちになっていろんなことを考えずに自分の作りたいように作るっていうのが理想かな。

F:最後に情熱を感じる一言ありがとうございます。
I:いえいえ。

インタビュー後記
これを読んだみんなが感じていることかもしれないけど、飯田編集長は本当にスノーボードが大好きなんだ、と思った。そして、編集長は、今まで他雑誌がやってこなかったとても細かいフォローとかやっていただいているようにも思える。大会のデータやポイントのインフォーメションなど。これからもSBN誌ならでは良さを発揮して、まずはシーズン月間になることを応援してます!

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