ウィスラーで弾けたスーパーボール/千葉 秀樹

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Text:Miho Suzuki

スノーボードを始めたきっかけは?
千葉(以下C):初め友達がやってて、そいつの家に遊びに行ったら見知らぬ板があったんですよ。これは、何だろうと思って始めたのがきっかけです。

滑りに行った初日はどうだった?
C:最初はひでーっすよ。友達に一番高いところまで、いきなり連れていかれたんです。絶対に無理だろうと思ったんですけど、転びながら根性で滑り下りました。

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転びながらと言うけど、肝心なターンはできたワケ?
C:最初はもうエッジングの練習とか言われて横滑りばっかり。ターンはフロントサイドだけの右回りだけです。でも、やってうちにどんどんおもしろくなったんです。その日のうちに180度もできるようになりました。それからは、回数を重ねるごとにスノーボードに惚れてしまって、山にこもりだしたんですよ。

どこの山?
C:尾瀬戸倉です。まだ高三だったので2ヶ月ほど。戸倉ってバートンの本拠地みたいなところじゃないですか?だから、いろいろうまい人が集まってくるんです。その人たちから熱いものを感じて、こーれはやんなきゃいけないぞ、って思いました。

山にこもった成果は?
C:最初、レベルが高くてビックリしたんです。今の僕のレベルじゃ、まだまだダメだなって思いました。そんな時、ある人から「数だ」って言われたんですよ。数滑れば絶対にうまくなれるって言われて。数滑るには、やっぱり山にこもるのが一番早いじゃないですか。で、次の年も戸倉にこもったんですけど、ハズレでしたね。仕事ばっかさせられるんですよ(笑)、ロッジで。そのくらいから、だんだんもう働きながらスノーボードは無理かなって思い始めました。

それで、さらにうまくなるために、どうしたの?
C:去年ニュージーランドに行ったんです。戸倉ではパイプがきれいで、おかげでパイプはある程度上達しました。だけど、去年のニュージーランドに行って1つ気づきました。“ワンメイクができなきゃパイプもある程度までしか伸びないってこと”に。ワンメイクがうまい人は、パイプの上達も早いんですよ。だから、どちらか1つだけが得意でも総合的にはまだ中途半端なんです。

海外でまた1つ勉強したんだね。じゃあ、日本と違う点は何だと思う?
C:ニュージーで滑っていて、日本はフリーランがうまくなる環境じゃーねぇなと思ったんですよ。やっぱ山の規模。外国っていうのは、地形を利用したところがいっぱいあるんですよ。そういうところでスノーボードやって、経験値が増えたってカンジです。それで今度は、もっと規模が大きくてパークとパイプの環境も整っているウィスラーに行こうと決めたんです。

なるほど。でも海外に、どうやってすぐにコネクションを見つけることができるの?
C:それはやっぱり一緒にスノーボードやっている仲間です! 大会とかで会うじゃないでうすか。去年はどこどこに行った、とか情報収集。あとは、そこの現地に行った時に友達ができたら電話番号とか住所を聞いとくんです。

じゃあ、フレンドリーじゃないと、この職業はつとまらないね?
C:やっぱ辛いんじゃないですかね。ヨコ広くないと。人の動きとかも要注意なんじゃないですか。

ところで自分のアピールしたい点は?
C:オレは何か人と違うんですよ。みんなから“ゴム人間”って言われてくらい動きが柔らかいらしいんです(笑)。だからそのへんをいかにカッコ良く持っていこうかなって。今スタイルを考えてて、今の自分にしかないその動きをいかに高く大きくもっていこうかな、と思って。あと技のキメをつければ人には無いエアーターンだと思っているから。

なるほど。最後に今後の豊富を!
C:やっぱり誰にも負けたくないし、誰にもできないような滑り方を目指します。誰々と似てるねって言われるのが一番嫌いなんです。だから自分は自分。パイプやパークでも人と違う遊び方、抜け方とかできるような、自分を作りあげようと思ってます。あと自分に足りないのはメンタル的な部分。日本にいる間にメンタルの勉強もしてみようかなと思います。実際、ビビッちゃったりとかで一発目から自分が思っていることができなかったりするじゃないですか。そういう精神的に強くなる方法を調べてみようかな、と。

ラバーマンことヒデはかなりラップなヤツだ。無心にただ前向きにスノーボーディングに向かう姿勢。ラバーマンと異名をとるその柔軟さと、持ち前のリズム感で独特のエアーターンを披露してくれるに違いない。今後の彼の“動き”に要注意だ。

昭和51年9月6日
スポンサー:サトル・スノーボード、コンセプト、エクスプロージョン、ケーピーケー、千葉メンテナンス

●このインタビューは、SNOWing1998 new comer file 31として掲載されました。

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