本日は父の日。ということで、朝起きたら子供たちからこんなプレゼントをいただきました。
父の日のプレゼントを買ってもらうため(?)、バンクーバーへ。
だけど、あまりほしいものがなくて。結局、日曜雑貨と、大河にシャツ、クレアのおもちゃとか買ってあげて。
自分のものとしては、車に付ける日本のフラッグを買いました。日本頑張れー!ってことで。
帰りにはウィスラーとバンクーバーの中間にある街。スコーミッシュで映画、カラテキッドを観ました。
20年前にも見たけど、今回のもとてもおもしろかったです。ジャッキー・チェンが良い味出してました。
カラテというネーミングだけど、舞台は中国でカンフー。
オリジナルのカラテキッドは、ミスター・ミヤギも登場し、また続編2では沖縄が舞台で日本人にも馴染み深かったです。
あの頃、日本はバブル期であり、ハリウッド映画も日本の観客を見込んだのではないでしょうか。
今回は、中国。やはり今、中国がもの凄い経済成長していて、中国マーケットも考えたのだと思います。
映画では、中華航空とか、中国の観光スポットなど、いかにも「中国に行こう!」的なメッセージを感じました。
そんなことを考えていたら、90年代初期から中頃の日本で起きたスノーボード・バブル期を思い出しました。
あの時、アメリカではスノーボードは急激に売れるようになったけど、日本でももの凄かったのです。
だから、日本の市場を考えた動きというものもありました。
僕が当時、ニュージーランドからディストリブーションしたSUB 20(サブ・トゥエンティ)というブランドは、日本での売上がブランド全体の半分以上ありました。だから、日本が最も大事なお得さんでした。
ミヤモトさん(ハロルドミヤモト)が仕掛けたブランド、DIVISION 23(デビジョン・トゥエンティスリー)は、東京23区のこと。当時このボードを買った人は、そんなネーミングの由来も知らずに買ったと思います。
DIVISION 23は、マーク・モリセットというライダーがいて、また確かピーター・ラインもライダーだったような。
イメージとしては、完全に洋モノだったけど、日本で動かしていたブランドと言えます。
スノーボード・バブル最後だったけど、吉田さんが始めたブランドも、コア系でずいぶんと人気があったと思います。ブランド名・・・、なんだったっけなあ? もう、喉まで来ているのだけど。
ちなみに吉田さんは、吉田ソースでアメリカで大きな成功を収めた方です。当時、展示会でご挨拶した時、「何事も商売始めたら儲けなかったらあきまへんで!」と強く言ってました。
ともかく、日本のスノーボード市場が、アメリカにあるブランドに大きな影響を及ぼしていた時代があったのです。
今、世界の経済は、中国に頼り始めていますが、スノーボード界では、中国に頼ることができません。中国はスキーやスノーボードの文化が無さ過ぎて、頼れないのです。モノ作りでは、中国工場でボードやウエアが作られていますが、販売できる市場という意味では、まだまだの中国です。
日本ではかつて「私をスキーに連れてって」という映画がヒットして、空前のスキーブームが生まれたけど、中国でも同じような映画をヒットさせたら、ウインター市場にも火がつくかも!? 私をスノボに連れてって、とかね。