【コラム】ケビン・ヤング

文:飯田房貴

1990年代、スノーボードが台頭していき、ギラギラと輝いていた頃。
そんな時代を知っている方なら、知っているのではないでしょうか。

ケビン・ヤング。

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デバン・ウォルッシュ、クリス・ブラウンと共にShorty’s(ショーティーズ)の三人衆として君臨。そのスケートちっくなスタイルは、当時のスノーボーダーたちを熱狂させました。
ピーター・ラインよりも早くロデオ・フリップという3Dトリックを生み出し、ケビン・ヤングのスタイルはその後のライダーたちに大きな影響を与えたのです。


そんなケビンと僕が出会ったのは、今から24年前になります。
当時、僕はウィスラーの日本料理レストランでスシ・シェフをやるながら、昼間はスノーボードをしていました。
僕は1つ屋根の下、カナディアン・ライダーたちとシェアハウシング生活をしていたのです。そのシーズンの春、ウチに居候していたのがケビンだったのです。

ケビンは、その春にウィスラーで開催されたウエストビーチ主催の大会、Westbeach Classicのためにやって来ました。その大会は、そのシーズンに北米で行われる大会の最後に行われるもので、カナダやアメリカ全土から選手が集まって来ていたのです。

カテゴリーは、プロとアマの2つあり、僕とケビンはアマチュア部門で出場。僕の成績は振るわず順位は忘れたけど、ケビンは見事に3位に入りました。

大会の前後に僕はケビンとよくいっしょに山に上がりました。ケビンは、ウィスラーのローカルではなかったけど、山を見る目があって、春のシャバ雪でジャンプできるヒッツをよく知っていました。

「フサキ、あのヒッツはともかく助走を速く。いくらでもぶっ飛んでも大丈夫だから。」
言うなり、ドロップして、鮮やかなエアーを決めていました。

僕も舐められてはいかんと必死についていき、なんとかエアーをしていたことを思い出します。

しかし、この頃のケビンは、まだ誰にも知られていませんでした。
マウントフッドのキャンプに行って、ティム・ウィンデル(元シムスのライダー、現在サマーキャンプ、ウィンデルズキャンプ主催)に見初められてチェッカーピグのライダーでしたが。
ちなみに、僕もこの翌年ぐらいにチェッカーピグのライダーになったので、何かと縁があったのかと思います。

ともかく、まだ無名の時期で、ケビンが台頭するのは翌年になります。

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(92年、ケビンが優勝した時のWestbeachクラッシックの模様。左は優勝したケビン、Westbeachのネルシャツとカラフルなパンツがカッコいい!右下は僕。)

1992年のWestbeachクラッシック。熱かった!
すでに名を上げていたジョン・ボイヤーを筆頭に、モローのドン・ザボ、サンタクルーズのショーン・カーンズ。
さらには、まだ名もなき青年、ジェイミー・リンが出場し、グローブしないで素手で張り切ってパイプに出場。

そして、ウィスラーのハイスクール生徒だった、クリス・ブラウン、小松吾郎。
カナダのコーチングでお馴染みの高石周。
後にフォトグラファーで大御所になったダノや、長野五輪で金メダル獲得後に大麻を吸ったとかで騒がれたロスだの、まさにおもしろいメンバーが集まっていたのです。

その記念すべき大会に、僕は再びアマチュアで出場。
ケビンは、プロで出場。

あの時のケビンは凄かった。
ジェイミー・リンと同じくらいぶっ飛んでいて、ショーン・ジョンソン(現在ステップチャイルド・オーナー)よりもスタイリッシュにフロント5とか決めていました。
そして、おもしろいのは、ケビン自身が優勝したことをすぐにわからなかったこと。

というのも、ケビンはレストランで皿洗いのバイトをしていて、表彰式も見ずに山を下りたのです。
そして、仕事の後に仲間からの知らせで自分の優勝を知ったのでした。

僕の方は、またまた大した結果は出ず、順位など忘れましたが、ケビンとのフレンドシップはさらに深まりました。
昼はいっしょにスノーボード、夜はスシ・パーティなんかして。

この後、ケビンは、とんとん拍子に出世していきます。
当時、ダミアン・サンダースなど出ていたフォールラインのビデオに出て名を上げ、またデバン・ウォルッシュらと共にWestbeachで袴のような太いパンツを作ったり、ネルシャツを作ったり。
あとで、高橋信吾くん(注:現在レジェンド・ライダー)に聞いたら、それは先にオレが提案したことだよ、と言っていたけど。

ともかく、スノーボードのスタイルから、ファッションに至るまで時代の風雲児だったのです。

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(ケビンがスノーボード界に注入したバギーパンツ。Westbeachはケビンと共にスノーボード・ファッションのカリスマ・ブランドとなった!)

ケビンがアメリカのロードトリップした時、世界でも初になる縦横をミックスした斜めの3Dトリックを編み出しました。
それが、その後、ロデオフリップと言われるトリックだったのです。
命名は、どこかアメリカの地方でロデオをやっていて、これだ!と思い付けたそうです。
このロデオはピーター・ラインが有名にして、シグネチャー化のようなっていましたが。

デバン・ウォルッシュ、クリス・ブラウンと共にチームとなったショーティーズも有名になりましたね。
日本で初めて行われたビッグエアー大会、TOYOTA BIG AIRにもショーティーズ時代、デバン、クリスらと来日していたと思います。

ショーティーズは、当時凄くカッコよく流行ったけど、カンパニーの方はうまくいかなかったようです。
この後、ケビンは、アトランティスというボードのライダーになりました。
しかし、このアトランティスもうまくいかなかったようで突然消える形となり、ケビンは最後のサラリーを取り損ねたようです。不運な男です。
この時、ケビンはウィスラーのスノーボード・ショップ、ザ・サークルのオーナーでしたが、オーナー権も手放すことになったしまいました。

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(世にその姿を現すことがなかった幻のショーティーズのグラフィック。このボードがリリースする前にショティーズは消滅した。)

もう、プロ・ライダーとして第一線から外れたケビンは、その後、ウィンテックで日本の生徒さんたちをウィスラーで教えていたこともありました。
あの頃に習った生徒さんに聞くと、ケビンはやさしくてカッコ良かった、と言います。

僕は、その頃、ケビンとリフトの上で、こんな話をしたことがあります。
それは、パークの真上にあるキャットスキナーというリフトで。

「あれだけやっても今ではスポンサードもらえない。クレイジーだね。」
と言うのです。

ケビンは散々、スノーボード界に新しい風を取り込みました。それは、ファッションでも、スタイルでも。
でも、そんなケビンも時代の変化に付いていけなくなったのです。

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(ケビンがウインテックでコーチングしていた時代、撮影した時のハンドプラント。一線から退いたとはいえ、あいかわらずスタイル抜群でカッコ良かった。)

そして、ケビンは突然、ウィスラーから消えることになりました。
僕は、偶然にもその時もケビンに会っていました。そして、こんなことを言ってました。

「実を言うと、僕にインタビューしたことがあるのは、フサキだけだよ。」

僕はビックリしました。
あれだけ有名になり、90年代、ケビン・ヤングの名を知らないスノーボーダーは、全世界にいなかったぐらいだったのに。

「あの頃は夢中で駆け抜けて、撮影やトリップに行きまくり。日本で僕はまるでロックスターのようになった気分を味わせてもらったよ。サイン攻めにあったり。良い思い出さ。だけど、なぜかインタビューに来るのは、フサキだけだったなあ。」

僕は、ケビンのことをよく知っていたこともあり、スノーイング誌(注:現在廃刊)、また自身で手掛けたビデオマガジンPEAKのインタビューなど、確かに何度かインタビューをしていました。

ケビンはこの時、二人目の男の子のパパになって、楽しそうにあやしていました。

「この子は、コスタリカの海岸で生まれたんだ。」
「えっ、海岸で!?」
「そうだよ。」

僕は、それは冗談かな、と思っていたのですが・・・。
後日、ケビンはコスタリカに引っ越したのです。
そして、今でも大好きなサーフィンをやっているようです。
二番目の子供が、たまたまコスタリカで生まれたことで、移住権を得たのです。
スノーボードの世界で、最後は不運な人生を歩んだケビンですが、今では家族と幸せそうに暮らしているようです。

最近、僕は再び、ケビンに連絡を取りました。

「実を言うと、僕、Westbeachの日本のディストビューターになったんだ。ケビンが愛したブランド。だから、ケビンにTシャツとか送りたいんだ。」
すると、ケビンから、

「楽しみに待っているよ!ぜひ、チャンスあったら、また日本に行きたい。」

と返答がありました。

いつか、またチャンスあったら、お互いWestbeachを着こんで、いっしょに山をライディングしたいと思います。
あいかわらず僕はエアーも上手でないし、ケビンのようにカッコいいハンド・プラントを決めることもできません。
だけど、あの時代を思い出して、ライディングできる。うん、きっとケビンといっしょなら、そんな青春時代を思い出せそうです。

その時は、さすがにお互いチェッカーピグはないだろうけど(笑)。

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(ケビンの家を訪れた時の写真。この後、ケビンはコスタリカへ行った。この次男となる赤ちゃんが、ケビンをコスタリカに導くことになった。)