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橋本通代「道」
橋本通代の生き方から上達哲学を学ぶ

PHOTO & STORY: FUSAKI IIDA

バカ素直です。不器用です。だけど思ったことを実現させます。
自分を信じています。不安につぶされそうになることもあります。
だけど、根性があり必ず立ち直って来ます。
橋本通代というスノーボーダーはウィスラーで誕生し、
様々な人たちに育てられオリンピックに行きました。
そして、世界中のたくさんの人に高い高いエアーを披露しました。
そう、彼女が噂通りの弾丸エアーを持つプロ・スノーボーダーです。
小さな巨人と呼ばれる橋本通代はどのようにして形成されていったのか?
橋本通代の「道」から上達哲学を学ぶという特集です。

 

スノーイング誌にニューカマーというコーナーがある。これはまだ雑誌にも登場したことのない無名の新鋭ライダーが出るコーナーだ。僕が担当して来たライダーの名前を最近のものから挙げてみよう。小島敬雄国広直也ルーブ・ゴールドバーグ千葉英樹加藤高正臼井真実、小松亮一、そして橋本通代である。なんとも奇遇だが、ミッチャン(橋本通代のニックネーム)が一番最初にインタビューしたライダーだったのだ。あれからかれこれもう5年が経つわけだが、ずいぶんと勢いよく駆け上がったものだ。当時の僕はもうすでに執筆や撮影など様々なスノーボードに関わる仕事をやっていたが、まだ自分は滑り手として雑誌にたくさん出してもらっていた時期であったから、今よりも若手のライダーの力量を見るという観点は弱かったように思う。それだけにミッチャンがこれほどまでに出世街道をまっしぐらに突き進むとは思いもしなかった。ただ、ミッチャンを筆頭に様々な若手ライダーたちをインタビューをして来て思うのは、彼女ほどスノーボードの道を進むに当たりピュアなライダーもいなかったとということ。普通どんなライダーでも有名スノーボーダーという存在は知っているものだし、このスノーボード業界に入るにあたり何かしら情報を取ろうという試みをやってみるものだ。だけど、ミッチャンは当時、まったくプロ・スノーボーダーの名前を知らなかった。そして何よりまったくの初心者だった。そこにあったのは、このスノーボードという運命的な出会いを素直に受け止め、自分がこのスノーボードを通じてたくさんの人に影響を与えられる人間になろう、という思いだけなのである。

そもそもの出会いはウチのカミさんを通じてだった。当時、僕は今のカミさんとウィスラーで同棲していて、ミッチャンはたまたまウチのうちのやつと同じ職場のレストランで働いていのだ。そして、住むところも近かったので、カミさんを迎えに行くついでにミッチャンも乗せて来てあげたのである。車の中で「スノーボードをやっている」ということを聞いたが、その頃からもうすでにたくさんの日本人ローカルがいて、プロになることを夢見ていた者はたくさんいた。だから、彼女もそんな一人であるという思いしかなかった。そして、僕は最初は誰にでもそうしていたように至ってクールに対応したように思う。というも、この時期からすでに様々なプロになりたいという話の類は耳にタコができるほど聞かされていたので、もうそんな話にいちいちつき合っていたら疲れてしまうのだ。本当にやる気のある奴は、結局、自分の力で上がってしまうのだから。

当時ミッチャンが働いていたイロリというジャパニーズ・レストランの経歴はひじょうに不思議なスノーボードの縁が働いている。というのもこのレストランがオープンして2年目に僕が最初のスノーボーダーとして働き出して、僕はカナダという場所ではあったがプロになった。そして、その後にも太田寛介プロも働いたし、また小松吾郎プロも働いたこともある。さらに、ここ何年もアルペン界で活躍している三好和美プロも僕と同期で働いていて、最初にスノーボードを教えたのは自分だし、その他にも苗字は忘れたがオリエちゃんというプロも生んだ。そう、このレストランは不思議と日本人プロ・スノーボーダーを生むレストランなのである。

話を戻そう。そんな日本人ローカルの一人であったミッチャンが、雑誌にまで取り上げられる存在になったのはなぜだろうか? それは、彼女があまりにも高いエアーをしていた、というのが第一の理由。今でもそうであるが、男性ライダーというのは女性ライダーよりも高く飛べないし、技を出すレベルも低い。だから、どうしても見劣りしがちだ。だけど、ミッチャンはすでにスノーボードを始めた1年目で、当時のローカル男どもを驚かす高いエアーを繰り出していたのだ。
また第二の理由として、ミッチャンはひじょうにメディアに出ることへ積極的に働きかけてくれたので、僕がその手助けを買ったのである。よくよく考えてみたら、このように若手をインタビューするというきっかけを作ったのはミッチャンだったのだ。そう、僕はこの仕事をきっかけに若手ライダーの写真を撮り、インタビューするようになった。元々、雑誌の仕事は好きだったので、もしミッチャンに出会ってなくても同じような仕事をしているかもしれないが、間違いなく僕はこのインタビューをきっかけにさらなるオールラウンダー化、つまり自分で滑り、また撮影もし、執筆もして何でもやる、というスタイルが形成されていったのである。

1年目から飛躍的に上達したミッチャンの性格とはどんなものか? それは、バカ素直だということ。実のところ僕もそういうところが多分にあるようだ。ウチのカミさんは僕のことをフォーレストガンプのようだ、と表現したことはあるが、確かにそういったところを認めざる得ないことがある。というのも僕はいろいろ考えたりするが(しているつもり?)、その反面でまったく何も考えないで行動してしまうということがよくあるから。
ミッチャンにしてもそうだろう。いや僕より数倍に素直で行動力ももの凄いから今のような地位がある。とにかく思ったことをすぐにぶつけるタイプだから、僕とミッチャンの撮影接点ができたのは、自然の流れだったのかもしれない。当時、ニューカマーという企画でいくら若手と言ってもスポンサーがあることは絶対条件のような流れはあったので、ノー・スポンサーの橋本通代が雑誌に出ることなど難しかったと思うのだ。だけど、僕はそんな思いもあったにはあったが、あまり深く物事は考えずに彼女の撮影をして、インタビューもした。実際このインタビューを採用してくれたスノーイング誌には本当に感謝である。これをきっかけにミッチャンはスポンサーを付けることもできたし、僕にしても撮影やインタビューをするという仕事をしていくきっかけになったのだから。ちなみにミッチャン、この雑誌は10冊買ってお世話になった人などに配ったとか。そんな純粋喜びパワーもミッチャン流だ。

人間誰しも怖がり屋であるので、知らない世界を知るにはどれなりの度胸というものが必要だろう。そして、そんな時、手助けとなるのがバカである、ということのように思える。だけど、ミッチャンのバカ度の凄いところは、最初から目標値が高く、そしてそれに向かって行く根性が凄いということ。例えば、スイッチのライディングが必要だと思えば、もうそれこそ一日中狂ったようにスイッチばかりやってしまう。そう、ミッチャンはバカの下に根性というものが備わっているのだ。誰しも思ったことは何度かはやり続けるものだが、様々な理由をつけては断念してしまうものだ。それが時には仕事の悩みだったり、または恋愛のことだったり。だけど、彼女はたぶん様々な邪念も入るのだろうが、結局のところ努力せずにはいられない性格なのだ。まさに努力型ライダーの典型だ。

例えば、女性のトップ・ライダーとしては、同じオリンピックにいった三宅陽子プロがいるが、僕には彼女の方がセンスを感じさせるライディングをしているように思える。実際、多くの業界関係者がそのように思っているのではないだろうか。体操競技から培ったボディバランスに、様々なフリーライディングで得たスノーボーディング・テクニックは1つの技をとってもひじょうにスタイリッシュだ。対して橋本通代、彼女にはまったくそのような輝かしいバックボーンはない。僕が知る限り、特別なスポーツ経歴はなく、お母さんは小料理屋かなんかやっていて、その関係で(?)ミッチャンがビールが大好きというだけ。なんかあまり関係ないような話だが、僕の推測が正しければ、この小料理屋のお母さんの存在は大きいような気がする。だから、誰にでもできないようなビッグ・エアーで見ている人の口をアングリさせることができるのだ。

というのも小料理屋をやっていれば人間の様々な喜怒哀楽を理解し、その中から人との正しい接し方というものを学んでいくものだ。何を隠そう、僕も八百屋の息子で、よく様々な水商売の方と小学生の頃から通じていたものだ。小学生の時、僕は八百屋の手伝いでダンボールに入れた野菜を持って配達に行きお駄賃100円もらった。その時によく飲み屋のシェフやらホステスのお姉ちゃんに可愛がられたのだ。「ぼうや、小さいのに偉いねえ」なんて言われながら、レモンスカッシュなんかご馳走になり、さらにはチンチロリンをやって彼らのお金儲けに一役買ったものである。というのも僕のような子供は無欲なので、そういった人にはギャンブルの神様がとんでもないエネルギーを発揮させることがよくあるのだ。そう、だから僕は子供ながらに昼間チンチロリンをやっている水商売の兄ちゃんたちの手助けをしたのである。

いくら自分が監修しているサイトと言っても、かなり脱線し過ぎたので、戻さなければ。そう、ともかく僕は水商売という方から通じて、人と人との機敏というようなことを学んだのだ。ミッチャンも自然にそういう部分をお母さんと見て学んだような気がする。まあ、真に勝手な僕の推測なのだけど。もちろんお母さんが夜働いていれば、いろいろ苦労もあったことだろう。だけど、今、ミッチャンの周りに常にたくさんの人が集まって来て、また励ましてくれる存在がいるというのも、こういったことにつながって来ていると思うのだ。

よし、これまでのまとめをしてみよう。
1)ミッチャンはバカ素直である
2)ミッチャンはど根性がある
3)ミッチャンは人の機敏がわかるので、強い応援エネルギーを受ける

さらにわかりやすく解説していこう。
ともかく人をビックリさせたい。自分という存在から人々に喜びを与えたい。そのへんは子供の頃からお母さんから学んだ哲学(?)。そのためには誰もが成し遂げていないカッコいいビッグ・エアーをやらなければならない。ともかくミッチャン自身が「スゲエ」と思うことを。そこで、どうしたらいいか考える。誰もやってこなかった練習方法も編み出す。例えば、ビッグ・エアーに必要なことはスピードに負けないテクニックと、恐怖感に打ち勝つ精神力だろう。だから、ブラッコムのあるソーラー・チェアの下という斜度がきついところを無謀にもチョッカル練習をする。たぶん、最初はメチャクチャ怖いに違いない。そこで逃げたい気持ちを抑えて逃げるのではなく、逆にまた同じことをやる。怖さを感じないよう、そしてそのスピードが自分のコントロール内に収まるように続けて練習するのだ。その時のミッチャンの気持ちの中には、目標が大きく支配し、恐怖感を入り込ませないようにしているのかもしれない。そして、そんな努力の中からスピードに強くなれる自分というものを作りあげるのだ。そこから、ビッグ・エアーのトライが始まる!
わからないことは素直に聞く。有名な人から無名な人まで、様々なライダーに聞いてみる。だけど、そこで感謝を忘れない。必ず感謝のフォローアップがあるのだ。それはミッチャンにとっては自然なこと。当たり前なこと。感謝されるから、僕たちもミッチャンを応援したくなる。そう、もうミッチャンの周りの人間は「自称ミッチャン応援団隊長」になっているのである。

この2月、僕はオリンピック後のSBJスノーボード展示会でミッチャンにあった時、「フサキさん今までありがとうございました。これからもいろいろお世話になると思うけど、オリンピック後の一区切り。だから感謝をしたくて」と言われた。もう、これは言われた時には正直に言って、電撃が走った。その時は照れて大したリアクションをできずに終わったが、時間が経てば経つほど、このミッチャンの感謝の言葉が腹まで染み渡り、改めてこの橋本通代という人物の大きさを知った思いである。オリンピックには行ったけど、そこに憤りとかはまったくない。あいも変わらずミッチャンはミッチャンで、親しみやすい。だけど、やっていることは、凄いことじゃないか!

ところで、最近、ミッチャンは悩んでいたようだ。オリンピックの時とか、いろいろな人に会って、いい顔をするのが疲れて来たという。考えてみたらあたり前だろう。ミッチャンの性格から言って、誰にでもいいエネルギーを与えたいと思うし、そうなれば自分が嫌でも(?)いい顔をせずにはいられないのだ。そのへんの部分から疲れが発達して、一時期落ち込んでいたようである。だけど、ウィスラーで過ごし、新しいことキッカーでの回転技に取り組み、またいい仲間にも囲まれて、かなり癒されたようだ。そして、何より彼氏のハヤトくん(注:眉毛がそってあって一見怖いけど、あいさつきちんとスーパーナイスガイ)の力も大きく、完全に復帰したという感じである。今まではオリンピックが目標だったけど、これからまた新たなるミッチャン伝説を作ってくれそうな気配だ。

橋本通代「道」。何か大層な題名を作ってしまったが、これって今、僕たちにでも実行できることじゃないだろうか? 素直に思ったことを一生懸命にやる。何度か壁に当たるのウエルカム!聞く人に聞いて、ちゃんと続ける根性を持ち合わせる。このサイトも役立つだろうし、キャンプだって役立つだろう。いや、もしかして友達のアドバイスでさらなる成長を遂げるかも? それで人に聞いたら感謝を忘れない。何より一番大切なのは、「素直に実行する」ということだと思う。人間はやりたいことがあっても、様々な理由をつけては逃げたくなる。本当はやりたいことなのに、大人になればなるほどその傾向だ。だけど、ミッチャンのようにいつでもピュアな心を持てば、あなたも小さな巨人になれるかも!?

橋本通代プロフィール・ページ

過去のインタビュー
逆輸入型ウィスラー産フリースタイラー実力たっぷりのブッ飛びアマ(SNOWing誌) --- 1997年
第1弾:日本人女子としてはワールド杯のトップ10に入った3人目 --- 2000年
Michiyo Hashimoto Interview(SNOWing) --- 2000年
第2弾:日本が誇る弾丸砲エアー「オリンピック」へ--- 2001年