誰も知らない!?スノーボード板80年代ヒストリー

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By Fusaki IIDA

僕がスノーボードを始めたのは、1985年の冬、高校2年生の時だった。
あの頃、スノーボードというのは、世間にまったく知られていないもので、「スノーボードに行く」と伝えると、周りには「何それ?」という顔をされたものだ。

ところが、90年代に入って、スノーボードはたちまち多くの人に知られるようになり一大ブームになる。そして、遂に1988年長野オリンピックでスノーボードが正式種目に採用されることになって、認知度が世界中に広がった。

だから、90年代のスノーボードのヒストリーというのは、結構多くの人に知られている。現在スノーボード界で活躍している40代の方なら、あの最も熱かったスノーボード・ヒストリーを語れるだろう。

●参考リンク
スノーボード界の歴史を動かした10人のライダー

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だが、80年代のスノーボードというと、まず知られていない。
かなり昔から業界で活躍されている方でも、あの頃の歴史を知っているというと、本当に限られた人だと思う。
今季33シーズン目を迎える自分自身でさえ、わからないことが多いのだ。

そこで、スノーボードの歴史というものを後世に残す資料を残したいという気持ちで、あまり知らない80年代のボード(板)を探してみた。

こうして歴史的なスノーボード板を拝見すると、今になってリバイバルしていることもわかって興味深い。

例えば、ビンディングのない板は、まるで現在の雪板ブームにつながっている。パウダーに適したスワローテール板は、今、新たに人気なっているもの。
またグラフィックに関しても、昔の時代のことがリバイバルされた、ということもわかる。

80年代の板は、今見ると不思議なほど魅力があるのだ。
さあ、あなたを80年代のスノーボード板の世界へご案内しよう!

最古のスノーボード板スナーファーは1960年代に登場!

シャーマン・ポッペン氏が開発したというスナーファーという乗り物は、現在のスノーボードの原型と言われている。名の由来は、スノーとサーファーから、合わせた造語スナーファー。
その誕生は1965年と言われていて、この乗り物は80年まで活躍したという。


(1965-1980 Poppen/Brunswick Snurfer)

板の先に紐を付けた単調な姿は、当時の子供が遊ぶソリを立ちながら乗れるように改良したイメージを抱かせる。
その頃の写真を拝見すると、スナーファーの紐はロープのような素材で、現在の犬のリーシュよりも粗末に見えてしまう。

しかし、このスナーファーがあって、ジェイク・バートン氏がスノーボード開発のきっかけをつかんだことを考えれば、これはかなり偉大は発明品だったとも言えよう。
座って真っ直ぐにしか進めない雪ソリを立って乗れるようにした、という革命が起こっていたのだ。

それにしても、こんな細い板でどのようにしてライディングしたのか?果たしてターンはどの程度までできたのか、気になる方も多いのでは?
そこで、こんな古い映像を見つけたので、ご紹介しよう。

 

パウダーの乗り心地を上げたウィンタースティックのスワローテール

ウィンタースティック(Winterstick)の誕生は、1976年と古い。
だが、その当時リリースされた板のテールは、ほぼ四角でやや丸みをつけたもの。
ウィンタースティックは、まずそのテール形状をラウンドにし、さらに素材をウッドからプラスチック製に変えた。

そし2年後の1978年に、スワローテールのWinterstick Swallowtailが誕生!


(1978-1982 Winterstick Swallowtail)

尖った先端のこのスワローテールの板は、パウダーでの浮遊力と操作性を一気に上げることに成功。当時は画期的なデザインとして受け入れられた。
さらに、現代のスノーボード・シーンでもウィンタースティックは、リバイバルでリリースされ今なおパウダージャンキーたちを喜ばせている。

ボトムがラウンドなシェイプであったことは、今で言うロッカー形状にあたり、まさに未来を予感した確信したデザインと言えよう。
まさに現代を予感させるシェイプを開発した点において、ウィンタースティックはスノーボード・ヒストリーの継承者となったのだ。


(左、1976にリリースしたWinterstick Roundtail。2年後にスワローテールになったことで、ウィンターステイックは現代にも生き残る名機となった。)

 

現代のスノーボードの姿に変えた努力の人、ジェイク・バートン

現在でもスノーボード界をリーディングするブランド、Burton(バートン)。
その生みの親であるジェイク・バートン氏のスノーボード界におけるヒストリーを考える時、本当にスノーボードを愛した人なのだと思う。
おそらく、スナーファーに出会って、その楽しさからスノーボードの未来を感じたのだろう。
そこから、さらに多くの人に楽しめる遊びを求めて、コントロール性を高める努力を行って来たのがバートンの始まりの歴史だ。

そのことを理解するためにも、まずは初期の頃のバートンの板を見てほしい。

1 Burton BB1 Londonderry(1979)
2 Burton BB2 (1980)
3 Burton Backhill(1981)
4 Burton Backyard(1981)
5 Burton Backhill(1982)
6 Burton Backhill(1983)
7 Burton Performer(1983)
8 Burton Performer Competition(1984)

バートンが誕生した頃の板を見ると、あきらかにスナーファーに影響されたことがわかる。
1979年に生まれたBB1を見るとほとんどスナーファーに見えるが、ジェイク氏はさらに操作性を上げるために、持つ部分のハンドルを良くしていることがわかる。
そして、足を滑らないようなゴム製パットを設け、さらに足を固定できるようなパーツ、現代のビンディングのようなものも用意している。

また、上の写真だとわかり難いが、より雪山からゲレンデで自由滑走を求めて、1981年バックヒルあたりにはテール部分の左右にエッジフィンを付けたのだ!

そのことを証明することができる動画を発見した。
以下の動画は、世界で始めて行われたスノーボード・コンテストの模様だ。
1.21のところからジェイク氏が、コントロールできるようにアルミ製のフィンを付けたと話しているのだ。ここで登場する板は、バックヒル。

さらに興味深いのは、前足はビンディングでより固定させ、後足が固定できたり逃げれたりするような構造にしてあること。
また、当時の後ろ乗り加重のライディングは、元々スノーボードがパウダー滑りのスナーファーから来たことがわかる。

スノーボードのウィキペディアでのヒストリー項目を読むと、1981年にシムスがメタルエッジの板をリリースしたというが、今回見つけた写真のバートンのバックヒルも1981年にリリースしたということだから、どちらが最初にエッジを付けたのだろうか?と思う。

また、今回、自分が資料として見つけたスノーボード・カナダ誌(注:現在は廃刊となっている)によると、1985年にシムスがリリースしたSims 150 FEという板にもバックヒルのようなテール側にアルミのフィンのようなパートがあるのだ。現在のような板全体にエッジを付けるという考えは、1980年代中頃にはまだなかったようだ。
おそらくスノーボードにスキーのようなエッジを付けることになったのは、87年頃のことだろう。

 

「サーフィン感開で雪上で遊ぶ!」MOSSが日本独自路線でスノーボード発足!

世界のスノーボードの歴史において、日本から生まれたMOSSがどれほどまでに影響力を与えたのか、その資料を見つけることはできない・・・。
だが、僕が知る限りMOSSというのは世界にも影響を及ぼしたヒストリー・ブランドだと思う。

まずは、僕が1985年12月に天神平の豪雪で初めてスノーボードの体験した板を見てほしい。

当時、僕たちはこの遊びを「スノーサーフィン」と呼んでいた。
ボードのトップ中央に丸井のステッカーがあるが、翌年1986-87シーズンに僕は第4回丸井スノーサーフィン大会に参加したのだ。確か優勝した方は、大曾根さんという方で上位には今なおプロとして活躍している相澤盛夫さんがいた。
大会に出ていたのは、おそらくみんな大人な方で、高校生のガキンチョは僕だけだったと記憶する。
おそらく同じ頃、全日本のスノーボード大会もあり、ようは「スノーボード」「スノーサーフィン」が競合する時代でもあった。

このMOSSのスノーサーフィンの最大の特徴は、スキーブーツで乗れたことだ。
V1ボトムと言われたこの板は、現代のようなフラット形状の板ではなく、おもいっきりロッカー形状だったが、固いスキーブーツによりエッジングを可能にした。
確か、この翌年あたりに、MOSSのRV3だったかな(注:確かな名前は忘れた。)で完全スチール製エッジングのボードが誕生したのだ。

MOSSを誕生させた田沼進三氏は、1971年にサーフボードのウレタンフォームとグラスファイバーを使用したプロトタイプを作成し、1979年にはスキーブーツで滑れる板を開発していたというから驚かされる。
その発想は、アメリカのスナーファーからというよりも、独自にサーフィンを雪上で!ということで開発されたのではないか?と思う。
(※ぜひ、このことは田沼氏に会った時に聞いてみたい!)

スノーボードはアメリカで生まれ、現在世界に広まっているが、日本独特のカルチャーもあったということを驚かずにはいられない。

そして、今、MOSSはパウダー板として、海外のライダーからも高い評価を受けているのだ。
改めて、MOSSを生んだ田沼氏にリスペクトせずにはいられない。
今、僕がこうしてスノーボード界で生きていられるのもMOSSがあってこそなのだ。

ちなみに当時の僕のヒーローは、MOSSに乗っていた玉井太郎さんだ。
現在でもGENTEMSTICKの総帥として知られる玉井太朗さんだが、当時のライディング・スタイルは圧倒的にカッコ良かった。
残念ながらいっしょにセッションはしたことがないが、80年代後半の大会で見かけたし、ライディングもテレビ東京の番組『Do!スポーツ』で見たものだ。
あの当時、バートンとかシムスの板で、多くのライダーたちがテールを振ってズラした滑りをしていた中、一人カービングで滑っていた印象がある。

あれは全日本第4回峰の原の大会だったか。霧の中でパイプ大会が行われていた。そんな中、ラジカセ右肩に担ぎ、おもいっきり音楽流しながら颯爽と現れたのが玉井さんだった。
当時は、玉井さんだけでなく、いろいろな意味でぶっ飛んでいたライダーがいて、僕はいつも目を丸くしていたけど。
ライディングのスタイルは、玉井さんがダントツでカッコ良かった。

あの当時、日本という中にMOSSが生んだスノーボード・カルチャーの熱い時代だったと言えよう。

ちなみに日本のレジェンド竹内正則さんは、このもうちょっと後に出て来て活躍された方だ。
80年代はMOSSが力を付けていた時代で、80年も最後の方に入るとバートン、シムスの影響力が強くなり、国内では竹内さんがバートンの旗頭となっていく。

 

シムスがバートンに勝っていたかもしれない80年代

スノーボードの歴史の中でバートンというのは、圧倒的なストロングさを持つ。

90年後半に台頭したフォーラムは、一時期バートンをも脅かすような存在に成長したが、結果的には足下に及ばなかったようだ。
バートンがフォーラムに買収された当時、バートンで働いていた友人は、「フォーラムの売り上げの低さに驚いた。」と言っていたことを思い出す。イメージではフォーラム、かなりバートン市場の牙城に迫ったが、実質それほどでもなかったようだ。

ROME SDSが出て来た時も、アメリカのスノー展示会ではかなり元気ないい話も出ていた。
元々バートンでUninc(アンインク)を開発した連中が出て、ブランドを立ち上げたというのだ。彼らはテクノロジーに理解も深いし、ビジネスも知っている。これはかなり行けるぞ!という話が飛び交っていたのである。しかし、蓋を開けてみれば、成功したブランドではあるが、この業界のトップに立つことはできていない。やはり、バートンというのは常にトップ・ブランドとして君臨しているのである。

しかし、80年代はどうだったであろう?あの頃、スノーボードをやっていた方ならわかるが、『バートン or シムス』の時代である。
ショップに行くと、「どっちのブランド選びますか?」という感じだったのである。

特にクレイグ・ケリーがバートンに移籍する前のシムスは強かった。
なぜなら、カリフォルニアの風を浴びたシムスは、まさにスノーボードというカルチャーを象徴するようなデザインだったからだ。
そんなことを象徴する板を見つけたので、以下をチェックしてほしい。

左は、Sims Kidwell Roundtail(1985)、右はBurton Cruiser(1986)だ。

この時代、スノーボードの大会は、フリースタイルよりも旗門を立てたスピードレースの方が多かった。そういった中で、バートンのクルーザーは大いに力を発揮する。
同じ頃、シムスもクルーザーのような、よりターンを意識したスワローテール形状の板(Sims 1500FEなど)を出していたが、同時に上写真のようなテールがラウンド形状の板を出していたのである。今、こうして写真を見ても、なぜあの時代、多くのスノーボーダーたちがシムスをほしがったのかわかる。
凄く精鋭的にフリースタイルを好んだ西海岸のスノーボーダーはシムスに熱狂し、ちょっと真面目な東海岸のスノーボーダーはバートンでレースに出いてたという印象だ。

だが、この時代にシムスがカッコ良かった要因は、ビンディングにもあった。
というのも、上の写真を見てもわかるように、すでにシムスは現代のビンディングのように、トゥ・ストラップとアンクル・ストラップの2点留めだったのだ。これによって足首が動きやすくなり、フリースタイル・トリックがやりやすかったのだ。

一方のバートンのクルーザーは、以下のような3点留めだ。

これは1988年にリリースされたクルーザーだが、なんとも野暮ったい印象を与える。
足首を包み込むようなストラップがあることで、よりストロングなターンが可能になった代償としてデザイン面でのクールさが損なわれたように思えるのだ。
この3点留め感覚は、きっとハードブーツ+アルパインボードに移行していったのだろう。

ここまで説明して来たように、80年中頃バートンはターンやスピードを重視するあまり、フリースタイル的な板がなかったのだ。
一方のシムスは、レース用の板とフリースタイル用の板を用意していたのである。
初代パイプ王者と言われるテリー・キッドウェルはシムスに乗っていたし、あのクレイグ・ケリーも元々はシムスのライダーだったわけだ。

1987年にバートンは、初めてBurton Airをリリ-スし操作性とフリースタイル性のバランスあるボードをリリースする。(以下、写真右側の青いボード。)

この板は、僕の従弟も乗っていたのでよく覚えているが、かなり調子良くバートン時代が来ることを感じさせるものだった。
しかし、同時期シムスにはスイッチブレイド(Sims Switchblade)があり、東西横綱対決は一進一退の攻防。
先に伝えたように、80年代はシムスとバートンの2大ブランド時代だっのだ。

だが、88年だったか、バートンはクレイグ・ケリーをシムスから引き抜き、スノーボード界の歴史的なシグネチャー板がリリースされることになる。
まさにそれが、スノーボード界の歴史が動いた瞬間だった。

 

1989年世界初のシグネチャーボードがリリース!

1989年、世のスノーボード取扱いショップにあったのは、Gnu(グヌー)、Kemper(ケンパー)、K2(ケーツー)、Avalamche(アバランチ)、Morrow(モロー)など。そして、シムスとバートンが、リーダーとして君臨していた。

その図式がおもいっきり変わったのが、クレイグ・ケリーが開発に加わったシグネチャーボードだ。

Burton Craig Kelly Mystery Air(1989)

スノーボードの歴史にちょっとくわしい方なら、見たことがあるデザイン。
ディレクションシェイプだが、ツインチップにかなり近くなった形状だ。
スノーボードの板の歴史は、ここで大きなハンドルを切ることになり、この後、バートンは世界のトップ・ブランドとして君臨するようになる。

そもそもこれまでシグネチャーという観念がないスノーボード界だった。
だが、時代を切り裂いたクレイグ・ケリーは、他のプロ・スポーツを模範として、様々な画期的なアイデアをスノーボード界に導入したのだ。

それは、フォト・インセンティブとビデオ・インセンティブ。
ようは、写真と映像の露出の量によって、金銭が発生する契約をジェイク・バートン氏と交わしたのである。
さらに、このシグネチャーの板を世界でブームを起こすことによって、スノーボードで飯を喰える真のプロとなったのだ。

クレイグ・ケリーのミステリー・エアーは、彼の名声と共に広がり、今日のスノーボードの板の起点となったのだ。

最後にこの頃のバートンのビデオをご紹介しよう。クレイグ・ケリーらが、当時の最新のボードに乗ってご機嫌でナウい(?)ライディングを見せている!

 

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