フサキの大胆予測これから業界は良くなる!

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スノーボード業界、季節は春かな

昨今、スノーボード業界の景気は低迷で、特に小さなショップからは悲鳴に近い嘆きが聞こえて来ることが多い。メーカーの多くもプロモーションに掛ける費用は減り、ライダーたちはカットされたり契約金は減給されたりしている状況だ。先の見えないビジネスに、業界の多くの人は不安になっている方も多いのである。働いても働いても報酬が上がらない実態にイライラしている方も少なくない。

もし、未来のことが予測できたら、どんなに気分的に晴れるだろうか!
しかし、株式投資を始め、専門家と言われる類の方がしばしば予測が当たらないことを考えれば、未来のことを予測するのは困難だ。未来のことは、神のみぞわかるというところだろう。

以前、自分はこんな言葉を聞いたことがある。「歴史を辿れば、そこに未来の生き方を示す」と。
自分は歴史が好きで、山岡荘八、吉川英治、司馬遼太郎などの小説を読んで来たけど、確かにこのような小説を読むと、これからの未来に思いを馳せて「こんな生き方してみたいなあ、歴史を教訓にこんな生き方をしたら成功しそうだ」と考えるもの。そして、その考えを抱き行動に移した結果、現在のところ、スノーボード界で生き残ることができた。とりあえず、自分が思い描くように生きて来れた、ということはまずまず成功していると言っていいだろう。

なるほど、もしかしたら過去を振り返ることで、未来の予測が付くかもしれない!
そこで、自分は過去を辿ってみることにした。そうしたら驚くべきことに、現在のスノーボード業界が「春」であるという考えに達した。春とは実り多き夏を迎える前のことで、つまりこれからスノーボード業界はよくなって行く!と。
そこで今回の特集では、春であるという自分の考えを披露して行こう。

 

自分がスノーボードを始めたのは、今からちょうど 20年前で、17歳の時だ。その頃、世間にはスノーボードという言葉がなくて、自分もそんな言葉があると知らずにスノーサーフィンと呼んでいた。このスノーサーフィンって言葉は、当時のスノーボード・メーカーの1つMOSSの戦略ってことを知るのは、かなり後のことなんだけど。

記念すべき初のボードは親戚の兄から譲り受けたMOSSのV1で、当時スノーサーフィンと呼んでいた。

えっ、その戦略気になる?
まあ、カンタンに言えば、その頃すでにスノーボードはあったのだが、国産サーフィン・ブランドの MOSSはで雪上でサーフィンする新しいスポーツを考えていた。オリジナルなアイデアで、Vボトムを作り(注:ボトムがフラットでなくVの形。しかもボードのシェイプはサーフィンのように尖がっていた。何かイカの形にも似ていたね)それをボードにしていたのである。
自分はスノーボード歴2年目で大会に出ていたのが、その時の大会の名称は第4回丸井スノーサーフィングランプリとか、第5回全日本スノーサーフィン選手権だったのである。つまり、この全日本が今の JSBA(スノーボード協会)の全日本と同じものだと思っていたのだけど、この全日本スノーサーフィンの方は、MOSSの方で勝手に(?)作ってしまった全日本だったのだ。実のところMOSSはスノーサーフィン協会を作っていたのである。

話はかなりゴッチャして悪いけど、それ以外にもアヤックというボードもあって、そこも協会を作っていた。そして、 BURTONも全日本スノーボード協会を作っていたのである。アヤックというのは、売れなかったのだろう、つぶれてしまった。その後、BURTONやらMOSSが話合って正式にスノーボード協会を作り、つまり2つの協会を合併させたのだ。今、考えてみたらなんと画期的なことだろう! まあ、まだ市場規模もメチャクチャに小さかったから利権も小さく、いっしょにやらないとお互い沈没すると心配だったのかもしれないが。
ともかく、自分が出ていたスノーサーフィン大会は、幻の大会で、もちろんこの全日本大会で高校生ながら大人相手にダウンヒルで 25位に入った実績も、今では陽炎のように消えているのは間違いない。

だけど、この大会で25位に入った自分は、なんとVANSからスポンサーが出たのだ。ブランド名はSNOWTECHでモデル名はPALSAR GS。なんかカッコいい名前でしょ? 結果は転んでさらに旗門不通過だったけど。ともかく、この当時からボードはフラットになっていき、MOSSのようなスキーブーツ(ハードブーツ?)を履いて滑るスタイルのボードは廃れて行った(注:そうMOSSのボードはスキー・ブーツで乗っていたハード・バインディング・スタイルだった!)。ちなみにこれは86-87年シーズンの出来事。

この後、自分は結果が出ない不甲斐なさに、海外行きを決意。いやあ、今考えてもかなり単純発想人だが、この時は親に反対を食らう。何しろ勝手に行きたくても自分でお金がないので諦める。そのままサラリーマンの道に行ったのだった。

しかし、 88年の夏、会社の休みを使ってニュージーランド行った。今度は自分で働いたお金なので文句は言わせん。何しろ、ただの夏休みを使った旅行だったし。だけど、そこでの経験が自分の風来坊魂に再び火を起こし、ニュージーから帰ったとたんに会社に辞表を出した。
当時、親戚やら会社の課長さんを始め多くの方が心配した。課長さんがお袋が勤める八百屋までに来たのはビックリしたなあ。ともかく、周りは
「スノーボードって何?そんなので食えると思っているの??」
と、当時の突拍子もない自分のアイデアに反対コールの大合唱。まあ、お袋だけは「誰にも迷惑かけないなら、いいんじゃない」って言ったけど。
だけど、自分は信じていた。今のスノーボード界は、冬の時代だけどきっと春の時代がやって来ると。そして春の後には、夏が来て、自分はその時に、これで食っている!と。

当時、自分が得た感に思わず「偉いよ」と叫びたくなる。「19歳のフサキくん、よくぞその当時に会社を辞めてスノーボードに走ったな。お前は偉い!」と、タイムマシーンを使って過去の自分を褒めたくなる。 それぐらいあの当時、スノーボードで飯を食う!という宣言がバカなことだったのだ。

89年ニュージーランドでは日本料理レストランで働きながらスノーボード。そして日本の冬では大会に出る。あまり良い結果は出なかったので、またまたニュージーへ。その年(90年)には、なんとアルペンのコマーシャルにも登場したのだ。そう、当時はまだ無名だった真木蔵人の変わりに自分がスノーボードで滑る役になったのである。たまたまその時クイーンズタウンにいた日本人スノーボーダーだった、という幸運により自分はとてつもないチャンスにめぐり合えた。まだ無名だったCMのヒロイン役の田中律子も可愛かったなあ。
今、あの当時のことを振り返れば、スノーボード業界は春先を迎えていたのだ。アルペンという大手スポーツ・ショップがスノーボードに注目し、コマーシャルに登場させた。まさに、これからスノーボード人気がやって来るだろう、という匂いがプンプンしていた時代である。

90-91シーズンはカナダへ。その冬の後に、スノーイング誌にごあいさつに行っているので、そうか、もうすでに季節は完全に春だったのだ。当時、専門誌はスノースタイル誌(季刊誌)に、スノーイング誌(なんと強気の月間誌!)があったのだから。
そう言えば、もうこの頃クレイグ・ケリーは大ブレイクして、 92年夏には大会から引退宣言したのだ。スノーイング誌のインタビュー記事のクレイグのコメントが今でも忘れられない。「テリエは一度もオレに勝てなくて引退されて悔しがっているだろう」と。

最初に出演したハウツー・ビデオは、企画内容もおもしろくとてもよく売れた。この時期からスノーボード・バブルが始まる。

92-93年と言えば、もしかしてオレの全盛期かも!? 当時、オレは無名のライダーながら、関東大会でいきなりノーシードで4位に入ったのだ。もうその頃には、スラロームに出ていた選手は150名ほどいたから、まさに業界は春から夏を迎える準備をしていた頃だろう。さらにその年、自分が出たハウツー・ビデオは1万本とか売ったのだ。今どき日本のビデオで1万本って言ったらライオのレッドアイのレベルだよ。しかも、自分の場合、「ワーホリに来ていた○○ちゃんを1シーズンでスノーボーダーにしちゃった」なんてハウツー・ビデオで、いかにもオチャラケた内容だったのだから(注:だけど今、考えてみたらかなりユニークでマーケティング観念においてもしっかりした内容で売れるべくして売れた)。
その翌年 93-94年に出したスノーボードのハウツー・ビデオも当時の人気映画ダイハード2よりも売り上げが上位でビックリしたし、またハウツー本(注:それにしても自分もいろいろやっているなあ)も8000部とか出たらしいから、まさにスノーボード界は、夏を迎えていたのだ。

それと 93年の夏のニュージーでは、SUB 20というキウイ(ニュージーランド人)のスノーボーダーが立ち上げたブランドも友達関係ということもあり、輸入を手伝ったのだった。最先端のバギー・パンツで大流行し、あいつら(社長カップル2人)は、家2軒、車2台も買ったのだ。まさにバブルの始まりだったね。
全然関係ない話だけど、当時この輸入にあたり、フサキは中間マージン料を取り過ぎているという噂が出て困った。フサキが値段を上げている元凶だ!みたいな感じで。まあ、当時のみなさんが思っているより、取っていないと思うのだけど。

そうそう確かスノーボード雑誌がたくさん出たのもこの頃だろう。トランズ誌、スノーボーダー誌(当時はボドレップと呼んでいたかな?)、スノーボード・ニッポン誌(ジャーナル)、スノーボード誌(ヤマケイ)などなど。あと小学館からも何か出ていた。名前忘れたけど、ウィスラーで撮影をしていただきお世話になっているので思い出した。

さらにバブルな出来事を思い出した!
当時、自分はミナミのライダーで(注: 10年間頑張りました!)大会がないシーズン前などは販売のお手伝いをしていたのだけど、なんと売れた日には一日に10本ものボードを売った。バイトのような自分が、一人で売り上げ100万円以上だよ。いやあ、今、考えたら凄いことだ。 コンドームのデザインのボードを見たお客さんが、何も質問せずいきなり「これ、ください」にはぶったまげたなあ。今どき10万円ぐらいするセットのボードを見て、「これください」だけで売れないよ。駄菓子屋のお菓子じゃないんだから。
そう言えば、この時代はそのへんの無名のライダーでも 50万円の契約金があったのだ。まさに、スノーボード・バブルである。

そして、それからスノーボード界は徐々に秋を迎えていく。
この頃のおもしろい出来事としては、以前からスノーボードをやっていた者たちが、「略してスノボと呼ぶな!」と怒ったこと。コア層と底辺層がはっきりと別れた時代でもあった。自分としては、その当時、生粋と呼ばれたコア層よりももっと前からスノーボードをやっていて、つまりスノーサーファーだったこともあり、どうでもいい議論かな?とも思えたけど。(注:だけど、スノーボードという呼び方が好きです!)

自分の話はとりあえず置いておいて、この時分の世間の流れとスノーボード業界を照らし合わせてみよう。
そう、日本全体のバブル崩壊は 90年を境に起きている。85年頃から土地代がぐんぐん上がり、90年から一気に下降線の状況になりバブル崩壊、そして失われた10年を迎えてしまった。その間、スノーボード業界は世間のバブルとはズレた時代軸を味わっているのである。
このズレた時代軸とは、世間の景気がどんどん冷え込む「秋」の時期にスノーボードは「春から夏」を迎えていた。だから、世間のバブルのしわ寄せが、すべてスノーボード業界に寄りかかってしまったのだ。これには参ったね。

例えば、スキー業界がスノーボードを強く扱うようになり、テニスラケットで有名なヨネックスもスノーボード業界に進出し、当時 GATTというブランドを作っている。
その他、そのへんのスポーツ問屋さんも新しいスノーボード・ブランドを立ち上げた。カナダではある旅行会社が、カナダのスノーボード・ブランドを輸入するなんて話もあり、それのミーティングにも行かされたことがあったなあ。
ともかく、多くの他の業者が、会社の売り上げをキープするためにスノーボード業界に寄りかかって来た、ということだ。

しかし、ここで勘違いしてほしくないのは、他の異業種だった方たちがスノーボード業界に来たこと、イコール悪いことではない、ということ。むしろ、スノーボード業界に活性化に一役買ったところも少ないのだから。

例えば、ヨネックスは演歌歌手のようなプロモーション方法で、全国に試乗会を行いカーボン・スノーボードの良さを紹介。今でも多くのスノーボーダーたちがその恩恵を受けている。また元々ブルーガイド・スキーというスキー雑誌を出していたところがスノーボーダー誌を出して、多くのファンにエネルギーを与えているのもご承知の事実。 90年以降にスタートしたスノーボード雑誌でつぶれてしまったところも、スノーボーダーたちにためになる情報を発信して来た事実もあるのだから。

だけど、あのスノーボード業界が夏を迎えた 95年のバブル時代、スノーボード業界の力はどんなとこころに向かっていたのか。それを考えないことには、これから迎えるであろう第2の夏時代をしっかりと乗り切ることができないだろう。

つまり、あの時代、こんな元凶なことが起きているのだから。
1)誰もが上達不可能なレンタル・ボードに乗らせれ「2度とスノーボードに行きたくない」と思わせてしまった。
2)スノーボード・スクールのレベルも低く、あるスキー場では「ダメダメー、前を向きなさいと何度も言わせているの!」なんて叱り付けているありさま。 20人の生徒を前にやたらにウンチク語りばかりのスクールもあった。
3)ともかく、形をなしてれば良い、とわけのわからない工場でスノーボードを作らせ、さらに何もコンセプトもないバインディングを作らせていた業者もいた。それらの用具はやたらに安かったが、乗ってもなかなかハッピー境地まで辿りつけない品物だった。
4)バインディングの取り付けも知らない店員たちが、あり得ないセッティングをしてお客さんに販売していた。
5)ともかく売れると勘違いしたメーカーが、日本のスノーボード人口よりもたくさんのボードを輸入させてしまった。会社は倒産。港に余ったスノーボードは腐るほどの数に登った。

これらのことは、 95年の頃、スノーボード・バブルと言われた時代にやって来たことだ。この負の軌跡を残し、見事に90年後半から今までにその付けを払わせられている。

しかし、悲観的になることはない。なぜなら、改めてスノーボードの時代軸を見つめれば、そこにしっかりと春の芽が徐々にだが根付いていることに気づく。

あるマーケティング関係の書籍によれば、どんな業種やどんな人でも3年周期で季節がやって来ると言われている。しかし、スノーボードの周期はまだ産声を上げたばかりのものだったし、それよりも1年多い4年周期になっているようなのだ。以下にそのことを説明していこう。

スノーボード業界は、長い長い冬の時代を経験し、最初の大きな春は 90年頃に迎えた。そう、90年から93年の4年間が春の時期。そしてスノーボード・バブルを迎えた94年から97年が夏の時期。98年から01年が秋の時期で、02年から05年が冬の時期だ。そして、今、05年、これから06年に向かい第二期の春を迎えているように思うのである。

90年サホロで行われたワールドカップのスラローム大会の模様。写真左は伝説のライダー、クレイグ・ケリー。

それぞれの年の象徴的な出来事と言えば、 90年には世界で始めてアメリカ、ヨーロッパ、日本が認定したワールドカップが、なんと日本のサホロで行われている。自分も当時、北海道までクレイグ・ケリーやピーター・バウアーを見に行った。
94年は文字通りスノーボード・バブルの時代で、世界からスノーボード・ブランドが日本にやって来た時期。カタログ号文化ができた年でもある。(注:その後、北米誌でもカタログ号ビジネス、つまりメーカーからスポンサー費用をいただき分厚い雑誌を作るというビジネスが生まれている。
秋が始まったと思われる 98年はスノーボード業界の下火の時期だが、その年には長野五輪という出来事があった(注:当時、絶対の実力者のテリエが出ない五輪で意味合いも薄れたような気がしたけど)。しかし、その後からスノーボード業界は停滞し、02年から様々な嘆き声が伝わるようになった。雪山リゾートの倒産に加え、03年にザウスが解体されたのも1つの時代の象徴のような出来事。小さいショップも「やっていけねえ!」という叫び声が聞こえる中、大手ショップも倒産や買収などに巻き込まれ、FORUMが買収されたのもこの時期の象徴的な出来事ではないだろうか。

~89
90~93
94~97
98~01
02~05
06~

しかし、冬の時代に虎視眈々と未来を見つめた者、また冬の時代にじっと辛抱し、なんとか生き残った者もいる。これらの者は第二期スノーボード業界を作る英雄になれるチャンスがあるのだ。
前の夏( 94年から96年)の失敗を2度と起こさないように、新たなビジネス作りをしている。

例えば、自分の周りではこの時期にスノーボード・ショップを始めた者、 RONIN SHOP左氏(さし)氏もいるし、この時期に新たなブランドを立ち上げたライダーもいるし、また新たなブランドを輸入した者もいる。
さらにこの時期に新しいイベントや大会を開いた者もいるし、先日のインタビューを行ったツカダ氏も確実に第二期時代をしっかりとリーディングする力強いアイデアが溢れる方だ。
長年スノーボーダー誌制作でお付き合いのある岩田氏は、雑誌で人気コーナーを作るかたわらジブ・ビーチ、またはガールズ・ジャムなど新しいイベントも仕掛けている。

このようなことは一例に過ぎず、今、スノーボード業界ではその他にも次の春を迎えるために種をまき、芽を出させ、そして成長を妨げないようにしっかりと栄養分を与えている者も少なくないのだ。
これら第二期スノーボード夏時代を形成する方たちは、本当の意味で最初のバブル時代を堪能していないという方も多く、「あの時代もっとやりようにやっていれば」なんて悔しさをバネにしていないこともないけど(注:自分のこと?)、ともかく今度こそバブルを弾けないように正しいことをやり続ける決心をしているに違いない。

しかし、自分は思う。
どんな業界やどんな人生でも春、夏、秋、冬はやって来てしまうもの。だから、今度こそイソップ童話のアリとキリギリス作戦なのだ。これから春を迎えるにあたり、しっかりと準備し、夏には夏バテしないようにしっかりと働く。秋が来たら冬を迎えるために食料ならぬ資金を蓄え、冬が来たらじっくりと春が来ることを待ちつつ、どんな種を撒くか思案。そしてさらに次の春が来たら前の夏よりももっと大きな花を咲かせようではないか!と。そうしたら、みんな永遠のスノーボード業界人なんて、ね。

ちなみに今度のスノーボード業界は3年周期で流れると勝手に推測しているので、 2009年からスノーボードの本当に良い時代が来ると思うのだが、みなさんはどう考えているのだろうか?
そこでこの特集の最後に自分が尊敬する業界人に今後を占っていただこう。

 

Ronin Shopオーナー 左氏義和さん

スノーボード業界不況が叫ばれる中、昨年、神田にスノーボード小物メイン・ショップRoninを始める。以前はミナミSPAZIO店やASR店の店長を勤め、ミナミの売り上げアップに貢献。またSMJ(Smith、マツモトワックス取り扱い)に勤務。ビジネスを超えたライダーたちとの親交も深い。

今年初めに行われた左氏義和インタビュー

業界全体がこの不況下で努力していると思う。そうしなければ生き残れないという言い方もあるが。
当然、リストラを進め(リストラとは人員削減だけではなく経費全般)、ぎりぎりに近い状態で運営していると思う。

ひと昔前に比べれば用具も安くなり、スキー場関係のリフト券・宿泊費なども安くなってきた。ただこのデフレはスノー業界だけに言えることではなくハンバーガー屋にしろPCにしろ航空券屋にしたってそうである。この業界だけデフレを免れるなんて調子の良い話はない。どこの業界もまだまだ努力しているのである。
当然この業界も更なる努力が必要なわけで、例えばまだできることで言うと。

スキー場は未だに不味いご飯をえらい高い値段で売っているところがまだある。コンビニで買って持参してきて当たり前である。
ゲレンデにレールを置けば良いってわけではない、スノーボーダーはスケーティングがつらいのだから、もっとリフトからコース、コースからコースのアクセスを考えても良いのでは?
メーカー・小売の物販で言えば値段だけがサービスではない。正しいアドバイスや本当の楽しさ、かっこ良さをもっと伝えなければいけない。このへんはプロにも言えることである。

こんな勝手なことを言うとオレたちはとっくにやっているという方々もいるでしょうが、そういった方は苦しいなりにもきっとうまくいっているでしょう。
ただこのへんで業界全体が現実を見極め動き出さないと、このままではスノーボード人口が増えるとは思えない。昔のように冬の楽しいことは雪山で遊ぶことだけじゃなくなっているんだから。初めてやる人は痛くてつらく、寒くてつらく、お金がかかるとなればやってみようと思う人が少なくてもしょうがない。
とにかく若い層の新規参入が少なくなっているのだ。

こんなことがこの業界全体でできればと常々考えていることがあるんだけど。
先にも言ったが「初めてやる人は痛くてつらく・・・」というところなんだけど、もちろん最初から滑れなく、痛くて寒いのはどうにもならないんだけど最初のきっかけとしてなるべくお金をかけないで体験してもらうことはいろんな努力でできると思う。
単純な考えだけど中学・高校ではスキー学校というものがある。最近なくなってきているのかもしれないけどかつては行っていた学校は結構あったはずなのでそこを復活していく活動をする。
そのためには、
メーカー・小売店の協力により道具全般のレンタルをほぼ無料にして、
スキー場関係の協力によりリフト代・宿泊費を超格安にして、
プロには無償で先生になってもらう
簡単に言いすぎかもしれないけどこれでローコスト・ハイクオリティースキー学校ができる。
これをまとめ上げるのは大変な労力が必要だけどITを駆使してみんなの協力があればできるはず。というか今やらないと手遅れになっちゃう。
結果が出るまでに時間がかかる活動かもしれないけど負担が分散されているし現実味はあると思うんだけど。

SBN代表 塚田 卓弥さん

ご存知、日本で最も認知度が高いwebサイトSBNを制作し、業界へ様々な新しい動きを実現させていくリーダー。ケイタイサイトの雪番長や、エコ活動などその活動範囲はミスター・スノーボード・ビジネスだ。

塚田卓弥の最新インタビュー

私が予測するスノーボード業界の今後ですが、 05/06・06/07シーズンで新しいスノーボードのトレンドが出現すると思います。ここ7年間で業界の流通も情報も文化も変化し、流れが変わるのが今年からだと思っています。
そこで疑問が生まれます。いつかはわかった。じゃっそのトレンドは
「誰が創りだし「何を創るか」…?

(塚田予測)トレンドは誰が作るか?
一つの市場が成熟して、次の大きなトレンド(流行)を創るには35歳越えた僕みたいな人ではなく、若い一人のヒーローかもしれないし、複数人の若者たちだと私は思っています。
オリンピックもその一つのキッカケになると思っていますし、ライダーたちが自分たちで活動してきたことも今年確実に芽吹くと思います。
なので29歳以下の年代の人だと思っています。
(ただし良いメンターの協力を引き出せる能力を持った人だと思います。)

(塚田予測)トレンドは何か?
99年にSloepStylコンセプトが日本に上陸したときの衝撃のように、当時の日本にはなかったまったく新しい方法でスタイルを表現することかも知れません。それはさらに進化したスーパーパイプかも知れません。
もしくは年間でスノーボードを楽しむためのファッション革命かもしれません。
またはライダーブランドの到来かもしれない。
はたまたBlogや携帯を駆使して情報発信をし、仲間との場を作る様々なイベントかも知れないし、大多数を相手にするのではなくシークレット的に開催される音楽、ファッション、アート、スノーボード等がMIXされていくシーンかもしれない。

ようは今までのスノーボードのマスマーケットではない「SMILE」なマーケットを自分達らしく表現した人及び人達の成果がそのトレンドを創ると思います。

塚田100%オリジナル「SMILEコンセプトの法則」とは?
S (STYLEING SNOW SKATE SURF)
M(MUSIC)
I(INTERNET TECNOLOGY)
L(LIFESTYLE)
E(EXPRIENCE)
の5つのキーワードが有機的それぞれ絡まって表現されるモノ
別人であり、空間でもあり、場でもあり、物でもあり、デジタルでもある。

そしてその「SMILE」をキーワードにして、そのトレンドは今まで以上にアナログで、人と人とのコミュニケーションによって生まれるものが来ると予測をしています。
出現をこころから楽しみにしています!

 

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