【コーチ・コラム】人は人生を演じている?

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文:高石 周

今回は以前紹介した記事の再編集版です。
今だから書き加えた内容もありますし、皆さんには今一度ご自身のことを振り返って考えていただけたらと思います。

よく引用させてもらう「侍ハードラー」こと為末大さんのTwitterから、私の感じたことを書いてみます。

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人って良くも悪くも、勝手に思い込んで、気付かずに自分の人生を作っているんですねえ。
光が見えたような気もしますし、怖さも感じました。
こんなお話です。。。

【役割を感じる事】
子供の頃、母に連れられて、母の高校時代の同級生に会いに行った事がある。どこかの喫茶店だったような気がするけど、そこまでてくてく手をつないで歩いていった。僕は姉と妹がいるんだけど、その時は僕と母の二人だけだったと思う。

喫茶店のドアを開けて中にはいり奥の方の友達が振り返って母親を旧姓で呼んだ途端、下から見上げた母親は母親ではなく一瞬違う誰かの顔をしていてそれにものすごく驚いた。目を丸くして見上げている僕に気付いて、此方を振り返った時にもう母親は母親の顔をしていた。僕にとってはすごく衝撃的だった

当たり前だけど、母親は母親になる前は母親ではなくて、母親もまた別の人の前では違う役割がある。その時以来、僕は先生を見ても先生以外の先生がいるように思えて、人が僕の目の前で言ったり振る舞ったりする事と、違うその人がどこかにいるんじゃないかと考えるようになった。

ジュリアーニ市長が行った落書きや割れ窓を直して犯罪率が減らしたという”割れ窓理論”の元になっている考えは、人は空気によって振る舞いが変わるというものだった。つまり人自体に善や悪がはっきりと決まっているというより、空気と役割によって行動が善にも悪にもなりうるという事。

選手が強くなって注目されるようになると、スターという新しい役割を与えられる。これに戸惑う選手もいれば、素直にのっかれる選手もいる。そして注目されなくなるとまた、一般の人という役割に戻る。向こうとこちらの境目がよく僕にはわからなくて、そんなに違わない気もしている。

人は与えられた役割を演じ、また自分がそう振る舞う事で、周囲に自分の扱い方も教えている。この役割の切り替え方が下手な人は精神的に苦しいんだと思う。ずっと怒っている人は自分が怒る事で、怒らざるを得なくなっていてそこから抜け出られなくなっていたりする。

【まとめ】
自分が変われば周囲は変わる。でもその為には自分が演じている役割を客観視しないといけない。この視点がないと与えられた役割に引っ張られる事になり、能動的に空気を作れず、人生がどうにもならないもののように感じる。どうもこの辺りと人生が行き詰まる事が関係している気がしている。

皆さん、環境や状況によって違う人格になってませんか?
私の場合、家庭、職場、友人、それぞれで確かに違う「自分」を演じていると思います。
しかしどれも「自分」です。

これらは為末さんが書くように?周囲の求めるものに対して、自分が適切な対応をしようとする表れだと思います。

家庭では子どもたちが私を「父親」としての自分を期待しています。
職場では共に働く人達が「与えられた仕事は責任を持ってやる人」と認識し、生徒は私に「正しい知識と共に正しい道に導いてくれる人」と認識しています。
友人には「一緒にいて気を使わずに話ができる人」と思われています。

って自分で書いてますが、よくよく考えると、結局これは勝手に自分で思い込んでいることですね。

(続き→http://sportscoaching.blog72.fc2.com/blog-entry-912.html

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