歴史を動かした10人のライダー ?クレイグ・ケリー

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スノーボード界を動かした10人のレジェンドをご紹介。
第2回目は、スノーボード界で最大の功績者として讃えられ、スノーボード界の神と言われているクレイグ・ケリーだ。
カッコ良さと大会での強さばかりが象徴されて来たクレイグだが、本当はどんな功績があったのか、意外を知られていない。
今回は、クレイグがスノーボード界に残した功績を改めてご紹介したい。

クレイグ・ケリー
すべてのルールは神から始まった

スノーボードの神とも言われるクレイグ・ケリー。
今でも語り継がれる華麗なスタイル。ある人は、クレイグの滑りを称して「バインディングの存在を忘れさせる。」と言った。
クレイグの滑りは、それくらい乗れ過ぎていて、ナチュラルだ。バインがなくてもきっと乗り続けるというピンポイントでライディングするのである。

スノーボード界の神、クレイグ・ケリー

クレイグ・ケリーの活躍は、80年後期から始まる。
当時、プロフェッショナルをアピールできる唯一のツール、大会で大活躍した。
そのスタイルもカッコ良く、当時の世界中のスノーボーダーを虜にした。
とりわけクレイグの活躍舞台が広がったのは、89年にシムスからバートンへの電撃移籍時代。

バートンに移籍するや大会で快進撃。ハーフパイプ、アルペンレース、バンクドスラローム、モーグルなど、当日の大会で圧倒的な強さだった。

ユニークなのは、クレイグが挑んだデュアルスラロームと、ジャイアントスラロームの大会でのギアだ。
あの時代、スラロームではハードブーツにアルペンボードが普通だったのに、クレイグはソフトブーツにフリースタイルボードで挑んでいたのだ。当時、ソフトブーツと呼ばれていたブーツは、現代のブーツと似ているが、圧倒的にサポート力が弱く、プラスッチックシェルで固められたハードブーツでレースで対抗することは考えられないことだった。

スーパージャイアントスラロームでは、ボードの長さが170センチ以上のGS使用だったが、ブーツはやはりソフトブーツという異色な組み合わせ。それで、大会では常に決勝に残る活躍で、当時のレース界のスーパースター、ピーター・バウアーに対抗していった。

ハーフパイプの大会では、ほぼ無敵!しかも、他を圧倒するカッコ良さで、勝つだけでなく当時のスノーボーダーたちを魅了していった。
クレイグがヒザを寄せるメソッドエアーを見せれば、当時のライダーたちは、それを真似ていった。
彼は大会で勝つのと同時に、圧倒的なスタイル・リーダーでもあったのだ。

しかし、そんなクレイグでも、何回か苦杯も舐めている。
記憶的な事件は2つ。
ジェフ・ブラッシーには、日本で初めて行われたISF世界大会の決勝で負けジャッジングを受けた。しかし、ジェフの縦回転が手を付いていなかったので、失格とされて優勝。当時の縦回転は、手を付けないと危ないということから、禁止トリックだったのだ。

ハーフパイプの聖地と言われたコロラドのブリッケンリッジ大会では、ショーン・パーマーに負けている。
クレイグの華麗なスタイルにショーンが対抗したトリックは、当時、誰もやっていなかった540コンボ。つまりフロントサイド540から、キャブ540でつなげるというトリックだ。今では考えられないようなトリックだったが、あの当時の横回転系では最高の組み合わせだったのだ。ヤンチャなショーン・パーマーのスタイルがクレイグを負かした伝説の一戦である。

しかし、台頭して来たテリエ・ハーコンセンには一度も負けないまま大会を足を洗ってしまう。
あのまま続けていれば、いつかテリエには負けていただろうが、その後は、ビデオの世界でファンを魅了することになる。

当時は、ビデオでプロってどういう意味だ?と言われていた時代だった。
スノーボードのプロ創世記では、大会で活躍してこそプロフェッショナルと言われていた時代だったから、それでプロを名乗ることは不思議な世界だったのだ。
しかし、クレイグは、そんな大きな扉も開けてしまうことになる。今、映像でプロをアピールする全盛時代は、クレイグによってもたらされた世界なのだ。

自分が出演するビデオの時間に応じて、バートンに請求書を送った。これが、スノーボード界初のビデオ・インセンティブだ。ビデオの尺の長さだけ、バートンをアピールしたのだから、それでお金をくれ、ということである。

さらに、クレイグは、同様に雑誌の掲載で、スノーボード初のフォト・インセンティブを勝ち取っている。
今では、あたり前となったこのプロのシステムは、クレイグが初めて行ったものだ。

クレイグが、スノーボード界で行ったことは、それだけではない。世界で初のシグネチャー・ボードを作ったのもクレイグなのだ。
そして、その自身のシグネチャーボードが売れた分だけマージンをいただくということを初めて確立したのである。

今、あたり前のようにプロ・ライダーが受けている恩恵は、クレイグ・ケリーから始まったのだ。
ライディング・スタイルしかし、ビデオの世界を切り開いたことしかり、まさにすべてのルールはクレイグから始まったのだ。

2003年1月20日、クレイグは自身が愛した雪山、カナダのレベルストークの雪崩事故で、帰らぬ人となった。
スノーボード界に最も大きな影響を与えたゴッドファーザーは、本当に天に召されてスノーボードの神になってしまった。
残念でならないが、クレイグの功績は永遠にスノーボーダーたちに語り継がれるだろう。

過去に紹介した歴史を動かした10人のライダーは、以下のページをご覧ください。
http://www.dmksnowboard.com/special/8796


 

 

 

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