スノーボーダーとして当たり前のこと

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自分のスノーボードの歴史を考えてみよう。
怖かった最初のターン。必死な思いでなんとかメイク。さらに連続でターンができるようになって来て楽しくなって来た。「あれっ、オレって結構イケル?」という愉快な気持ちで滑り続けた。そして、だんだんとゲレンデを自由に滑れるようになって来て、楽しくてしょうがない。フリースタイル的な遊び、パウダーの至福、新しいことをどんどん経験して行く。それから1年経ち、2年経ち、3年、4年、5年・・・。

だけど、月日が経つと以前のような楽しさが出て来ない。昔はあんなに楽しかったのに。
こういう経験、スノーボードを長くやっていたら、誰でもあるのでは?

まあ、何を隠そう自分でも体験して来たことなので、十分理解できる境地でもあるが、この場合はだいたいにおいて自分の型を決めてしまってスノーボーディングをしているケースが多い。自分ができることをやる。そこからあまりはみ出したことをやらない。

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例えば、キッカーである程度のことはできるけど、いつもの自分がやっていることしかやらない。パイプにしても同じ、レールにしても同じ。フリーランにしても同じようなことばかりやってしまう。

自分も同じようなジレンマにハマってしまうことがある。自分ができることばかりやってしまうのだ。それも楽しい部類には入るのだが、本当に「楽しい!!!」という気分にはならない。「ケガできないしなあ」とか、「カバン持っていて転べないしなあ」とか、あとクラブ活動とかキャンプ中とかは「しっかりとできることを見せていかないとなあ」とか何かというと理由をつけてしまう。

だけど、昨年ほとんど上達できない自分にイラだって、今年はちょっと良い意味でキレた。自分が楽しまなくて、相手をどうやって楽しますのだ。いつだって、どこだってチャンスあれば、チャレンジしちゃえ!と。それで、2週間前は、結構ボックス入ってみて、本当に楽しかったなあ。気心の知れたクラブ員にも応援してもらって、たくさんハイクしたのだ。ああいうチャレンジのスノーボーディングをしたのは、久々だった。家に帰ってビール飲んで、気持ち良かった。あと、こうも思った。「スノーボーダーとして当たり前のことサボっちゃったなあ」と。

そう言えば昨年の夏、擦り系はやらないという高正(加藤プロ)に無理矢理(?)、浪人3の撮影でボックスとかレールをやってもらった。そうしたら、とても楽しそうにやっていた。あの子供のような笑顔を見て、やはりスノーボーダーというのはこの感性が必要だな、と思った。

今、これ読んでいる人はどうだろうか? 自分の型にハマらずに新しいことをどんどんやっているだろうか? 自分は何々屋とか決めずに、いろいろやってみた方がいいと思う。新しいことをやった勢いが、今まで自分が目指してスノーボードにもより磨きが掛かることもあるし、また何よりもチャレンジすることはスノーボーダーにとって永遠のテーマ。それがあたり前のことだと思うのだ。逆に言ったら、それがなくなったら、おもしろくないし、スノーボードをやっている意味も薄れて来るように思う。

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