NOMIS春夏オーダー

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本日は、NOMISの来季春夏オーダーを入れる最終日でした。
 
お蔭様で昨年よりも53%アップものオーダーを入れることができました。
これもNOMISを応援していただくショップの方々、そして何よりNOMISファンのお陰です!
本当にありがとうございます。
 
NOMISは立ち上がりの頃から、よく知っていました。
しかし、僕は最初の乗り組み員にはなりませんでした。
自分が、まさか日本NOMISを代表する仕事なんかできないと思っていたし、そんな資金も会社もなかったからです。
だけど、立ち上げの頃から応援したい気持ちはあったので、日本のことではたびたび相談を受けました。
 
社長のマットから、日本のディストリビューター(代理店)のことで相談されたことがあります。
「フサキ、ラスベガスの展示会で日本のディストリビューターやりたいところが出たんだ。この会社なんだけど、どう思う?」
「それは良いことだね!早速、その会社のこと聞いてみるね」
 
その後、僕は知り合いのショップのオーナーさんなどから、その代理店のことを聞きマットに伝えて、そしてマットはその会社に代理店をお願いしました。
 
しかし、NOMISとその代理店のコミュニケーションはうまくいきませんでした。
僕はその問題を解決するため、日本に行き、その会社のある名古屋まで行きました。誰に経費を出してもらうという仕事ではなかったけど、NOMISとはバイタミンジブの撮影でいろいろ協力してもらったし、何より応援したい、という気持ちが強かったので。
 
そして、僕はある程度、両社のこんがらがった糸を直すことに成功しました。
 
ところが、その後すぐ。まさに春夏のオーダーをしなければいけない日に、その日本の代理店は、
「ゴメン、フサキさん。ウチの会社でできなくなった。」と。
僕はまさに「えーーーーーーーー!」ってな心境でした。
 
撤退理由は、その会社におけるNOMISのビジネス規模が小さいこと。もっと主力に集中する、ということだったと思います。
 
まあ、他の理由、というか真の理由は別にあったと思うのですが・・・。
 
ともかく、僕とお話した日本代理店の担当者の方は、自分のポジション内で一生懸命仕事をやっていただいたと思います。しかし、会社の方針には逆らえるハズがありません。
 
 
まさにオーダーしなくちゃいけない時なのに、どうしよう・・・、と考えました。
 
だけど、その時、僕は「今こそNOMISをやりたい!」と思うようになりました。
そうだ、最初からやりたかったんだ。だけど、僕は理由をつけては、逃げていた。自分にはできっこないし、大き過ぎる仕事だと、勝手に考えていたんだ、と。
 
NOMISという会社を見てみれば、みんな若いです。社長のマットは20台前半。あとは、みんなさらに年下ばかり。でも、みんな不安を恐れずにポジティブに頑張っているのです。
 
それで、僕は日本でdmkクラブをお願いしていた親友であるムラッチョに。
「NOMISやってみないか」
ということを聞いてみました。
 
そしたら意外なほど、というか自然に答えたは「イエス」でした。
それから、僕とムラッチョのNOMISジャパンがスタートしたのです。
初めての展示会、まだ儲けが出ない内からムラッチョの会社に負担をかけ・・・、まあいろいろドラマです(笑
 
僕たちが、この仕事のことを理解していない部分もあり、当初、というか今でも困難の連続です。
 
というのもNOMISという船は、多少の故障など関係なく、スピードが命という感じで、どんどん突き進んでしまうのです。僕は、いつも「もっと故障を直してから進もうよ。そうしないと大変な事故を起こすかもしれないよ」と言います。
 
NOMISは、一応は聞くし、もちろん故障も直してくれますが、それ以上に、
「フサキ、だって進まないと大きくなれないし、大きくなるから、故障だって直すことができるんだ」
とばかりに、さらに突進。
 
最近は、僕も日本にいるムラッチョ、アヤちゃんにも、彼らのペース、やり方に付いていけるようになりましたが・・・。だけどまあ、二人は常に最前線だから、迷惑をかけてばかりいます。
 
例えば、こちらがオーダーしたものが入って来ないと、それはお客さんからショップへのクレームになり、ショップからアヤちゃん&ムラッチョのクレームになります。日々、そうした最前線でやっている人は、苦労が絶えません。
 
 
こんなドタバタもありながらも、春夏のオーダーの歴史は、初年度から2年目で257%アップ、さらに2年目から3年目は53%アップという凄い伸びを見せてくれました。この秋冬は、いよいよアウト・ウェアーだから、さらに加速しそうです。
 
あの時、もし「僕がやってみよう」と考えなかったら、あの時、もしムラッチョが「受けてくれなかったら」、今、NOMISのジャパンはどうなっていたのでしょうか?
 
ともかく機縁によって得たこの仕事、ある意味、神様が我々に与えた仕事だとも思っています。
 
 
人生を振り返ると、あの時が転機だったと思うことがあります。
あの時には、わからないのだけど、今になってあの時が転機だったと思うこと。
 
今、これを読んでいるみなさんにも、きっと転機は訪れることでしょう。
 
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