あの頃

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今でも時々、大日本印刷にいた頃の夢を見ることがあります。

僕は、高校を卒業して、大日本印刷に就職し、1年と約8ヶ月勤めて、会社を辞めて山に籠り始めました。
僕の43年間の人生の中で、たったの1年と8ヶ月なんですが、今でもあの当時の夢を見るんですね。
きっとあの時の大変さとか苦労、一生懸命さなどが凝縮されていて、今でもあの頃の夢を見てしまうのだと思います。

僕がいた部所は、出校というところ、そこは営業と校正刷りをする間のところでした。
印刷する前に試し刷り(校正)ということをして、それを営業に渡し、営業が先方に見せ、最終確認。
「これで、印刷機械にかけていいですか?」と聞くわけです。

そして、ひじょうに僕の立場がユニークだったのは、僕の部所、製版2課の出校担当は、新人の僕を含めて3人しかいなかったのに、その上司二人が、しょっちゅうズル休みをしていたこと。だから、僕は新人ながら、一人で製版2課の最もハードな出校業務を一人で担っていたのです。

あの当時、一ヶ月の残業時間100時間超えはあたり前で、家に帰れないで泊り込みも多かった。まだ18歳の高卒早々の時期だったけど、頑張っていたなあ、と思います。

最も辛かったのは、営業は「この日に校正刷りを出せ」と言っているのに、校正刷りをしてくれる現場(工場)が、「忙しくて、この日程で出せないよ!」と怒鳴られ、間に入った自分がどうしょうもなかったこと。

一度、どうしょうもなくて、辛くて、一人で泣いたことがありました。そうしたら、係長が来てくれて、助けてくれました。
まあ、ルール無法で、ともかくこちらの考えるように、現場の日程を変えて、解決してくれた、という感じです。
他のライバルでもある一課などはこっちも急ぎの仕事があるのに、2課だけズルいって話になったけど、相手は高卒新人の一年生なんだけど(笑)。まあ、涙で係長を動かして、後ろめたかったし、なさかなかったという思いはありましたね。

そして、あの時の係長のアドバイスが忘れられません。
「校正の仕事の大変さって、結局、ここなんだよ。」って。
つまり、僕はあの時、それが仕事か!って思ったんですね。

日頃、僕たちは仕事をしていていて、それ自体が仕事と思いがちです。
実際、それは仕事なんだけど、むしろ問題があった時、解決できる能力や交渉力があるか。それが、仕事なんだよ、と。
最も辛い状況な時、それを解決させることが仕事ということです。それは思ってもいなかった問題だし、自分に誤りがあって起きた問題でもない。だけど、自分が先頭に立ち解決すべき問題です。

今、自分の仕事であるディストリビューターというのも、正直、常に思わぬことや問題が起きるわけです。
それは、僕だけでなく、社会に出ている方なら、日々、経験していることでしょう。
そう、厄介な問題ってやつです。

そんな時、僕はお手上げ、って知らんぷりをすることはできないのです。
ともかく、間に立つ者として、右も左も、そして時には上も下も納得させるような解決方法を真剣に考え、そのことを実行したり、伝えたりして解決しないといけない。

そして、今でもこうしたにっちもさっちも行かない問題が起きると、あの時のことを思い出すのです。
ああ、あの時、あんな苦労をして、あんな悔しい涙を流しておいて良かったなあ、と思うのです。

ところで、今日も子供たちとサッカーキャンプ。
今年もいろいろ試行錯誤だったけど、日々、子供たちと学んでいる感じです。
きっと、この夏も僕のキャンプに参加してくれた子たちは、さらに飛躍してくれるでしょう。

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