ライオが語ったキャンプオブチャンピオンの思い出

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真夏の世界最大パークとして知られるCamp Of Chamiponsが28年間のヒストリーを終えたことは、スノーボード界で大きな話題、そのフォウンダーであるケン・アッケンバック氏の功績を称える声が国内外で様々なメディアからリリース。
そんな中、日本のスノーボード界を引っ張り、COCでは10年間コーチを行ったライオ(田原勝也)から、キャンプオブチャンピオンへの思い出を語るメッセージが発信されたので、ご紹介しよう。

時代の流れでしょうか?
10年近く働かせてもらったキャンプオブチャンピオンがその歴史に幕を閉じます。
ここからは長文になりますが自分がこのキャンプで働くようになった思い出を書きたいと思います。
少し長くなりますが興味のある方だけ読んでください!

初めて行ったバンフでのキャンプ。
コーチは業界の兄貴的な存在、塩谷さん、バブルスくん、ストーミーチーム。
始めたばかりの自分はコーチのみんなに「どうしたら上手くなれますか?」と質問した。
帰ってきた答えは想定外の「日本人と滑ってても上手くなれねーよ」

そこで俺は毎日学校が終わってからゲレンデに来る名前も知らないカナディアンキッズ(キッズと行っても高校生)に辞書を片手に電撃アタック。
一緒に滑っていい?

最初は面食らった感じの彼らも必死な俺に笑いながら「ついてこれるなら構わないぜ」って言ってるくれた。
それから毎日2時になるのを待って彼らの集団を追いかけ続けた。
最初はついていくのがやっとだった自分も徐々についていかれるようになり、キャンプの最後にはスイッチでもついていけるようになった。

今ではあまり聞かなくなったけど、彼らはその頃はやり始めたニュースクールそのものだった。ゲレンデといっても彼らが滑るのは主に林の中。倒れた木をレールに見立てジブトリックを繰り出し、ちょっとした起伏を使い720をする。
それを山の上から下までひたすら・・・

そんな彼らと滑っていてスノーボードの自由性の虜になった。
いつの間にか彼らとは仲良くなり、俺の幼稚園並みの英語も通じるようになってきた。

しかし、始まりがあれば終わりがある。一ヶ月のキャンプが終わり、俺は日本に帰ることになった。みんなは最後に「またどこかで会おう」と言ってくれた。最高の思い出と自信をつけた俺は意気揚々と日本に帰り中部大会に出た。しかし世の中そんなに甘くなく、結果は予選落ち。また自信を失った俺だったが彼らから学んだニュースクール精神を引き継ぎ、寒く、雪は固く、何もないホームゲレンデの菅平でひたすら滑っていた。そしていつのまにか俺の後にはカナダでニュースクールのキッズ追いかけていたように地元のキッズが勝手について来るようになった。

そのシーズンを無事に終えた俺は憧れのサマーキャンプに行くことを決意。しかしまともにサマーキャンプに入ろうとすると、とてつもなく高い。アメリカでのサマーキャンプ自分の経済力では行くことができず、いろいろ調べているうちにカナダでのキャンプにたどり着く。若干ではあるがアメリカのキャンプより値段が安く、とにかく夏にも滑りたい俺はキャンプオブチャンピオンに行くことを決意する。

初めてのウィスラー、初めてのグレーシャー。
俺にとっては全てが新鮮だった。そんなキャンプで俺をさらに驚かせることが起こる。キャンプの初日に行われるオリエンテーションでコーチ陣が紹介されていた。もちろん有名なライダーもコーチとして働いていたが、そんなコーチの中に見たことのある顔があった。それは俺にスノーボードの楽しさを教えてくれたバンフのローカルキッズだった。あの頃は彼らのフルネームも知らず、ニックネームで呼び合っていた彼らの一人が、カナダのトッププロにまで上り詰めていたアランクラークだったのだ。さらに驚いたのはアルは俺のことを覚えていたことだった。その頃の日本人のレベルは非常に低く、常に外国人たちの滑りに圧倒される毎日。他の日本人キャンパーが遠慮する中、自称スネーク王の俺は外国人を押しのけて滑り続けた。上手いか下手かはあまり関係ない。そんな俺をキャンプの後半、またも驚かすことが起こる。

日本人キャンパーが増え始めたこの時期、キャンプのオーガナイザー側も日本人コーチの起用を考えていた。そんな中アルが俺のそばに来ていきなり話を始めた。
「お前来年からコーチやれよ!」

その頃の俺はアマチュアでやっとスポンサーがついたばかり。キャンプのコーチといえばプロしかできないと思っていた俺には喜びとともに俺でいいの?という思いがあった。でももうやるしかない!そこから俺とキャンプオブチャンピオンとの関係が始まった。

今から考えるとあの頃が一番楽しく、一番楽しかった時期かもしれない。
そんな楽しい思い出をくれたキャンプオブチャンピオンがなくなってしまうのは寂しいけど、またどこかでその頃の仲間と会いたいな。

本当にありがとう。
最後にオーガナイザーのケン・アッケンバック長い間お疲れ様でした。
またどこかで会ったら酒でも飲もう。今度は俺がおごるから!!

ライオ田原(本名:田原勝也、1972年9月10日生まれ )
日本のスノーボード界の先駆者的存在スノーボーダー。
日本人として初めてマックダウ・プロダクションのビデオに出演。得意技アーリーチャックフィリップで、ハーフパイプ全盛の時代に世界チャンピオンに!
全盛期のFORUMライダーとして活躍したことで、その名は国内だけでなく世界に広まった。当時は、大手スノーボード・メーカーから引き抜きの話もあったが、一貫して自分のスタイルを貫く。
X-TRAIL JAMのクォーターパイプ部門の常連出場者で、2002年に日本人最優秀選手、2003年、2004年の2年連続でハイエストエアーを受賞。何度もハイクして男気溢れるスタイルは、多くの観客に感動を与えた。
2004年にFORUMからサロモンへ。その後は、業界を陰から支え、スノーボード界に熱く注ぐ視線は今でも衰えなし!

 

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