【コラム】あれから4年

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文:齋藤 稔

あれから4年。世間ではあれから4年というとサッカーワールドカップの話題で持ちきりだが、個人的には長野オリンピックから4年たったと言う思いが強い。これはスノーボードをやっているから、ウィンター・スポーツをやっているからと言うことが一つある。4年前オリンピックの種目に初めてスノーボードが登場したのはみなさん覚えていると思う。日本で行われるオリンピックと言うことでいつも以上に関心が高まっていたし、実際選手の強化も進みひじょうに素晴らしい成績を残している。その後、選手の強化は順調に進み今回のオリンピックでは若手の成長などもあり好成績が残せた。この4年前と同じことが今のサッカーワールド・カップで起きている。日本で開催、選手強化も着実に実を結んでいる、あとは本番でどこまで進めるか。まさに4年前のウィンタースポーツの世界と一緒なのだ。日本代表にはがんばってもらいたい。

実はもう一つあれから4年という思いがある。それはひじょうに個人的なことなのだが「将来スノーボードで飯を食っていこう!」と心に決めた日から4年になるのだ。長野オリンピックの最終日に僕は大学の仲間と長野にいた。長野駅に降り立つとそこは違う世界だった。TV放送では伝わらない生の空気というのだろうか、とにかく駅に降りた時点でオリンピックに圧倒された。言葉では伝えきれないエネルギーがそこにはあった。一日滑って宿に帰り夕飯のあとダラダラとしている時だった、宿の親父さんがニコニコしながら教えてくれたのだ。「TVつけて窓開けな。凄いもんが見れっから」何のことかわからずにTVをつけ寒いのを我慢して窓を開けてみた。そこにはTV中継されている閉会式の花火が手に届くような距離で打ち上げられていた。自分が単純なのかもしれないが何となくオリンピックに参加しているような素晴らしい気分を味わうことができた。 余談だがその後ちょっと興味があってオリンピック関係の雑誌をいろいろ読んでいて気がついたのだが日本人の西田崇選手は僕と一つ違いで出身地も同じで近所の高校に通っていたことを知った。オリンピックでの演技も見ていたし僕は西田崇のファンになった。彼と同じボード・ブーツ・ゴーグルを次のシーズンは使ったりもした。
ちょうど将来についてそろそろビジョンをと思っていた時に思いっきりスノーボードにはまってしまったため僕はスノーボードで飯を食おうと心に決めた。その年の夏dmkとフサキさんに出会う事になるのだが、それが僕のこの業界でやっていくための第一歩になった。

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当時の僕と同じ考えの人がもの凄くいっぱいいると思う。「大好きなスノーボードで生活してきたい」スノーボードにハマった人なら一度は思うことだろう。あるものはプロを目指し、あるものはメーカーなどに就職する事によってスノーボードに携わって行きたいと考える。そんな人たちに僕の経験を読んでもらいたい。少しは参考になるだろう。

まず一番始めのした事は自分で勉強してホームページを作った。自分を知ってもらうこと、自分が勉強したことが参考になればと言う思い、そして何より自分のスノーボードでの実績の一つとして。この大学生が個人で作ったホームページはパソコン雑誌「MacFanInternet」にスノーボードの役立ちホームページとして紹介される。この頃から自分のメインは道具関係というのができつつあった。このホームページは今のdmkに統合されて研究室とコラムのコーナーとなっている。そして就職活動。受けた会社は130社以上、一次試験まで進めたのはわずかに数社。何しろカタログ号に乗ってる代理店は片っ端から履歴書を送ったのだ。この他に少しでもスノーボードに関係ありそうな会社もターゲットになった。某雑誌社はセミ
ファイナルまで勝ち残ったが「スノーボードがどうしてもやりたい」と言い続けたのが悪かったのか落ちてしまった。もちろん他の会社の面接でも「一番やりたいのはスノーボード関係です」と言い続けた。結果全滅。そもそもこの業界はスノーボードバブルがはじけた直後で余分な贅肉を落とそうとし始めた頃だったので、募集自体が極端に少なかった。これが心に決めてから2年目の現実だった。
3年目僕はメディア関係に的を絞ってまた何社か履歴書を送った。今回もセミファイナルで撃沈。そんな中、スキージャーナル「スノーボードニッポン」今のSBN誌でフリーのライターを募集しているとのことだったのでホームページの全コンテンツを印刷して送った。これが今ライターとして細々と仕事をするきっかけになった。編集長から直々に電話をもらい「なにかあればお願いするから」との返事だった。フサキさんにこの件を相談したところ「企画書ださなきゃダメだよ」とのことで今期も連載した「スノーボード研究室」の企画書を出しそれが僕の始めての仕事になった。始めて自分の書いた文章が印刷された雑誌を手に取った時泣きそうなくらい感動したのを今でも覚えている。そして今、心に決めてから4年目を迎えているのだが僕はこの業界の隅っこにいられるようになった。正直これだけでは生活できないのでアルバイトが収入のほとんどを占めるという感じの生活だ。やっている仕事はスキージャーナル誌「SBN」、dmkのクラブ活動・ホームページのコンテンツ制作・オンラインショッピングの窓口など。4年間がんばってやっとここまでこれたのだが今は「やっとスタートラインに立てた」という感じだ。これからもっとがんばってアルバイトを辞めてこの業界からの収入で生活できるようになるまではもう少し掛かるだろう。

ここまで読んで皆さんはどう思うだろう。今スノーボードで飯を食いたいともっている人、プロライダーはこれよりも数倍倍率も高いし、関門も厳しいのが現実と知っていますか?もちろんメディアやメーカーも状況は厳しくなっています。今回はなんだか自分の苦労話でひじょうに恥ずかしいのだがこのくらい厳しいという現実をわかってもらえればと思ってあえて書くことにした。実際僕は運にも恵まれた方で僕よりさらに努力している方はたくさんいる。それでもやっぱりこの業界でと言う人一緒に頑張ってスノーボードを盛り上げていこうじゃないですか。

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