【コラム】スノーボード・バブル

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文:飯田房貴

みなさんは、スノーボード・バブルという言葉を知っているだろうか?

よくよく考えてみれば、これは僕が言い出したことかもしれないのだけど。あの狂騒の時代。僕は、そう呼んでいる。
きっとあの時代を経験した方なら、この言い方、許してもらえるだろうし、そもそも自分だけが「スノーボード・バブル」と呼んでいたのではなく、他にも呼んでいた方がいたか、と思う。

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ご存知、80年代後半のバブル時代。
僕も高校生の時、渋谷までディスコに行って踊って、帰りのタクシーをつかまえるのに大変だった思いがある。
お金のあるサラリーマンたちは、1万円札をタクシーの運チャンに見せびらかして、タクシーを停めていた。

テレビ番組では、8時だよ全員集合が終わり、オレたちひょうきん族が台頭。お笑いブームがやって来て、ツービートやB&Bらが大活躍。当時のお笑いタレントは、相当羽振りが良かったと聞く。

どっかのお金持ちが、世界中の絵画を買い漁り。土地で大儲けした人は、どんどんスキー場を建設。田舎の土地をリゾート化してさらに土地代を上げて、まさにバブリー。そのおじさんは苗場の上空から舞い降りて、カーペットで誘導されていた。

それが、91年から93年の頃になると、ドッカーン!と大爆発。まさにバブルが弾け飛んだ。
銀行がつぶれて、土下座して謝るオジサンがいて、銀行には人だかりで大混乱。

まさにそんな時、バブルの波をも弾け飛ばす勢いで上がって来たのが、スノーボードだ。
92年~95年だったかと思う。

あれは何とも不思議な感覚だった。

世の中は、バブル終焉に向かっているというのに、スノーボード業界だけはどんどん盛り上げる。
僕は当時、二十歳を過ぎた頃だ。

17歳でスノーボードを初めて、二十歳になって海外へ飛び出していた。
僕が19歳の頃に、オーリーというマイナーな専門誌ができて。それから、スノースタイル誌が誕生。そして、スノーイング誌が生まれていた。あの時代のスノーイング誌は、ともかく強引に季刊誌にしたので内容が薄かった。それでも僕たちスノーボードのパイオニア軍たちはむさぶるように読んだ。

クレイグ・ケリーが登場!ボードのメーカーは、バートン対シムス。
その後、ニュースクールの台頭!ブライン・イグチ。
ニッポン・オープンが初めて行われ、高橋信吾が脚光を浴びた。
そして、プロショップ、ストーミーがグイグイと上がって来た。

ハウツービデオを売ればバカ売れだ。
僕が当時、ディレクションに関わった出演もしたハウツービデオは、当時、人気のあったアクション映画、ダイハードのランキングよりも上に行ってしまった。あり得ない!まさにスノーボード・バブル狂想曲だ。

「フサキ、海外で売れているボードないか?あったら、どんどん持って来い。」

そんな時代だったから、何でもOKだった。
コンドームの絵柄のボードがやたらに売れた。太くて固くて、日本人にはとても合わない品物だったけど。

単にバーコードをデザインしたバーコード・スティックも売れた。あれは国内でやっていたけど、海外っぽさがあった。
みんなわけわからず買ったのだ。
だから、ゼロセンのパイロットのような不思議なゴーグルも売れた。

宮本さんは、ディビジョン23というボードをプロデュースした。
今、考えると、おかしいのだけど「東京23区」からの発想だ。当時の僕は、完全にダマされていた。マーク・モリセット。海外のボードだ!って。まさか仕掛けが国内だったなんて。
初心者が来れば、ボードを横にして、「はい、鼻からアゴの高さ。合格です。」って、接客。
あとは、バインディングをセッティングすれば一丁上がり。10万円セットのボードが飛ぶように売れた。
テリエ・モデル、ジミー・リッピー・モデルがやたらに売れたなあ。もうシーズン中に買いに来ると手遅れで、購入することができなかった。
そして、ラマーもサンタクルーズもよく売れた。

当時、ショップ・ライダーとして僕の一日の売り上げが、なんと100万円ということもあった。
たかだが、1万とか2万のバイト日給の僕が、100万って、今、考えたらあり得ないな。
もう八百屋で野菜を買うように、「これください!」だもん(笑)。

大して有名でないアマに毛が生えたようなライダーたちも、メーカーから50万円もらえるのはあたり前。
トップクラスになれば、ゴーグルの契約金が200万円ってこともあったっけ。
そんな時代、スキー場に行くと、まるで芋ほり畑かぐらいの勢いで、初心者スノーボーダーたちが尻もちを付いていた。彼らは滑り方がわからずさ迷っていた。
初心者コースは、滑るところがふさがれてしまったり。

ジャンプの作り方を知らないバカ野郎がやたらにクイックに飛び上がる台を作って、危なかったなあ。
自分も勝手に飛びながら、「こんなジャンプ台、危ないよ!」とほざいていた。

スクールでは、声を枯らしながらギャーギャー騒いでいるイントラ姉ちゃんがいた。
「何度言ったら、わかるの!前向け、前よー。」
挙句の果てには、「馬鹿野郎!」だって。
お金払ってくれたスクール生徒に発する言葉じゃないよね?

レンタルも酷かった。オレの相棒のムラッチョなんか、リアエントリーのスキーブーツにハードのバインでフリースタイルボードで始めたな。
あんな足首も曲がらないブーツで、よくターンができるようになったもんだ。

ショップでは、バインディングの取り付けを知らない人が多かった。
特に、どっかのデパートのような店で買っちゃった人なんか、レギュラースタンスもグーフィスタンスもメチャクチャ。前足、後ろ足、0度、0度だったり(笑)。

そして、世間では、コア系といわゆるライダーたちが、「スノボと言うなスノーボードだよ。」と言っていた。
元々、そんな言葉なんてどんでもいい、と思って始めた僕にとっては滑稽の理論だったけど。

あとは、残念なことによく死亡者が出ていた。ケガ人が出るのはあたり前。
初心者は、緩斜面で滑る。そこは急斜面よりも衝撃が激しく危ない。スノーボードは危ないって感じのテレビ特番もあった。
まあ、あの時代はもう来ないだろう。
あんなのは、本当に100年に一度。いや、一生来ないに違いない。
だけど、今、兆しがある。
そう、五輪効果だ。
スクールが盛況になったり、底辺層のユーザーがどんどん増えて行ったり。特に大型店舗を持って、ファミリー層のお客さんがいるところが強い。

だから、こそ言いたい。
あの反省を活かして、しっかりやろう!と。

あの時代、粗悪なビジネスをして多くの人たちが、スノーボードから急激に去ってしまった。
もう、そんなことはしたくないよね。
スノーボードに携わる人たちが、今一度、しっかりとやる時代が来ているのだと思う。

 

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